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まつやちかこ
まつやちかこ
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せんこうはなびの約束

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『せんこうはなびの約束』:「短編家」企画参加・お題「花火」


 幼い頃の思い出、遠い日の約束。
 あの人は覚えてくれているだろうか。
 ——わたしを、覚えているだろうか。

 仕事帰りに立ち寄った駅ビルでは、いくつかの店舗でもう閉店準備が始まっていた。
 今日も8時過ぎまで残業で、これで5日連続である。営業担当の社員が先週いきなり辞めてしまって、当然そのとばっちりは営業事務の自分たちにも波及して、大変なことになっている。
 実を言えば先輩社員はまだ残っているのだが、入社1年目の自分にできることは良くも悪くも限られているため、今日はもう帰っていいよとお許しをもらったのだった。申し訳ないとは思ったものの、眠くて仕方がなかったので、今日のところは先輩たちの厚意に甘えることにした。
 そして職場の最寄り駅に向かう途中で、隣接するビルの中を歩いているところである。ここを通り抜ければ信号や踏切にわずらわされることなく、駅の改札にたどり着ける。
 ただしそれは駅ビルの営業時間内に限られるから、なんとか間に合って今日はラッキーだった。
 次の電車に間に合うようにと急ぐ足を、ふと止める。おもちゃ屋を兼ねた雑貨屋の前にワゴンが出ていて、半額セールのポップが貼られていた。その店では時々ヘアピンや髪飾りを買っている。何か使える物が入っていないだろうかと、習慣で近づいたワゴンの中身で目に留まったのは、当初の目的とは違う物だった。
 雑多な商品の中で端に寄せられて立てかけられている、花火セット。お盆が過ぎ8月も残り数日、残暑は厳しくてもこういう商品販売の上ではもう夏は終わりなんだなと、頭の片隅で思いながら手に取った。
 ……様々な手持ちタイプの花火の中で、唯一名称を書いた巻紙を付けられ、目立つ前面に入れられているのは、線香花火。
 家族でも友達同士でも、長らく花火などしていない。それでも毎年夏になれば線香花火を、小さな火花が飛び散る光景を思い出す。
 14年前の夏の夜にした、唯一の花火を。

 その頃家族で住んでいたのは、父親が当時勤めていた会社の社宅である団地だった。今でも名の知れた有名な会社だから団地の規模も大きく、同年代の友達はいたけれど皆そろって別棟住まいで、同じ棟には子供がいる家さえ少なかった。
 だから天気が悪かったり時間が遅かったりで友達の家には行けない時、よく訪ねたのは2つ隣の部屋。父親と同期入社の社員が、奥さんと一人息子との3人で住んでいた。
 父親同士だけでなく、母親二人も気が合ったらしく、夕食会をしたり初詣に一緒に出かけたりと、家族ぐるみで付き合っていた。
 親同士の年齢は近かったけど、自分は両親の結婚からずいぶん経って生まれた子供だったため、向こうの一人息子とは8歳も年齢差があった。にもかかわらず、というよりはだからこそかもしれないが、自分とその息子とは仲が良かった。自分は彼を兄のように慕ったし、彼も自分を妹みたいに可愛がって面倒を見てくれたのだ。
 彼のことは、ごく普通に「おにいちゃん」と呼んでいた。はっきり覚えているのは幼稚園ぐらいからの出来事で、その頃の彼はもう中学生だったはずだが、まとわりつく自分を嫌な顔ひとつせずにかまい、よく遊んでくれる優しい人だった。きっと子供好きだったのだろう。
 本当のお兄ちゃんだったらいいのにと思うほど、優しい彼が大好きで。本当の兄妹にはなれなくても、ずっとそんなふうにいられると、疑っていなかった。
 だが、自分が7歳の夏休み、突然引っ越すことになってしまった。父親が転職を決めたため、団地を出なければいけなかったから。
 転校すること、友達と別れなければいけないこと、何より「おにいちゃん」と会えなくなることが悲しくて、引っ越す直前まで泣き続けた。父親の転職は本人の意思ではなく、会社の人員整理の対象となったためだったのだが、7歳の自分にそんな事情がわかるはずもなく、ただ泣いてわめいて駄々をこねた。
 今思い返せば、両親には悪いことをしたと思う。両親だって、子供二人を抱えて急な環境の変化に対応しなければいけなくなって、きっと大変だっただろうに。自分が幼稚園に入った年に生まれた弟は、まだ2歳になる前だった。
 ともかく、自分が泣こうと駄々をこねようと当然ながら事態は変わらず、お盆明けには引っ越すことが決まった。
 引っ越しの何日か前、めずらしく「おにいちゃん」が家を訪ねてきた。いろいろお世話になったからと、餞別にお菓子や何やらを持って来たのだが、自分は奥の部屋に隠れていた。会いたいのはやまやまだったけれど、彼の顔を見たら泣いてしまいそうで恥ずかしくて、母親と彼が話す声を聞きながら膝を抱えていた。
 ふいに話す声が途切れ、部屋に向かってくる足音がした。襖を開ける音に顔を上げたら「おにいちゃん」がいて、途端にやっぱり、涙があふれてしまった。
 ぐすぐすと泣きじゃくる自分の頭を、彼は長いこと撫でてくれていた。もうすぐそんなこともしてもらえなくなると思ったらさらに悲しくなって、しつこく泣き続けた。
 『花火、やろうか』
 ふと思いついたように、彼がそう言った。その前年まで毎年、お盆の前後に家族そろって、団地脇の公園で花火をするのが恒例だった。だが公園での花火が禁止になり、急な引っ越しで両親が忙しくなったせいもあって、その年はしていなかったのだ。
 『引っ越しの前の日になっちゃうけど、土曜日の夜でいいかな』
 『あらまあ、ごめんなさい。受験生なのに』
 『いえ、土曜は塾が昼間だけですから』
 申し訳なさそうな母の言葉に、彼は笑って答えていた。晩ごはん早めに食べて迎えに来るから、と言ってくれた優しさが嬉しくて、必死に涙をぬぐいながら何度もうなずいた。

 土曜日の夜。
 母親に無理を言って、自分の分だけ夕食を先に用意してもらい、6時頃には食べ終えて待っていた。……だが、7時を過ぎて8時近くなっても「おにいちゃん」は来なかった。
 『お兄ちゃん、塾の追加補習があって帰るのは9時頃になるんですって。あきらめなさいって言ったのに、ずっとあそこにいるのよ』
 玄関の上がりかまちに腰を下ろして待ち続ける自分に呆れたように、母親が父親にそう話している声が聞こえた。だが何度あきらめろと言われても、そうする気にはなれなかった。「おにいちゃん」は必ず来てくれる。約束したことはいつもちゃんと守ってくれた。だから絶対に今度も迎えに来てくれる、そう信じていたから。