「だけど」
だけど
蝙蝠傘を差して私は外に出た。私の身体を覆い隠すくらい大きな蝙蝠傘を差すと、肘の先すら雨に当たらなかった。
同時に、この傘を差すことによって、私は自分自身の姿を隠すことが出来た。
私は十二年前にこの世に産まれたその瞬間から呪い子として生きてきた。私の左手の真ん中には、黒々としている桜の花びらの形の痣。これは私の村に代々伝わる呪いの痣で、この呪いの所為で、私は誰にも触ることが出来ない。これを持つ者が誰かに触ると、触られた者は死んでしまう。
実際に私は、私を産んでくれた私の母親と、私を産むのに手伝ってくれた産婆の数人を殺してしまった。そんな私を、私の父親はいらないと云い、八つまで隔離して育てた挙句、捨てた。だから私はいま、私の上の代にあたるこの呪いを持っていた人の家に、一人で暮らしている。
呪いの輪廻を受け継いで。
「……はぁ」
この日はとても寒くて、私は吐息で両手を温めた。足が冷たかった。村人たちは、私を殺すとバチが当たると云って、私を殺せずにいるものの、くれるのは最低限のお金と食料だけ。人殺しになりたくないから物乞いなんて出来る訳はないし、もちろん働くことなんて出来ない。一昨年からすべての季節に履いているこの靴は、まるで鼠に噛まれたようにボロボロで、水が入ってきていた。それだけじゃない、着ているものだってツギハギだらけだし、髪だって、洗ってはいるけどぼさぼさ。最低だった。
「ぐすっ……」
ふと、涙が出た。外に出ると、いつもこうだった……。
誰にも愛されていない。誰にも近寄ってもらえない。誰にも触れてはいけない。そんな判りきったことに、私はやはりいまでもこころを痛めていた。寂しい、切ない、苦しい。だけど私の悲痛の声に応えてくれる人は、誰もいない。
こんな私が生きてて良いのか疑問になる。死はいつも間近で見てきた。母親と産婆を殺したときもそうだし、私が、いま私の住んでいる家に初めて訪れたとき、此処に以前住んでいた男は首を吊って死んでいた。もしかしたら、私もそれを追って、死んでしまった方が良いのかもしれない。
寧ろ、生きることの方がつらいのかも。自ら命を絶ってしまえば一瞬。しかし、このままうじうじと生き続けて、何年これに絶え続けなければならない? 五年? 十年? 五十年? 七十年? 私の寿命が尽きるまで? 私は、それほどの時間耐えることが出来る?
……外に出ると、こんなことばかり考えさせられた。なぜだろう? 人がいるからかな? どうやら、人が私のことを怖がるように、私も人を怖がるようになってしまったらしい。
痣を削り取ろうとしての傷と、それ以外の傷とで、とにかく傷だらけの左手に、傘を持ち替えると、持っている鞄の中身を確認した。中身は村長さんから頂いたお金の入った封筒と、それにお礼する手紙。私はこの手紙を届けに行くのと、買い物に行くのを、雨の日にすると決めていた。雨の日なら外に人が出ていないし、それなら人を殺さずに済む。鞄のなかには――良かった、ちゃんと入ってた。
村のふもとまで下りてくると、人が幾人か傘を差しながらも外に出ていた。だけど村を歩く人は私の存在に気がつくと、嫌な顔をして私と距離を取る。気分は悪いけど、この人たちは悪くない。私に触ると死んでしまう。それは仕方のないことだから。
村人の何人かは私の動向を見届けるために、私の後ろからついてきていた。そのなかには鍬やシャベルなど、武器として使えるものを持っている人もいた。私が人を殺そうとしたり、私が誤って人に触ってしまったときには、その武器で私を痛めつけるつもりなんだろう。流石にそんな死に方は嫌だなぁ。
私はお金的な面でお世話になっている村長さんの家の郵便受けに、いつものように手紙を投じた。ここまで誰にも会わなかったなら、あとは折り返し。私は買い物をしに再び村を歩いた。食べ物を買わなければいけなかった。
私が振り返ると、私についてきていた人たちは緊迫した表情をしていた。私は一言もかけずに、それを抜いていった。
私が村から家に帰ろうとすると、ようやく誰もついて来なくなった。誰にも触ることなく安心して、一息つく。秋の雨は降り続いていた。
蝙蝠傘が雨をはじく音と、雨の降り落ちる音しか聞こえなかった。
激しい雨だった。靴はさっきよりさらにびしょ濡れで、水のなかを歩いているみたいだった。靴を履いているのか履いていないのかも判らない。靴下のなかまでびしょ濡れ。
「……」
どうして私なんだろう? どうして呪いは私のことを選んだんだろう? どうして私がこんなに苦しい目に遭わなくちゃいけないんだろう?
なにも考えたくなくなった。この先のことや、いまのこと、生きること、死ぬこと、差別されること、なんでも。なにも考えられない人になりたかった。
そう思って、下を向きながら歩くと、大変なことが起きた。
「……えっ?」
「――」
思い返せば、こんな事態は簡単に想像出来たかも知れない。この地は山の斜面に出来た土地。現在進行形で振っている雨は、相当に激しい。土砂崩れなんてこんな整備されていない土地じゃあ、あってもなくてもおかしくない。土は柔らかいし、私の不注意が起こしたことなのかもしれない。
私は、土砂崩れに巻き込まれてしまった。
「あ……」
「やば……」
「うごけな……」
終わった、そう思った。
大木が私のことを押しつぶしていた。手紙が入っていた袋も、傘も、なにもかも私の視界に入らないところに流されてしまっていた。
運が良いのか悪いのか、上半身だけは出ていた。ただ足が引っかかって動けない。力を入れても、まったく動く気配はない。多分右足は折れてると思う。すごく痛い。
一人の力では、どうにもならない。
村のふもとを出たばかりのところだから、運が良ければ誰かに引っ張ってもらって助けてもらえるのかもしれないけど……私だからきっとそれも無理。私に触っちゃ死んじゃうって、どうせみんな判ってるだろうし。
「……」
「……」
「……はぁ」
諦めた。もう動くのを辞めてしまおうと思った。
きっと私は此処で死ぬんだろうな。あぁ、思い返せば短いようで、長い人生だったかもしれない。
物心ついたころには人に嫌われてて、誰に触った記憶も、誰にも良くしてもらった記憶もない。恋も愛も、物も友達も夢も、なにもないまま死んでいく。そうか、私にはどうせそんな人生しかなかったんだ。
似合ってる、って云ったら、そうなのかもしれない。そうだ、嫌われ者らしく、人の迷惑にかからないようにって生きたじゃないか。ふもとにだって雨の降ってる日しか来なかったし、盗みをした訳でもない、生まれたときに殺した人以外の誰かを殺した訳でもない。
そうだ、これが私の人生。私は、私の生き方を終えたじゃないか。
生まれて来なければ良かったと思ったことも、死にたいと思ったことも何度もあったけど、私は、そう、私の生き方を出来た。こんな体質に生まれてしまった以上、私はこんな生き方に満足するしかないんだ。
それなら、首を吊る死に方よりよっぽどマシなのかもしれない。
「……」
私は、目を瞑った。もうこの先のことなんて知りたくもなかった。
蝙蝠傘を差して私は外に出た。私の身体を覆い隠すくらい大きな蝙蝠傘を差すと、肘の先すら雨に当たらなかった。
同時に、この傘を差すことによって、私は自分自身の姿を隠すことが出来た。
私は十二年前にこの世に産まれたその瞬間から呪い子として生きてきた。私の左手の真ん中には、黒々としている桜の花びらの形の痣。これは私の村に代々伝わる呪いの痣で、この呪いの所為で、私は誰にも触ることが出来ない。これを持つ者が誰かに触ると、触られた者は死んでしまう。
実際に私は、私を産んでくれた私の母親と、私を産むのに手伝ってくれた産婆の数人を殺してしまった。そんな私を、私の父親はいらないと云い、八つまで隔離して育てた挙句、捨てた。だから私はいま、私の上の代にあたるこの呪いを持っていた人の家に、一人で暮らしている。
呪いの輪廻を受け継いで。
「……はぁ」
この日はとても寒くて、私は吐息で両手を温めた。足が冷たかった。村人たちは、私を殺すとバチが当たると云って、私を殺せずにいるものの、くれるのは最低限のお金と食料だけ。人殺しになりたくないから物乞いなんて出来る訳はないし、もちろん働くことなんて出来ない。一昨年からすべての季節に履いているこの靴は、まるで鼠に噛まれたようにボロボロで、水が入ってきていた。それだけじゃない、着ているものだってツギハギだらけだし、髪だって、洗ってはいるけどぼさぼさ。最低だった。
「ぐすっ……」
ふと、涙が出た。外に出ると、いつもこうだった……。
誰にも愛されていない。誰にも近寄ってもらえない。誰にも触れてはいけない。そんな判りきったことに、私はやはりいまでもこころを痛めていた。寂しい、切ない、苦しい。だけど私の悲痛の声に応えてくれる人は、誰もいない。
こんな私が生きてて良いのか疑問になる。死はいつも間近で見てきた。母親と産婆を殺したときもそうだし、私が、いま私の住んでいる家に初めて訪れたとき、此処に以前住んでいた男は首を吊って死んでいた。もしかしたら、私もそれを追って、死んでしまった方が良いのかもしれない。
寧ろ、生きることの方がつらいのかも。自ら命を絶ってしまえば一瞬。しかし、このままうじうじと生き続けて、何年これに絶え続けなければならない? 五年? 十年? 五十年? 七十年? 私の寿命が尽きるまで? 私は、それほどの時間耐えることが出来る?
……外に出ると、こんなことばかり考えさせられた。なぜだろう? 人がいるからかな? どうやら、人が私のことを怖がるように、私も人を怖がるようになってしまったらしい。
痣を削り取ろうとしての傷と、それ以外の傷とで、とにかく傷だらけの左手に、傘を持ち替えると、持っている鞄の中身を確認した。中身は村長さんから頂いたお金の入った封筒と、それにお礼する手紙。私はこの手紙を届けに行くのと、買い物に行くのを、雨の日にすると決めていた。雨の日なら外に人が出ていないし、それなら人を殺さずに済む。鞄のなかには――良かった、ちゃんと入ってた。
村のふもとまで下りてくると、人が幾人か傘を差しながらも外に出ていた。だけど村を歩く人は私の存在に気がつくと、嫌な顔をして私と距離を取る。気分は悪いけど、この人たちは悪くない。私に触ると死んでしまう。それは仕方のないことだから。
村人の何人かは私の動向を見届けるために、私の後ろからついてきていた。そのなかには鍬やシャベルなど、武器として使えるものを持っている人もいた。私が人を殺そうとしたり、私が誤って人に触ってしまったときには、その武器で私を痛めつけるつもりなんだろう。流石にそんな死に方は嫌だなぁ。
私はお金的な面でお世話になっている村長さんの家の郵便受けに、いつものように手紙を投じた。ここまで誰にも会わなかったなら、あとは折り返し。私は買い物をしに再び村を歩いた。食べ物を買わなければいけなかった。
私が振り返ると、私についてきていた人たちは緊迫した表情をしていた。私は一言もかけずに、それを抜いていった。
私が村から家に帰ろうとすると、ようやく誰もついて来なくなった。誰にも触ることなく安心して、一息つく。秋の雨は降り続いていた。
蝙蝠傘が雨をはじく音と、雨の降り落ちる音しか聞こえなかった。
激しい雨だった。靴はさっきよりさらにびしょ濡れで、水のなかを歩いているみたいだった。靴を履いているのか履いていないのかも判らない。靴下のなかまでびしょ濡れ。
「……」
どうして私なんだろう? どうして呪いは私のことを選んだんだろう? どうして私がこんなに苦しい目に遭わなくちゃいけないんだろう?
なにも考えたくなくなった。この先のことや、いまのこと、生きること、死ぬこと、差別されること、なんでも。なにも考えられない人になりたかった。
そう思って、下を向きながら歩くと、大変なことが起きた。
「……えっ?」
「――」
思い返せば、こんな事態は簡単に想像出来たかも知れない。この地は山の斜面に出来た土地。現在進行形で振っている雨は、相当に激しい。土砂崩れなんてこんな整備されていない土地じゃあ、あってもなくてもおかしくない。土は柔らかいし、私の不注意が起こしたことなのかもしれない。
私は、土砂崩れに巻き込まれてしまった。
「あ……」
「やば……」
「うごけな……」
終わった、そう思った。
大木が私のことを押しつぶしていた。手紙が入っていた袋も、傘も、なにもかも私の視界に入らないところに流されてしまっていた。
運が良いのか悪いのか、上半身だけは出ていた。ただ足が引っかかって動けない。力を入れても、まったく動く気配はない。多分右足は折れてると思う。すごく痛い。
一人の力では、どうにもならない。
村のふもとを出たばかりのところだから、運が良ければ誰かに引っ張ってもらって助けてもらえるのかもしれないけど……私だからきっとそれも無理。私に触っちゃ死んじゃうって、どうせみんな判ってるだろうし。
「……」
「……」
「……はぁ」
諦めた。もう動くのを辞めてしまおうと思った。
きっと私は此処で死ぬんだろうな。あぁ、思い返せば短いようで、長い人生だったかもしれない。
物心ついたころには人に嫌われてて、誰に触った記憶も、誰にも良くしてもらった記憶もない。恋も愛も、物も友達も夢も、なにもないまま死んでいく。そうか、私にはどうせそんな人生しかなかったんだ。
似合ってる、って云ったら、そうなのかもしれない。そうだ、嫌われ者らしく、人の迷惑にかからないようにって生きたじゃないか。ふもとにだって雨の降ってる日しか来なかったし、盗みをした訳でもない、生まれたときに殺した人以外の誰かを殺した訳でもない。
そうだ、これが私の人生。私は、私の生き方を終えたじゃないか。
生まれて来なければ良かったと思ったことも、死にたいと思ったことも何度もあったけど、私は、そう、私の生き方を出来た。こんな体質に生まれてしまった以上、私はこんな生き方に満足するしかないんだ。
それなら、首を吊る死に方よりよっぽどマシなのかもしれない。
「……」
私は、目を瞑った。もうこの先のことなんて知りたくもなかった。