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その腕にほだされて

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 あの日から一週間後、椿の元に一通の封筒が届いた。差出人のないその中には、三月発行の美術館のパンフレットと、陸也と椿に向けた手紙が添えられていた。
 柔らかさが滲んだ流暢な文字で、「よかったら、遊びに来てください」と書かれていただけだったが、その一言から菱沢の心の変化を感じ取る。
「今度は承諾してくれるといいけどな。でも、浮気はさせないから、覚えておけよ」
「しないって」
 ただ純粋に菱沢を描きたいだけ。
 会った時に、菱沢の雰囲気が変わっていたのに気づいた。柔らかい笑みや物腰は以前と同じなのに、陸也が菱沢から受ける印象が以前とはまったく違っていた。
 言葉では上手く表現できない。けれど、その変化は良い方向に向かっていると確信出来る。だから、今の菱沢を描き残したいと陸也は思っていた。
 それに、椿が本気で疑っているんじゃないと分かっているから、返す口調も自然と柔らかくなる。
 陸也が一番傍にいて欲しいのは、椿だけだから。
 出会ってまだ数ヶ月。けれど、自分達はまだまだ始まったばかりだ。
「ねえ、瑛一さん」
 陸也は椿を見上げ、微笑みを浮かべた。
「今ここで抱きしめて、キスしてって言ったら、困る?」
 オフィス街なので人通りはそれなりにある。
 そんな往来の中で、わざと悪戯な気持ちを込め問いかけてみると、椿は苦笑した後に迷いもせず、腕を伸ばし陸也を引き寄せた。精悍な眼差しが真っ直ぐに陸也に注がれる。漆黒の双眸に映る自分の姿を確認しながら、これから先も椿の傍にいたいと陸也は切に願う。
 好きだと耳元で囁かれ、言葉とぬくもりに心がほだされていく。
 自分から言い出したのにも関わらず、恥ずかしくて赤くなってしまった陸也の頬を、椿の手がそっと包み込んだ。
「瑛一さん……?」
「自信持てよ。会社も社会的地位も、何もかも投げていいくらい…──陸也が大事なんだぞ」
「…うそ…だ」
「こんな事、冗談でも言える性格じゃないのは、陸也も分かってくれてると思ったんだけどな」
 もう一度。今度はさっきよりも強い抱擁に、甘い目眩がする。
 次第にぼやける視界に、椿の顔が滲んだ。頬を伝う涙の意味。それが何なのかは、椿が与えてくれる熱が教えてくれるだろうと、降り落ちるキスを受け止めながら、陸也は愛しさを込めて広い背中を抱きしめ返す。
「……待たせてすまなかった。でも、本当にもう大丈夫だからな」
「瑛一さん……」
 耳元に落とされた言葉の意味を、陸也はすぐに理解する。
 以前、描きかけのまま置いてあった人物画を陸也が持ち出し、誰なのかと尋ねた。
 恵理子の名前に、陸也はその絵を完成させてみてはどうだろうかと椿に話したのだ。
もう彼女はいない。
けれど、思い出の中にいる恵理子を残す事は出来る。だから、きちんと完成させて恵理子への想いに決着をつけて欲しかった。
椿自身が前に進む為。過去を過去として納得させる為。
「好きだ。……──誰よりも」
 さっきよりも強い抱擁に目眩がする。求めてくる腕に身を預けながら、陸也も椿に好きだとそっと囁いた。





作品名:その腕にほだされて 作家名:サエコ