新世界
白い壁に、白い床、白い天井。
全く、僕のいるこの部屋と同じ空間が広がっていたんだからさ。
なんだなんだ、と僕は言葉を失って、その部屋を見つめた。その部屋の中心には、女の子が一人いた。その子は静かに微笑んで、僕の様子を見守っていた。で、僕はその子に尋ねたんだ。君は誰で、僕は誰で、どうして僕たちはこんな状況にいるのか、ってさ。何しろ、一日ぶりに会った他人だからね。僕は凄く興奮して、まくし立てた。
少女はそんな僕の剣幕に圧倒された様子もなく、怯えもせずに僕の話をきちんと最後まで、何の言葉も挟まないで聞いてくれた。僕が聞きたいことをすべて聞き終わると、彼女はまたにっこりと笑って、言ったんだ。
私たちは、この星で最後の人類なんだよ。私がイブで、君がアダムになるのかな。
で、当然のこと、僕は理解不能状態に陥った。どうしてこの星に、僕とこの少女二人しか残されていないのか。僕の記憶がない昨日までに、一体何があったのか。
少女は、僕のこの当然の疑問に対する答えも、きちんと用意していた。彼女は無言で、でも微笑をたたえたまま、そっと僕を彼女の部屋に引き寄せ、僕が今までいた部屋の壁を手で押した。僕の部屋が、ゆるゆると遠ざかっていく。
僕はそのときになって初めて気づいたんだ。今まで僕がいた部屋は、海の上に浮かんでいたのだという事に。そう、そこには真っ青な海原が広がっていた。それも、見渡す限り一面、海しかなかった。大陸も、小島も、陸地は何も見えない。ここは、太平洋なのか? いや、違う。ここは、太平洋でもインド洋でも地中海でもどこでもない。
ここは、世界だ。世界が、海に沈んでしまったんだ。僕は少女を見る。少女は言った。
人類も、他のあらゆる動物達も、雄と雌を一匹ずつ残しただけで、皆海の底に沈んでしまったの。旧約聖書の、大洪水だね。
僕はその言葉に、うなずくしかなかった。
どうして私たちが残されたのか、君は分かる?
彼女は、微笑んだままそう聞いた。僕は首を振る。分からなかったから。
彼女は海の向こう側へ漂っていく僕の部屋をじっと見つめながら呟いた。
世界中の科学者達が集まって会議を開いて、この世界に残すべき子供を世界中から捜し求めたの。でも、結局生き残るべき子供は一人も見当たらなかった。それで、残された時間をすべてつぎ込んで、私と君を創ったんだよ。
僕は、彼女の視線の先にある白い部屋を一緒になって見つめながら、聞いた。
じゃあどうして僕には、記憶はなくても知識があるんだい。この世界にかつて太平洋とかインド洋とか、そういう名前で呼ばれていた海があることを、僕はちゃんと知っている。でも君の話では、そういう海があったとき、僕はただの、ちっぽけな卵だったに過ぎない、ってね。
それはね、と少女は言う。
それはね、私たちが眠っていた今までの間、ずっと教育がなされていたからなんだよ。
そうか、と僕は肯いた。眠っている間を有効活用してたってわけだ。じゃあ、僕は本当に、今日の今日まで眠り続けていたというわけなんだね、と聞くと、少女は微笑んで、そうだよ、と答えた。
海は、穏やかに揺らいでは僕らの部屋を攫っていく。
聖書では、僕たちの他の動物達も、僕たちと同じ船に乗っているはずなんだけど、と僕が呟くと、少女は答える。
動物達も、きっと私たちと同じように海のどこかで眠りについているはずだよ。揺らされて、揺らされて、それはまるで母胎か、卵の中に眠っていたときみたいにね。
そうだね、と僕は肯く。じゃあ、僕たちは彼らを眠りから覚ましてやらなきゃいけないね。少女は肯く。
そう、それが私たちの役割だから。そのときに僕は、彼女のほうが僕より数段現状を上手く把握しているってことに気づいた。もしかしたら彼女は僕より年上なのかもしれない。でも、そんなことはどうでもよかった。だって、実際、僕は自分が何歳なのかすら分からないんだから。それに、今の僕たちに年齢なんて意味がない。これから始まる新しい世界で生きていく僕たちにとって、今まで生きてきた年数なんて、全くこれっぽちの価値もない。
しばらく僕たちはそうして海を見ていたけれど、やがて日が沈んで真っ暗になってしまったので、どちらともなく眠りについた。真っ暗な中で海の水音が響いて、微かに揺れる部屋の中、僕は経験していないのにも関わらず、母親の胎内を想った。
やがて夜が明けて、新たな世界の新たな一日が始まるだろう。そして、白い小さな部屋が、僕たちのいる部屋まで流れ着く。僕たちはその部屋をそおっと開ける。
中にはきっと、鳩が眠っているだろう。その口に、オリーブをくわえて――。