PLASTIC FISH
00.凍てる蝶(1/2)
――一つ。
眠らない街と違って、静まり返った病院の廊下を、耳に心地よい音が響く。
――二つ。
鈴の音が、繰り返される。それに混じり聞こえる、かすかな足音。リノリウムの床を靴で歩いているにしては、静かすぎる異質な音。
――三つ。
最近になっての噂だ。
この病院には、夜な夜な病院中を徘徊する幽霊が出るという。闇に溶ける黒く長い髪、喪服のように真っ黒な服、その特徴こそ共通している。
だが、目撃した患者や病院関係者も、それ以上のことは何も語らない。記憶がぼんやりとして、思い出せないと口を揃えるばかりだ。
――四つ。
しゃらん、と音の色を変えた鈴。幽霊と称されるそれは、一つの部屋の前で止まった。
個室ではなく、四人――広くて六人分のベッドと仕切りを配置できるほどの、大部屋である。
音もなく扉が開く。いや、音はしている。しているのだが、それは現世には届かないまま沈んで消えていく。
一歩、足を踏み入れた。
閉められたカーテンを通して、月明かりが揺れる。雲はあれど月は隠れぬ、満月の夜だった。
「……ん」
わずかな気配。同じ部屋の患者が手洗いに起き出したのだろうか、それともまた一騒ぎやらかしてくれるのだろうか、と入院患者の一人である少女は思った。
だが、衣擦れの音はしない。足音もない。看護師が深夜の見回りのためライト片手に訪れたのだろうか――しかし、そんな不自然な明るさもない。
「……?」
気配が濃くなった。
噂の幽霊だろうか、ああ、そうだとしたら自分はどう反応するべきだろう。霊感はまったくない。だからこそ、無縁だと思っていたのに。
まあ、かといっていきなりくびり殺されることもあるまい。このまま眠ることもできないのなら、いっそと少女はもぐりこんでいたシーツの中から頭を出した。
作品名:PLASTIC FISH 作家名:桜沢 小鈴