Father Never Say...
番外編:ブランコ・セレモニー
小学五年の秋のこと。学校の近くにあるせいかたまり場になっている外崎の家に集まって、さんざん騒いだ帰り道。
唯一同じ方向の北澤と並んで歩きながら、聖人の足取りはだんだん重くなり、ついには立ち止まってしまった。
「どうした?」
「帰りたくない」
「は?」
「愛美さんとケンカしたから。顔、合わせづらい」
覗き込めば、地面を睨むように俯いて、眉間に皴を寄せている。聖人には似合わない表情だと思った。
聖人は姉のことを名前にさん付けで呼ぶ。純粋な敬意の表れだ。愛美は聖人たちより七歳も年上で、北澤は彼女に会うたび恐縮してしまう。高校生にしたって大人びていて、さすが良家のお嬢様だと感心させられるのだ。
「どんなケンカしたんだ?」
愛美の意思が強そうな凜とした横顔を思い出しながら、北澤は慎重に尋ねた。
彼女は滅多に怒りそうにないし、聖人とて生半可なことで腹を立てるような子供っぽさとは無縁だ。むしろこの姉弟のケンカなど、北澤には想像もつかない。
ケンカといえば北澤は昨夜子供部屋のテレビの使用権を巡って弟と争ってしまったが、まさか聖人たちはそんなくだらないことで揉めたりはしないだろう。
「……俺が、悪いんだ」
聖人は随分と躊躇ってから、ようやく重い口を開いた。
「俺が愛美さんの大事なものを壊したから」
「……ああ」
それならば、と納得してしまった。
「でも、わざとじゃないんだろ?新しく買って仲直りできないのか?」
「わざとじゃないけど…俺が買ってもダメなんだ。だってあれは……愛美さんの……」
「え?」
「……なんでもない。とにかくあやまってすむことじゃないんだ。だから…申し訳なくて」
「ん〜。よくわかんないけど、そうやっておまえが心から申し訳ないって思ってるなら、愛美さんだって許してくれるんじゃないのか」
「うん。愛美さんは優しいから……」
「じゃあ大丈夫だよ。ちゃんと謝りに行こう。オレもついてってやるし」
それを聞くなり、聖人はパッと顔を上げ、目を丸くして北澤を見つめた。
「何?」
「……それじゃ、俺の気持ちが済まないんだよ」
口をへの字にしてため息をつき、弱々しい声で呟く。
「ムズカシイ奴だな」
北澤が苦笑すると、聖人の表情はますます崩れた。
「だって」
「でも、避けてたってしょうがないだろ。帰りが遅くなれば、みんな心配するよ。愛美さんだって…」
「今日は北澤さんちに泊まる」
「ダメだ。いきなり言われても困る。母さんもう夕飯作り始めてるだろうしな」
「わかったよ。帰ればいいんだろ、帰れば」
もしかしたら聖人は、ただ背中を押して欲しいだけだったのかもしれない。不貞腐れたような口ぶりのわりには、きびきびと軽快に歩き出す。
しかし白河家の門をくぐると、聖人はあらぬ方向へ足を向けた。
「お、おい!玄関はそっちじゃないだろ?」
北澤は慌てて後を追うが、聖人は黙って先を行き続ける。
太陽はだいぶ前に沈んでしまい、空は薄暗い。しかし白河家の敷地内にはいたる所にライトが設置されており、屋敷を囲うプロムナードを明るく照らし出していた。
やがて、ツツジや椿が植わる広い庭園に出た。奥の方に、木の枝に下げられた、いかにも手作りのブランコが見える。
聖人はそれに腰を下ろすと、緩やかにこぎだしながら、屋敷の建物を見上げた。
「ったく。なんなんだよ?」
追い着いた北澤が文句をいえば、聖人は視線を屋敷に向けたまま微笑む。
「お気に入りの場所なんだ、ここ」
「うん?」
「嫌なこととか、うまくいかないことがあると、ここに来て頭を冷やすんだよ」
「……へぇ」
そういえば北澤の祖母(つまり外崎の母)は、むしゃくしゃすると必ず行きつけのカラオケボックスにひとりでこもり、オールナイトで歌いまくるらしい。──そんなようなものだろうか。
「ちょうどこうやってブランコにゆられてると、あの窓がよく見える」
「あの窓って……あれか?」
大きな屋敷にはいくつもの窓があったが、一際横に幅をきかせた、中の様子が伺える窓を発見した。
「あそこ、リビングルームでさ。食事の前後に家族でおしゃべりする場所なんだ。ここからあの窓の明かりを眺めてると、つらいこともなんでもなくなる」
「……そっか」
聖人は気が済むまでずっとそうしてブランコにゆられていた。
作品名:Father Never Say... 作家名:9.