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城塞都市/翅都 40days40nights

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「ミハイルの殺された理由が、自分が死ぬだけで終わるようなモノなら、ミハイルが俺たちに「助けてくれ」なんて言う筈がねえんだ。だから、ミハエルが殺された理由は、ミハイルが死んでも生きてる。同じ理由でテメェも殺されたかったら話は別だけどな。生き延びる気があるなら目を逸らすなよ。現実は容赦ねぇんだからよ」
 思い出した。あの出来事が現実だったこと。道理でこの人の喋り方や目の色に覚えがあったはずだ。わたしをあのアパートから連れ出したのは、この人なんだから。
 細く息をついて、まだ震える手をそろそろと塞いでいた耳から外す。外した手をどこに置こうか迷って、瞬間上から落ちてきた誰かの手が、まだ小さく震えているわたしの、冷えた指先を握り締めた。
 見上げると、ジョシュアさんが厳しい目で彼を……イーシュアン、を、見ている。
「……いい加減にしろ、イーシュアン」
 押し殺した声で、ジョシュアさんが言った。
 さっきまでのおどけた調子なんか微塵もない、とても威圧感のある声だった。
「この子に八つ当たりしたって仕方がないだろう。そんなことをしても、ミハイルは帰ってこないぞ」
「別に八つ当たってなんかねぇよ。ちっとばかしイラついてはいるけどな」
「それを八つ当たりって言うんだろうが。いいからお前は黙ってろ」
 言われて、命令口調に一瞬剣呑な顔をしたイーシュアンは、それでも低く喉を鳴らしただけで口を噤んだ。
 黙り込んだイーシュアンをもう一度睨んでから、ジョシュアさんは太い息を吐いて、わたしの指先から手を離す。
「まぁ、その、なんだ。ミハイルのことは残念だったけど、妹の君が無事なのはなによりだ。天国の兄貴に代わって、落ち着くまでは俺たちが責任持って君の面倒を見るから、安心してくれ……で、そのためにも少し聞きたいことがあるんだけど」
 子供にするみたいに、ぽんぽんとわたしの頭を叩く。仕草がまるで兄さんがわたしにしてくれてるみたいで、自然と喉が震えた。
 泣きそうだと思った。でも不思議と涙は出てこなかった。
「兄貴があんなことになる前に、君、何か預からなかったか?どんなものでもいい。たとえば紙切れとか、ゴミみたいなものでも……あとは、『家の鍵』とかさ」
 ただ鼻の奥だけがツンとなって、息苦しい頭の中で、ジョシュアさんが言ったことを考えてみたけれど、なにも思いつかなかった。
「鍵」ってぐらいだから、なんか物なんだろうとか。そういえば誰かが言ってたような気がするけど、でもわたしは兄さんから鍵なんか預かってない。もう何にも解らない。
「そっか。ああ、あんまり悩むな。医者の説明聞いてただろ?なんか悩むのが悪いらしいからな。気楽にしてろ」
 情けなく眉を下げて、ぼんやり首を横に振ったわたしの頭を最後にもう一回、ごしごしっと強く撫でてから、ジョシュアさんが小さく笑った。
 それからわたしから離れて、部屋のドアの方へと足を向けたジョシュアさんを、イーシュアンが呼び止める。
「で、どーすんだ?」
「どうするもこうするも、彼女はとりあえずはウチで預かるしかないだろうな。まさか一人で放り出すわけにもいかないし、文字の読み書きもできなけりゃ口もきけないっつーんじゃ、詳しい事情も聞き出せないしよ。ったく、こんなことならあの時、無理やりにでもミハイルから事情を聴きだしておくべきだったぜ……つーわけでイーシュアン、お前は今日からウチだ。解ってるとは思うが、ミハイルがあんな目にあった以上、気は抜けないぞ」
「ラージャ。メシは出るんだろ?」
「アホか。自分で作れ」
「なんだそれ!?飯ぐらいつけろよ、仕事なんだからよ!」
「喚くな愚弟。俺に店の仕事やりながら、主婦の真似事までしろってのか?月末には六曜館にも行かにゃならんし、今はバザーも近くて忙しいんだから、余計な手間かけさせんな……ああ、ターシャ。話は終わったから、あの子の世話頼むわ。ちゃんと寝かせてやってくれ」
 食事は出ない、と聞いたイーシュアンは、いかにもショックだって顔をした。台所のターシャさんに呼びかけながら部屋を出て行くジョシュアさんの背中をしばらく睨んでから、やおらテーブルから降りて、ソファでいつの間にかぐっすり眠りこけている最後のそっくりさんを蹴り飛ばす。
「ふざけやがってあの野郎……ったく、お前も暢気に寝てんじゃねえよ、アキ!仕事しろ!」
「ふぎゃっ!?……え?え?なに、一体どうしたの?」
 ソファの上から叩き落されたそっくりさん……アキさんは、何が起こったのか解らない様子でしばらく辺りを見渡した。
 機嫌悪そうに自分を見下ろしているイーシュアンに気がつくと、ごしごしと目を擦りながら欠伸をかみ殺したみたいな顔をする。
「なんだ、イーシュアンか……あれ、ジョシュアは?話は終わったの?」
「とっくに終わったよ、そんなもん……おら、さっさと立て!行くぞ!」
 まだまだ寝ぼけ眼の弟を半ば引きずるようにして部屋から出て行く間際、彼は一回だけ肩越しに振り返ってわたしを見た。
 あの時そう思ったのと同じような、意地悪な目だった。一瞬だけ刺すようにわたしを睨んだイーシュアンがアキさんと一緒に出て行ってしまえば、部屋は一気にしんと静まり返ってしまう。
 その沈黙が、今は逆に落ち着かなかった。なんだかすごく疲れている。いろいろ起こり過ぎて、ほんとうにワケが解らなくて、もう何もかも放り出したい気持ちで一杯だった。
「あらやだ、あなた、大丈夫?泣きそうな顔してるけど……まったく、またあの男は、あれだけこの子が怖がる話はしちゃ駄目よって言ったのに」
 そうして出て行った三つ子と入れ替わりで入ってきたターシャさんは、わたしの顔を見て「泣きたいならあたし、外に出てよっか?」と心配そうに言った。
 兄さんが死んだ。死んでしまった。それは十分に泣いてもいい理由だった。実際、そう聞いて大声で泣きたいような気分だったし、泣くべきだとも思ったのだけど、でも不思議と涙が出てこなくて、どうしても泣けなかった。
 涙が一瞬で枯れ果ててしまったみたいだ。それでわたしが首を横に振ると、ターシャさんは「そっか」と小さく頷きながら手早くベッドのシーツや布団をきちんと整えてくれた。
「散々な夜だったわね。眠れそう?眠れないならおしゃべりでもなんでも付き合うわよ……って、ごめんなさいね、余計なこと言って」
 声をなくしたわたしに、おしゃべりは出来ない。口許を押さえたターシャさんに促されて、布団の中に潜り込む。ふと見上げた窓の鎧戸の隙間から微かな光が漏れていて、多分外はもう朝になったんだろう。ターシャさんの手がくしゃくしゃっと私の頭を撫でてくれて、なんだか今日はよく頭を撫でられる日だ。そういえば普段、こんなにひとから頭を撫でられたことなんかなかったなと思って笑おうと思ったけど、今は笑えなかった。
 だって、一番そうしてくれてた兄さんが、もう居ない。
「疲れたでしょう。ゆっくり眠って」
 髪を撫でていた柔らかい指先が、するりと抜けていく。
 離れていく温もりに、空から落ちてきたような出来事に、やっぱり訳も解らず泣きたくなって、でも泣けなくて、それから後も眠れたのか眠れなかったのか、あんまりよく覚えていない。