綿津見國奇譚
二、予言の地
数日後、二人は小舟で川を南下して、ヘグリ族の邑からイヨ族の邑へとはいった。
同じ頃、邑を捨て海沿いを進んだトヨ族は、南端の岬をこえ、東側の海岸にたどり着いた。めざす予言の地は、水平線にかすかに見える島だが渡るすべはない。邑人たちに不安の声があがった。
「今、ハヤト族に襲われたら、ひとたまりもないぞ」
「本当にあの島へ行けるのか!」
ツムカリはざわめく邑人をなだめて言った。
「今夜はここで野営をする。明朝、島までの道が開ける。賢者の予言を信じて欲しい!」
邑人たちはツムカリの言うことを信用して、野営の用意をはじめた。邑を出て十日目、もってきた食料もちょうどこの夜の食事でつきることになる。しかし不安はなかった。新しい土地には当面食べていけるだけの木の実や果物、野草があり、小動物や魚をとって食べることも出来るのだ。土地も肥沃で、作物の栽培にも適しているという。
ツムカリは邑人の不安を少しでも解消しようと、ツヅレ婆から聞いた島のようすを繰り返し語って聞かせていた。
朝、目が覚めた人々は、あたりのようすが一変しているのに驚いた。というのも、島が昨日よりずっと近くに見え、しかも海岸から歩いていけるように海底が現れて、ひとすじの道が出来ているのだ。
「わあ、すごいぞ」
「だれか、方術を使ったのか」
邑人の誰もが喜び、気の早い若者や子供たちは早速渡りはじめている。
「さあ、みんなこの道を行くのだ。ここは年に数回、潮の流れの関係で島への道が現れる。それが今日なのだ。あわてることはないぞ。夜までこの道は閉じることはない。さあ、病人や年寄りをいたわってな」
ツムカリは、邑人たちを先に渡っていかせた。最後の一人が渡りはじめたときには、もう昼になっていた。
「父さん、ここでお別れです。島へ渡ってください。みんなが渡りきるまで、ぼくらがここを守りますから」
グレンが言った。
「グレン、体に気をつけるんだぞ。ホムラもな」
「うん、師匠。おいらホデリ族の邑できっと立派な勇者になる」
ツムカリは大きくうなずき、邑人の後ろへついていった。浜辺には、グレンとホムラの二人だけが残った。
「今日がぼくたちの初陣だな」
「うん。ちょっとドキドキするよ」
ホムラは頬を紅潮させ、心なしか息づかいが荒い。グレンが冷やかした。
「なんだ、ふるえてるのか?」
「武者震いだい!」
トヨ族の邑人たちが海を渡りはじめてから、一日が暮れようとしていた。最後尾を行く、グレンの父ツムカリの姿が道の半ばを越えたとき、ハヤト族の軍隊が浜辺を見下ろす崖の上に姿を現わした。百人ほどの部隊だった。
「あ、あいつら海を渡っていくぞ。追え、追うんだ!」
マタタビの部下でこの軍の指揮をまかされたハバカリ(憚)が叫ぶと、ハヤト軍は崖から一気に、浜辺へとなだれ込んできた。
「そうはさせるか!」
ホムラは自分の武器大鎚で、浜辺の岩を、渾身の力をこめて打った。
ズズズ、ズズーン!
たちまち地割れが起り、先陣を切って下りてきた兵士たち数十人が、馬もろとも地の底に落ちていったのだった。
「うわ、やるな。あいつ」
見ていたグレンは思わずつぶやいた。ホムラが岩を打った一瞬、その体からまばゆい光が走ったのだ。それは聖霊石の力だった。
「弟分にばかり、いいかっこさせられないぞ。今度はぼくが相手だ!」
グレンは右目を覆っていた眼帯をはずし、槍を頭上に掲げると、ぐるぐるとまわしはじめた。すると、右目がオレンジ色に光ったかと思うと旋風が吹き起こり、続けて攻め込んできた兵士たちを、空高く舞い上げてしまったのだ。
「く、くそ! ひるむな。進め! なんとしてもあの二人を捕らえるんだ」
ハバカリは恐れる兵士たちに檄をとばした。
その時、再びホムラが岩をうち砕いた。たちまち地面の裂け目から海水が吹き出した。続いてグレンの起こした突風が、その水を巻き上げると、すさまじい竜巻となって残った兵士たちを飲み込んでいった。こうしてハヤト族の第一陣は全滅したのだった。
そしてトヨ族が誰一人としてハヤト族に害されることなく、無事に島にたどり着いたのを見届けると、グレンとホムラはホデリ族の邑をめざして旅立った。
「ま、まって。お願い。休ませてよ」
つい弱音をはくヒムカにクサナギの叱責がとぶ。
「ヒムカ! 君の仲間は今、つらい旅をしているんだ。こんなことで弱音を吐いてどうする!」
山にこもって二ヶ月になろうとしていた。連日の剣と術の厳しい特訓に、ヒムカは疲れを見せていた。
「なんで、そんなことがわかるの? まだ誰が勇者かわからないじゃない」
「気でわかるんだ。四人こっちに向かっている。もうすぐ会えるだろう。彼らは未熟ながらも、自分の力で術の使い方を拾得しながらやってくるんだ。その時、君は何もかも彼らに劣っていていいのか? それでリーダーとして認められると思うのか!」
ヒムカは渋々立ち上がった。その目には涙がうっすらと浮かんでいる。わずか八歳のヒムカにとって、つらい修行なのはクサナギが一番よくわかっていた。
クサナギはヒムカを一番高い場所に連れて行った。そこは毎日夕方になるとクサナギが黙想する場所だった。
見渡す限り山が連なり、東の山の向こうには海が広がっている。クサナギは東南の方を指し示して、
「あっちの海の方から二人」
それからやや西よりの山影を指して言った。
「あっちから二人やってくる。わたしは毎日彼らが迷わないよう、ここから気を送っている。もっとも気づいてくれたかどうか……」
「困ったな。どっちの道を行けばいいんだ」
二つに分かれた道で、シタダミとサクヤは迷った。この時、まっすぐ行くべきだったのだが二人は左の道を選んでしまった。残念ながらクサナギの気を正しく受け止められるほどの力はこの二人にはまだなかった。
うっそうとした森を突き進んで開けたところに出たが、そこは、かつてのクシナダ族の都のあとで、見渡す限り荒涼とした廃墟だった。
「ここは……?」
サクヤは不安になって、シタダミにしがみついた。シタダミもサクヤの肩を強く抱えたが、しょせんはまだ子供、恐れと不安で震えそうなのをかろうじてこらえていた。
破壊されつくした都は、二人の背よりも高い雑草が生い茂り、がれきの間には骨のようなものも見える。
「母さんから聞いたことがある。クシナダ族の都だ」
「ここが?」
「ああ。ほら、あれがたぶん宮殿の……」
シタダミが指をさして教えようとするより早く、サクヤはかけだしていた。
「サクヤ!」
サクヤは壊れた宮殿の柱に取りすがって大声で泣きだした。それは自分でもわからない行動だった。しかし、今は亡き母の生まれ育った場所だと思うと、急に悲しみがこみ上げてきたのだ。それはシタダミにとっても同じだった。サクヤの祖父が王であった時、シタダミの父は、宰相としてこの宮殿に仕えていたのだから。しかもその時の政はうまくいっていて、国民は幸せに暮らしていたのだという。