王子
野心を持つには恵まれ過ぎ、安寧につかって生きるには少し時期が悪かった。それが彼の不運だったが、もっと悪いことに彼は血の臭いに気付かぬ振りができる程、理性的な男ではなかった。つまり、優しかったのだ。人並みに。
認めたくはないが己が身の内のその甘さが、自分を血溜まりに飛び込ませるのだろうと、彼は静かに諦めた。
窓の外で、雁の群が鳴き交わす声が聞こえた。
「あなたは」
男が静かに口を開いた。
「あなたは優しい方ですから」
胸の血を絞り出すようにそれだけ言って目をそらした。
優しい。違う。臆病なだけだ。
王子は自嘲したが、口には出さなかった。
血の臭いのまっただ中に飛び込む。
ああ、愚直だ、と彼は思った。なんと愚かなことだろう。
「グレゴール、私は愚かだ」
窓の隙間から、一条の光がまっすぐ部屋を横切った。靴の先にかかった一筋の光をそっと見下ろし、男が呟いた。
「見届けます、私は、すべて」
その一瞬、男の顔を過った絶望は、王子を満足させるのに十分だった。