夏のおわりの花火の涙
『夏のおわりの花火の涙』
「花火やろう、花火」
と言いながら部屋に入ってきたのは、隣の家のバカ息子。何がバカかって、用がある時はノックしろと10年以上言っているのにろくに守ったためしがないところ。プラス、ハタチ前のうら若き乙女の部屋に許しも得ずにずかずかと入ってくるところ。
「……あんた、人の言うこと聞いてんの」
「なにが?」
堪えていない、というより全然わかっていない表情で、けろっとそう返してくる。高2にもなって、背丈だけは無駄に伸びたけど、中身は小学校低学年並みだ。それこそ10年ぐらい成長していないんじゃなかろうか、と思う。
重ねて言うのもバカバカしくなって、私はため息をついてから「もういい。で、花火って何?」と聞いた。
「あ、そうそう。バイト先で、余ったからって山ほどもらってきたの。だからやろう」
「嫌」
「うわ。問答無用すぎない?」
問答の必要あるの、とでも言えば早いのだろうけど、つい習慣で丁寧に、教え諭すように言ってしまう。
「あのね。今は9月よ。そんな時期に花火なんかしてたら目立ってしょうがないでしょ。だいたいどこでやろうってのよ。公園はどこも花火禁止だし、昔使ってた駐車場はだいぶ前になくなったし」
「河川敷なら大丈夫じゃない、先月やってる人見かけたし」
「遠いじゃないの」
「自転車で行けばすぐだって」
だから花火やろうよ朋ちゃん、とにこにこと子供みたいな笑顔、心の底から「花火がしたい」といった表情に、私の気持ちは傾いた。そんなに花火がしたいんなら付き合ってやってもいいか、という感じで。——まあ、どうせ暇なのだし。
「お母さん、ヒロが花火やろうって言うから河川敷まで行ってくる」
「浩弥くんと?」
大丈夫なの、と心配する口調の母に「自転車で行くし1時間かそこらで帰るから」と、軽い調子で返す。母にとってもヒロはやっぱりまだまだ子供らしい。内心笑ってしまう。
「車に気をつけなさいよ、朋子」
背中で母の注意を聞きながら、外に出る。ヒロはすでに自転車とスタンバイしていた。前かごには言った通りの山ほどの花火。
自転車を10分ほど走らせて着いた河川敷は、無人だった。今の時期、7時近くにもなるとさすがに暗い。下りてきた坂の脇に自転車を止める間に、早くもヒロは花火を広げてロウソクの準備をしている。私はバケツを手に川に近づき、水を汲む。水量の少ない川だから集めにくくて、備えに持ってきた空のペットボトルも使う。
そうして戻った頃には、準備万端整っていた。2つ3つ手に持ちながらヒロが笑う。
「どれからする?」
「そりゃまあ、オーソドックスなやつからでしょ、やっぱ」
というわけで、手持ち花火各種を片端からやっていった。何本も持っていっぺんに火をつけたりして、これまでに経験のない大胆な方法を試みた。火の粉がむやみに飛ばないようには気をつけたけど、普通では見られない派手さにはしゃいで、いささか羽目をはずしていたことは否定できない。
「ええ、10本は持ちすぎじゃない?」
「いいじゃないの、ちまちまやってたら時間いくらあったって足りないんだから」
打ち上げを残してあらかたやり終える頃には、アルコールは一滴も入っていないのにナチュラルハイに近い状態だった。
「あ。バケツいっぱいになっちゃった、どうしよ」
「ゴミ袋持ってきた。朋ちゃん、移し換えといて。新しい水汲んでくるから」
と言ってヒロは、ペットボトルを持って川の方に走る。そんなふうに気を回すなんて、めずらしいこともあるものだ。
ちょっとしたフリマができそうなぐらい並んだ打ち上げ花火の封をひとつずつ取る間、さっきまでとは真逆の静けさの中にいた。急に酔いが醒めたように、ナチュラルハイな気分も鎮まっていこうとする。余計なことを考えないよう、封緘紙を取ることに集中した。
「朋ちゃん」
「なに」
「あいつと別れたの?」
一瞬手が止まった。すぐにまた動かしながら「なんの話よ」とわからないふりをする。けれどヒロははぐらかされてくれず、確信的な口調で繰り返す。
「別れたんでしょ、カレシと」
「————、……なんで知ってんの」
「こないだうちの前で電話してたじゃない。部屋にいても聞こえたよ」
それは先週の話だ。会話を続けながら家に入りたくなかったからなのだが、そんなにも声が響いているとは気づかなかった。花火に視線を向けたまま答える。
「だったら、なによ。あんたには関係ないでしょ」
沈黙が流れた。全部の封を取ってもまだ、続いていたほどに長く。落ち着かなくなって顔を上げると、目が合った。
一瞬、違う相手がそこにいるような気がした――幼なじみじゃない、もっと大人の男の人が。けれど、目をそらしてしゃがんでいるのは当たり前だけどやっぱりヒロで、花火をいじりながら尋ねてきた。
「なんで別れたの?」
余計なお世話だと返すところなのに、なぜかそうは言わなかった。口が勝手に動いて、気づいたら全部打ち明けていた。
1年先輩だった彼氏と同じ大学を目指していたこと、秋からの半年ほどは勉強に集中するため電話やメールも控えめだったこと。そして久しぶりに会ったらなんだか様子がおかしくて、同じ大学の別の子と付き合っているとつい1ヶ月ほど前にわかったこと。……問いつめた時、どんなふうに言われたかも。
「待ってるのが嫌になったんだって。半年もろくに会わなかったら付き合ってるなんて言えないし、他の子に目移りしても当然だろって」
努めて淡々と話す横で、ヒロは並べた花火に順番に火を点けていく。導火線に赤い光が走り、少しの間を置いて川の方に傾けた発射口から飛び出したものが、頭のはるか上で弾けて小さな光の円を描き、しだれて落ちる。
きれいだと思いつつ、延々と繰り返される光景を見ているうちに、寂しい気持ちも湧いてきた。寂しさは少しずつ、心の底に押し込めていた悲しさ、みじめさ、辛さを浮かび上がらせてくる。
頑張ったつもりだった。ともかく受かるのが第一だと、大学に入れば好きなだけ会えるんだからと考えて、会いたくてたまらない時も我慢した。向こうもわかってくれていると思っていたから、デートの誘いが少なくなっても気にしなかった。……本当は寂しかったけど、気にしないようにした。
「我慢しすぎだったんじゃないの」
それ以外にない、という調子であっさりと言われた感想。
「花火やろう、花火」
と言いながら部屋に入ってきたのは、隣の家のバカ息子。何がバカかって、用がある時はノックしろと10年以上言っているのにろくに守ったためしがないところ。プラス、ハタチ前のうら若き乙女の部屋に許しも得ずにずかずかと入ってくるところ。
「……あんた、人の言うこと聞いてんの」
「なにが?」
堪えていない、というより全然わかっていない表情で、けろっとそう返してくる。高2にもなって、背丈だけは無駄に伸びたけど、中身は小学校低学年並みだ。それこそ10年ぐらい成長していないんじゃなかろうか、と思う。
重ねて言うのもバカバカしくなって、私はため息をついてから「もういい。で、花火って何?」と聞いた。
「あ、そうそう。バイト先で、余ったからって山ほどもらってきたの。だからやろう」
「嫌」
「うわ。問答無用すぎない?」
問答の必要あるの、とでも言えば早いのだろうけど、つい習慣で丁寧に、教え諭すように言ってしまう。
「あのね。今は9月よ。そんな時期に花火なんかしてたら目立ってしょうがないでしょ。だいたいどこでやろうってのよ。公園はどこも花火禁止だし、昔使ってた駐車場はだいぶ前になくなったし」
「河川敷なら大丈夫じゃない、先月やってる人見かけたし」
「遠いじゃないの」
「自転車で行けばすぐだって」
だから花火やろうよ朋ちゃん、とにこにこと子供みたいな笑顔、心の底から「花火がしたい」といった表情に、私の気持ちは傾いた。そんなに花火がしたいんなら付き合ってやってもいいか、という感じで。——まあ、どうせ暇なのだし。
「お母さん、ヒロが花火やろうって言うから河川敷まで行ってくる」
「浩弥くんと?」
大丈夫なの、と心配する口調の母に「自転車で行くし1時間かそこらで帰るから」と、軽い調子で返す。母にとってもヒロはやっぱりまだまだ子供らしい。内心笑ってしまう。
「車に気をつけなさいよ、朋子」
背中で母の注意を聞きながら、外に出る。ヒロはすでに自転車とスタンバイしていた。前かごには言った通りの山ほどの花火。
自転車を10分ほど走らせて着いた河川敷は、無人だった。今の時期、7時近くにもなるとさすがに暗い。下りてきた坂の脇に自転車を止める間に、早くもヒロは花火を広げてロウソクの準備をしている。私はバケツを手に川に近づき、水を汲む。水量の少ない川だから集めにくくて、備えに持ってきた空のペットボトルも使う。
そうして戻った頃には、準備万端整っていた。2つ3つ手に持ちながらヒロが笑う。
「どれからする?」
「そりゃまあ、オーソドックスなやつからでしょ、やっぱ」
というわけで、手持ち花火各種を片端からやっていった。何本も持っていっぺんに火をつけたりして、これまでに経験のない大胆な方法を試みた。火の粉がむやみに飛ばないようには気をつけたけど、普通では見られない派手さにはしゃいで、いささか羽目をはずしていたことは否定できない。
「ええ、10本は持ちすぎじゃない?」
「いいじゃないの、ちまちまやってたら時間いくらあったって足りないんだから」
打ち上げを残してあらかたやり終える頃には、アルコールは一滴も入っていないのにナチュラルハイに近い状態だった。
「あ。バケツいっぱいになっちゃった、どうしよ」
「ゴミ袋持ってきた。朋ちゃん、移し換えといて。新しい水汲んでくるから」
と言ってヒロは、ペットボトルを持って川の方に走る。そんなふうに気を回すなんて、めずらしいこともあるものだ。
ちょっとしたフリマができそうなぐらい並んだ打ち上げ花火の封をひとつずつ取る間、さっきまでとは真逆の静けさの中にいた。急に酔いが醒めたように、ナチュラルハイな気分も鎮まっていこうとする。余計なことを考えないよう、封緘紙を取ることに集中した。
「朋ちゃん」
「なに」
「あいつと別れたの?」
一瞬手が止まった。すぐにまた動かしながら「なんの話よ」とわからないふりをする。けれどヒロははぐらかされてくれず、確信的な口調で繰り返す。
「別れたんでしょ、カレシと」
「————、……なんで知ってんの」
「こないだうちの前で電話してたじゃない。部屋にいても聞こえたよ」
それは先週の話だ。会話を続けながら家に入りたくなかったからなのだが、そんなにも声が響いているとは気づかなかった。花火に視線を向けたまま答える。
「だったら、なによ。あんたには関係ないでしょ」
沈黙が流れた。全部の封を取ってもまだ、続いていたほどに長く。落ち着かなくなって顔を上げると、目が合った。
一瞬、違う相手がそこにいるような気がした――幼なじみじゃない、もっと大人の男の人が。けれど、目をそらしてしゃがんでいるのは当たり前だけどやっぱりヒロで、花火をいじりながら尋ねてきた。
「なんで別れたの?」
余計なお世話だと返すところなのに、なぜかそうは言わなかった。口が勝手に動いて、気づいたら全部打ち明けていた。
1年先輩だった彼氏と同じ大学を目指していたこと、秋からの半年ほどは勉強に集中するため電話やメールも控えめだったこと。そして久しぶりに会ったらなんだか様子がおかしくて、同じ大学の別の子と付き合っているとつい1ヶ月ほど前にわかったこと。……問いつめた時、どんなふうに言われたかも。
「待ってるのが嫌になったんだって。半年もろくに会わなかったら付き合ってるなんて言えないし、他の子に目移りしても当然だろって」
努めて淡々と話す横で、ヒロは並べた花火に順番に火を点けていく。導火線に赤い光が走り、少しの間を置いて川の方に傾けた発射口から飛び出したものが、頭のはるか上で弾けて小さな光の円を描き、しだれて落ちる。
きれいだと思いつつ、延々と繰り返される光景を見ているうちに、寂しい気持ちも湧いてきた。寂しさは少しずつ、心の底に押し込めていた悲しさ、みじめさ、辛さを浮かび上がらせてくる。
頑張ったつもりだった。ともかく受かるのが第一だと、大学に入れば好きなだけ会えるんだからと考えて、会いたくてたまらない時も我慢した。向こうもわかってくれていると思っていたから、デートの誘いが少なくなっても気にしなかった。……本当は寂しかったけど、気にしないようにした。
「我慢しすぎだったんじゃないの」
それ以外にない、という調子であっさりと言われた感想。
作品名:夏のおわりの花火の涙 作家名:まつやちかこ