始まりの物語
初めに世界が形造られた。世界はやがて生命を育み、やがて人が生まれた。人はその偉大なる知を用い、世界の理を解き明かし、やがてそれは「魔法」という形で具現化した。
炎を操り、風を、水を、全ての事象を意のままに操る者達を、人々は「魔導師」と呼ぶ。
神に選ばれし一握りの魔導師達は、やがて世界の覇権をめぐり幾度となく争いを繰り返して行った。しかしその過程で強い力を持つ魔導師たちは少しずつ数を減らし、その勢力は衰えて行った。
魔導師たちが衰えて行く一方、魔法を使えない人々は代わりに科学の力を使い、その生活を豊かにして行く。木や鉱物を使い家を建て、火を使い、果てには恐ろしい破壊力を持つ兵器に手を出そうとしている。世界から、魔法は消えようとしていた…
のどかな風景の広がる小さな町。人々が行き交い、穏やかな生活を営んでいた。ここは温暖な気候に恵まれた「セイマ王国」。科学が浸透した世界で、今だ魔法文化を色濃く残す国である。
しかし、一見のどかに見えるこの町の、やや外れた所に不似合いな大きな真っ白い建物が存在する。何かの研究をしているらしいが、何の研究かを知る者は一人としていなかった。
町の中を、一人の若者が歩いていた。銀色のロングコートを着、背中まで届く長い黒髪を持ち、その瞳はその髪よりもさらに深く黒い。その手には、身長よりはるかに長い巨大な剣が握られ、それを肩に担いでいた。今彼は、この町で行われているという謎の科学者集団による実験と、その実態を調べるために派遣されたセイマ王国騎士団の若き騎士である。名をペイル・マスティークという。
彼は、この町に強い魔力を持つ少女が孤児院にいると聞いてそこに向かっている途中だ。
この世界には、少数とは言えまだ魔法を使える者たちが存在する。この町にも何人かいたが、ここ数ヶ月の間にそのほとんどが行方不明になっていた。その科学者たちは、魔法が絡んだ何らかの実験を行っているという未確認の情報が騎士団に届き、その真偽を確かめ、またその少女を保護するのが今回の彼の任務だった。
「ここか…」
孤児院に到着したペイルは、早速孤児院の玄関のドアをノックする。すると、「はーい、今出ます」と中から少し年配の女性の声が聞こえ、ドアが開いた。
「どちらさまでしょう…？」
「私はセイマ王国騎士団本部より派遣されたペイル・マスティークという者です。例の少女の件で伺いましたが、連絡は届いておりませんでしたか？」
突然の訪問者に警戒の色を濃くする女性に、丁寧な口調で挨拶をするペイル。すると女性は「あなたが…はい、届いています。」と言って彼を中へ案内した。
「私は、この孤児院の院長を務めるジェシーです。あの子の…ジャンヌの事ですね？」
ペイルは早速、彼女を保護したいと申し出たのだが…
「実は…ジャンヌは３日前から行方知れずなんです。」
その言葉を聞いた瞬間、彼の脳裏に最悪の事態がよぎる。
「３日前の夜、子供達を寝かしつけていると突然見知らぬ男たちがここにやってきて、あの子を出せと脅して来たのです。私は断固として拒否しましたが…彼らは無理矢理押し入り、孤児院の子供たちに次々と『お前がジャンヌか！？』と迫りました。このままでは何をされるかわからないと恐怖におののいていた時、あの子は「自分がジャンヌだ、みんなには手を出すな」と言って、孤児院を飛び出しました。男たちはそれを追って…」
院長の目から大粒の涙が次々とこぼれ落ちる。
「あの子にもしもの事があったら、私は…」
「では、今すぐ彼女を捜索します。彼女がもし、どこかに捕えられているのなら私が救いだします。写真か何かないでしょうか？私は彼女の顔を知りません。」
ペイルが落ち着いた調子で言うと、院長も少し落ち着いたようで、彼女の写真を手渡した。そこには、椅子に腰かけ、愛らしい笑顔を向ける少女の姿が写っていた。
「あの子は、幼い頃に両親を目の前で亡くし、辛いだろうにそんな素振りは一切見せずによく孤児院の手伝いをしてくれる優しい子でした。…でも、あの子は時々淋しさのあまり人知れず泣いている事が今もあります。お願いです…あの子を助けてあげて下さい…」
ペイルはおもむろに椅子から立ち上がると、
「もちろん、そのためにここへ派遣されたんです。」
微笑みを浮かべる彼の姿に、なぜか安堵するジェシー。彼ならきっと何とかしてくれる。そんな気がした。
「まずはどこから当たろうか…」
孤児院を出たペイルは、院長から受け取った写真を見ながらどこを当たろうかと考えていた。おそらくは科学者集団が絡んでいるのだろう。誘拐にしては手口が強引過ぎるし、ジャンヌを名指しで指名していた事からもその線は薄い。だが、あまりにも情報がない。彼女が無事逃げたのか、それとも捕まってしまったのかもわからないのだ。少なくともこんな町のど真ん中をのんきに歩いているという事はないだろう。逃げ切ったのなら、恐らくどこかに隠れているはずだ。彼はまず、町の目立たないポイントから探すことにした。
ここは商店街。多くの建物が所狭しと並び、多くの人々が行き交う。客引きをする若い男性の威勢のいい声や、それに負けじと大きな声を出す中年女性。何とか値切ろうと必死で交渉している女性など、多くの人々の声が幾重にも重なり、大きなノイズのように商店街に満ちている。
一見華やかな商店街だが、その裏ではかなりの量のゴミが出ている。もちろん最終的には回収されるが、それは店が閉まってからの話し。売り物にならない商品の切れ端や、商品を入れていた箱などが乱暴に放り出されている。生物を扱っている店が多いためか、かなりきつい臭いが漂っている場所もある。臭ったままだと商売に差し支えるためか定期的に消臭剤を霧吹きなどで吹きかけている店もある。
そんな商店街の裏側で、隠れるように細心の注意を払いながら移動する一つの影があった。こんな所をうろついているのは大抵野良犬か野良猫くらいだ。だが、それは明らかな人の姿をしていた。それは小さく、子供に見える。細い体、長い髪。建物と建物の間にある、わずかに日がさす場所に移動した時、建物の暗い陰に隠れていてよく見えなかったその姿がようやくはっきり見えた。まるで日が落ち、空が漆黒に染まる直前のような暗く蒼い髪は腰のあたりまで長く伸ばされ、その先端近くを真っ赤なリボンで結んでいる。小さく細い体は、まるで生まれたばかりの仔猫のように頼りないが、深海のような深い青を湛えた瞳はその容姿に似つかわしくない鋭さを持っている。時折建物の隙間から差し込む夕日に白いワンピースが赤く染まり、よく映えていた。わずかに膨らんだ胸が、女性である事を示している。
彼女は忙しなくあたりを見渡し、危険がないとわかると壁を背もたれに地面に座り込み、大きく息を吸い、吐いた。愛らしい顔には疲れの色が濃く出ており、目を閉じると今にも寝てしまいそうだ。だが、誰かが近くを通るたびに警戒を強め、いつでも逃げられるよう腰を浮かす。そして危険がないとわかると腰を下ろす。
炎を操り、風を、水を、全ての事象を意のままに操る者達を、人々は「魔導師」と呼ぶ。
神に選ばれし一握りの魔導師達は、やがて世界の覇権をめぐり幾度となく争いを繰り返して行った。しかしその過程で強い力を持つ魔導師たちは少しずつ数を減らし、その勢力は衰えて行った。
魔導師たちが衰えて行く一方、魔法を使えない人々は代わりに科学の力を使い、その生活を豊かにして行く。木や鉱物を使い家を建て、火を使い、果てには恐ろしい破壊力を持つ兵器に手を出そうとしている。世界から、魔法は消えようとしていた…
のどかな風景の広がる小さな町。人々が行き交い、穏やかな生活を営んでいた。ここは温暖な気候に恵まれた「セイマ王国」。科学が浸透した世界で、今だ魔法文化を色濃く残す国である。
しかし、一見のどかに見えるこの町の、やや外れた所に不似合いな大きな真っ白い建物が存在する。何かの研究をしているらしいが、何の研究かを知る者は一人としていなかった。
町の中を、一人の若者が歩いていた。銀色のロングコートを着、背中まで届く長い黒髪を持ち、その瞳はその髪よりもさらに深く黒い。その手には、身長よりはるかに長い巨大な剣が握られ、それを肩に担いでいた。今彼は、この町で行われているという謎の科学者集団による実験と、その実態を調べるために派遣されたセイマ王国騎士団の若き騎士である。名をペイル・マスティークという。
彼は、この町に強い魔力を持つ少女が孤児院にいると聞いてそこに向かっている途中だ。
この世界には、少数とは言えまだ魔法を使える者たちが存在する。この町にも何人かいたが、ここ数ヶ月の間にそのほとんどが行方不明になっていた。その科学者たちは、魔法が絡んだ何らかの実験を行っているという未確認の情報が騎士団に届き、その真偽を確かめ、またその少女を保護するのが今回の彼の任務だった。
「ここか…」
孤児院に到着したペイルは、早速孤児院の玄関のドアをノックする。すると、「はーい、今出ます」と中から少し年配の女性の声が聞こえ、ドアが開いた。
「どちらさまでしょう…？」
「私はセイマ王国騎士団本部より派遣されたペイル・マスティークという者です。例の少女の件で伺いましたが、連絡は届いておりませんでしたか？」
突然の訪問者に警戒の色を濃くする女性に、丁寧な口調で挨拶をするペイル。すると女性は「あなたが…はい、届いています。」と言って彼を中へ案内した。
「私は、この孤児院の院長を務めるジェシーです。あの子の…ジャンヌの事ですね？」
ペイルは早速、彼女を保護したいと申し出たのだが…
「実は…ジャンヌは３日前から行方知れずなんです。」
その言葉を聞いた瞬間、彼の脳裏に最悪の事態がよぎる。
「３日前の夜、子供達を寝かしつけていると突然見知らぬ男たちがここにやってきて、あの子を出せと脅して来たのです。私は断固として拒否しましたが…彼らは無理矢理押し入り、孤児院の子供たちに次々と『お前がジャンヌか！？』と迫りました。このままでは何をされるかわからないと恐怖におののいていた時、あの子は「自分がジャンヌだ、みんなには手を出すな」と言って、孤児院を飛び出しました。男たちはそれを追って…」
院長の目から大粒の涙が次々とこぼれ落ちる。
「あの子にもしもの事があったら、私は…」
「では、今すぐ彼女を捜索します。彼女がもし、どこかに捕えられているのなら私が救いだします。写真か何かないでしょうか？私は彼女の顔を知りません。」
ペイルが落ち着いた調子で言うと、院長も少し落ち着いたようで、彼女の写真を手渡した。そこには、椅子に腰かけ、愛らしい笑顔を向ける少女の姿が写っていた。
「あの子は、幼い頃に両親を目の前で亡くし、辛いだろうにそんな素振りは一切見せずによく孤児院の手伝いをしてくれる優しい子でした。…でも、あの子は時々淋しさのあまり人知れず泣いている事が今もあります。お願いです…あの子を助けてあげて下さい…」
ペイルはおもむろに椅子から立ち上がると、
「もちろん、そのためにここへ派遣されたんです。」
微笑みを浮かべる彼の姿に、なぜか安堵するジェシー。彼ならきっと何とかしてくれる。そんな気がした。
「まずはどこから当たろうか…」
孤児院を出たペイルは、院長から受け取った写真を見ながらどこを当たろうかと考えていた。おそらくは科学者集団が絡んでいるのだろう。誘拐にしては手口が強引過ぎるし、ジャンヌを名指しで指名していた事からもその線は薄い。だが、あまりにも情報がない。彼女が無事逃げたのか、それとも捕まってしまったのかもわからないのだ。少なくともこんな町のど真ん中をのんきに歩いているという事はないだろう。逃げ切ったのなら、恐らくどこかに隠れているはずだ。彼はまず、町の目立たないポイントから探すことにした。
ここは商店街。多くの建物が所狭しと並び、多くの人々が行き交う。客引きをする若い男性の威勢のいい声や、それに負けじと大きな声を出す中年女性。何とか値切ろうと必死で交渉している女性など、多くの人々の声が幾重にも重なり、大きなノイズのように商店街に満ちている。
一見華やかな商店街だが、その裏ではかなりの量のゴミが出ている。もちろん最終的には回収されるが、それは店が閉まってからの話し。売り物にならない商品の切れ端や、商品を入れていた箱などが乱暴に放り出されている。生物を扱っている店が多いためか、かなりきつい臭いが漂っている場所もある。臭ったままだと商売に差し支えるためか定期的に消臭剤を霧吹きなどで吹きかけている店もある。
そんな商店街の裏側で、隠れるように細心の注意を払いながら移動する一つの影があった。こんな所をうろついているのは大抵野良犬か野良猫くらいだ。だが、それは明らかな人の姿をしていた。それは小さく、子供に見える。細い体、長い髪。建物と建物の間にある、わずかに日がさす場所に移動した時、建物の暗い陰に隠れていてよく見えなかったその姿がようやくはっきり見えた。まるで日が落ち、空が漆黒に染まる直前のような暗く蒼い髪は腰のあたりまで長く伸ばされ、その先端近くを真っ赤なリボンで結んでいる。小さく細い体は、まるで生まれたばかりの仔猫のように頼りないが、深海のような深い青を湛えた瞳はその容姿に似つかわしくない鋭さを持っている。時折建物の隙間から差し込む夕日に白いワンピースが赤く染まり、よく映えていた。わずかに膨らんだ胸が、女性である事を示している。
彼女は忙しなくあたりを見渡し、危険がないとわかると壁を背もたれに地面に座り込み、大きく息を吸い、吐いた。愛らしい顔には疲れの色が濃く出ており、目を閉じると今にも寝てしまいそうだ。だが、誰かが近くを通るたびに警戒を強め、いつでも逃げられるよう腰を浮かす。そして危険がないとわかると腰を下ろす。