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 ミケを拾ったのは俺が小学2年の夏。朝のラジオ体操の帰りに、小学校の校庭の隅で見つけた。段ボールには何も書かれていなかったけれど、底に一枚タオルが敷いてあった。覚えている。夏の陽射しが朝なのにきつくて、コンクリの上に直接置かれたその段ボール箱にも太陽は容赦しなかった。一目で捨てられているのだとわかった。覗き込むとまだ目も開いていないような仔猫が三匹。キジトラ模様の小さな二匹の目やにで堅く閉じられた両目にはすでにハエがたかっていて、硬直した体は、子供目に見ても死んでいると思った。残った一匹の三毛猫も、耳にはびっしりダニをつけ、見えているのかいないのかわからない両目からドロドロと目脂を垂らしていた。
 とにかく段ボールを抱えて、近所の動物病院へ走った。早朝だったが、ガラス戸越しに声をかけたら、医師はドアを開けて迎え入れてくれた。やはり二匹は死んでいて、俺は医師に言われるままに、動物病院の裏側を回ったところにある彼の私宅の庭に穴を掘って、そこに二匹を埋めた。かさついた、硬直した、軽く小さな、遺体だった。段ボールの底に布いてあったタオルに二匹をそっと寝かせて、辺りを見回したらちょうどアジサイの葉が青々と茂っていたから、それを何枚かひきちぎって二匹の上にそっとのせた。その上から土をかけた。土はひんやり湿っていた。俺が初めて触れた死だった。


 今にも死にそうな汚い仔猫を拾って帰った俺を母親は叱り、元あった場所に戻して来いと言った。取りなしてくれたのは、祖母だった。ピーピーと力ない声を出す汚れた毛の塊を、可愛いと言った。そしてミケは、祖母の猫になった。


 時代劇のない夜はミケとよく散歩に出る。昔、ミケを拾った小学校までの、歩いて15分ほどの道程を、二人でフラフラ歩いていく。ミケは俺の後になったり先になったり、ブロック塀の上を歩いたりしながら、短尾を振り振り、たいていご機嫌だ。夜の空気に鼻をうごめかせるミケは、何か遠く離れたものと交信している。
 何を嗅いでいるのか、と聞くと、ちょっと考えて
「好い男の情報ですよ」
とニヤリと笑った。
 キウイの棚が立派な、庭の広い家の前を通った時、その芝生の上に何匹かのネコが集まっているのが見えた。集会だ。振り返って、キウイの落ち葉に戯れているミケに猫の集会に出なくてもいいのかとこっそり聞くと、そんなのは若い衆がやることなのだという。妖になれば、もう集会には出なくてもいいのだという。もっとも、確かに、妖となったミケを、近所の猫たちが今までと同じように受け入れるとは思えないからそれも道理だ。
 ミケはキウイの葉にすぐ飽きて、さっさとブロック塀の上を歩いていく。軽い足取りに、あわててその下を追った。
 ピロピロとミケの短尾が跳ねる。
 ミケの背中は相変わらずボコボコと波打って、背骨のありかがわかる。
 色が抜けて白っぽくパサついた毛並みが、常夜灯の白い光に照らされてますますパサついて見える。
 妖になったのに。
 ミケの姿は、小学生の夏に見た死の姿によく似ている。
 祖母の死に顔を思い出す。黄色い皮膚の上に刷毛で白く掃いたような顔は、湿っているようにも乾いているようにも見えた。
 妖になるということは、死から遠ざかることではないのか。死の対極ではないのか。
 軽い躯。食べずとも、光をたたえクルクルと動く目。その光は生の光ではなく、なにかもっと異質な力の光なのか。
 妖になるとは、死にながら生きていることなのか。
 ミケ。お前、生きているのか?
 それとも死んでいるのか?
 耳の後ろの柔らかさはそのままなのに、お前はもう妖なんだな。
 とっとと塀の上を進む、爪が出しっぱなしの四肢。カツカツと、爪がコンクリを引っかくかすかな音がする。
 時々ちらりと振り向いて俺の姿を確認するミケの目は、かちりと赤く燃えるように光る。
 常夜灯の灯りが届かなくなると、そこで一瞬ミケの姿は闇に包まれたぼぅっとした白い塊になる。俺はあわてて目を凝らす。ふわりふわりと、闇の中で白くミケの姿が踊る。
 ミケ、あんまり先に行くな。
 それが言えない。ただ足を少し早める。
 生きているものならいつかはいなくなるが、妖はどうなのか。死んでいるのか生きているのかよくわからない妖はどうなのか。ずっとそばにいるのか。いてくれるのか。それが聞けない。
 先に行くなよ。それが言えない。
「ミケ、ミケ」
と、闇に向かって呼び掛けると、随分と向こうの暗闇の中から
「タケルさん」
と声がした。
作品名: 作家名:森林