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死に損いの咲かせた花は

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 乱丸の持つ空気がどんどん不穏になっていく。眉間に当てられた刀はそれ以上動かず、薄皮をやぶられた程度で、まだ血が出るような傷にはなっていない。乱丸も、今ここで斬り捨てようとまでは考えていないのだろう。
 ちょうどその時、左門の耳が廊下から足音を拾いあげた。難なく身を引いて、眉間に当てられた刀身を指先でつまむ。
「なっ……!?」
 突然の左門の動きに驚いたらしい乱丸を構わず、左門は障子越しに気配を探った。
足音は軽く、駆けるような調子で近づいてくる。
「……乱丸殿。刀を納めてください」
「な、なに……?」
 調子のいい足音はどんどん近くなり、近くなるに連れてどたばたとうるさいものになった。そしてそれまで気付かなかったが、もっと軽くてもっと小さい、もっと小刻みな足音も一緒になってやってくる。これは――。
「力丸殿が来るようですよ。何の用でしょうか」
「先生っ!!」
 戸が横にすべる鋭い音と共に、力丸が部屋に飛び込んできた。
「先生、先生すごいんです! 今、大殿が……」
 息せき切って現れた力丸が、頬を真っ赤にして嬉しそうに左門に詰め寄って。足元の梅子も一緒になって左門の膝に前足をかけ、そこでようやく力丸は、部屋の中にいるもう一人の存在に気付く。
 困った笑みを浮かべた左門の横の乱丸が、まさに頭痛の種を抱えた風に自分の眉間を揉み解した。
「あれ、乱丸兄上? どうしてこんなところに?」
 乱丸を上から下まで観察した力丸は、乱丸の手に握られた抜き身の刀に目を止める。一瞬目を見開くが、身に余ると思ったのだろう、口をひき結ぶと力丸は乱丸から目を逸らした。
 そんな弟の態度に、乱丸の方も何も言わず、刀を鞘へ納める。
沈黙ただよう妙な雰囲気に、左門は相変わらず足元に懐く梅子を抱き上げた。
「力丸。これから大殿がいらっしゃるのか?」
「へ……?」
 左門が聞くと、力丸はぽかんと口を開けた。しかしすぐに思い出したらしく、また嬉しそうな顔になって、半ば左門に飛びつくように身を乗り出す。
「はいっ! 大殿が先生に、これから出掛けるから供をするようにって!!」
 ぎくり、と左門に一瞬緊張が走った。
 しかし力丸は気付いた風もなく、さすが先生です、と誇らしげだ。ならばこちらは、と乱丸を横目で見るが、乱丸も左門の様子に気付いた気配はない。むしろ彼の方が動揺しているらしく目を見張り、何もない所をじっと睨むように見詰めている。
「それで私、先生を呼びに来たんです!」
「そうか。ありがとう、力丸」
「もちろん私もご一緒しますから。大殿はちょっと気難しい方ですが、大丈夫です。先生は大船に乗った気持ちでいてくださいね!」
 微笑んで労うと、力丸はまた嬉しそうに笑った。それを見下ろしながら、知らずに息を止めていたらしい左門は小さく息を吸う。
 信長の供をする。そしてそれは、信長の要望だと言う。昨日のことがあっての話だ。一体どういうつもりなのだろう。
「……すぐに向かうよ」
 思考だけは回転させながら、しかし動揺が誰にも気付かれないよう振舞う。
左門は立ち上がり、梅子を力丸に渡して乱丸に礼をすると、まっすぐに廊下へと踏み出した。



 信長は速かった。
 いい馬だから当然と言えばその通りだが、しかしそれだけでこうはいかない。すぐ後に続いた左門の頬をなでる風は痛く、少し息苦しいほどだ。
 目の前には信長の背中がある。獲物を抜けば難なく届いてしまう距離に、無防備に晒された仇の背後。いくら信長の駆けさせる馬が速いからといって、それでも左門には騎乗で刀を抜く程度のことなど訳ないのだ。
 腹の底からせり上がり、背中をかけのぼる熱い痺れ。ここで刀を抜けば、という思考が、どれだけ乗馬に体を揺さぶられても頭から離れない。
 歯を食いしばる。
 一度も振り返らない信長の背中は、ひどく近い。

 力丸の馬はずいぶん遅れているらしい。
「たいしたものだな」
 小高い丘に着き、信長が馬から下りた。蝉がやかましく鳴き、青空に浮かぶ雲は遠くの方からその大きさを見せつける。
 何か得体の知れないものから逃げ延びたような気持ちで、左門は大きく息を吐いた。
信長に従う形で馬を下りて、息を荒くする馬面を軽く叩く。
「師は何と申す?」
「師というほどではありませんが、私に馬の乗り方を教えたのは父です」
 信長の馬の轡を手に取り、適当な木を探して自分の馬と一緒に縛る。日陰になっているので休憩にはなるだろう。本当は水を飲ませてやりたいところだが、手ごろな川もないし、仕方がない。
「武器の扱いは?」
「一度村に立ち寄ったお侍に習いました。そこからは一人で、森の中で狩りをしながら」
「ほう、伊賀では猟師でなく侍が狩りをするのか」
 背を向けたままの左門に向かい、信長が言った。
 不意の動揺に左門の指先が弾く。しかし信長からは影になっていて見えていないはずだ。
 左門は少し不思議そうな顔を作り、草を食む馬の首を撫でながら肩越しに振り返った。
「伊賀、ですか?」
「隠すな。無駄だ」
 口の端を歪めて笑う、信長の視線。
 左門の米神を一筋の汗が流れた。それは、この夏の暑さのせいだけではない。
「お前の様子は以前やりあった伊賀の者と変わらん。妙に頭が周る連中だった。油断をすれば付入られ、気づいた時には後の祭り……しかし、あの力丸を手懐けたのは見事だったな」
 普段なら難なく流せる遣り取りが上手く扱えず、左門は息だけで笑った。
 体ごと振り返れば、いるのは信長ただ一人だけだ。
 今度は、刀を構え手を伸ばしても、信長には届かない。大丈夫だ、と口の中で呟き、左門は大きな溜息をついた。
「参考までに……その、どこで気付いたんで――」
「復讐か?」
 信長の声は低く、けれど不思議と静かな印象があって、この夏の日差しの中で一人だけひんやりと沈んで見えた。
 頭を茹でられたような、半端にぼやけた意識の中で向かい合うには、信長は相手が悪い。
「……そんな下らないことはしませんよ」
 逡巡のあと、左門はやっと口を開く。
「ならば誰に頼まれた?」
「言えません」
「儂が憎くはないのか?」
 憎くないのか、と聞かれれば、憎くないはずがない。
「なぜ殺そうとしない? 今も。お前にはそれができただろう?」
 答えに詰まった左門の様子を、肯定と受け取ったのだろう。信長は面白がるように笑うと、頓着のない動作で左門に背を向けた。
 殺せ、と言っているようにも聞こえる。しかし信長の態度は、左門が自分を殺さないことを知っているようにも見えた。
「手に負えん阿呆だな。殺したいほど憎い相手が目の前におるのに、それをみすみす見逃すのか?」
「……あなたは死にたいんですか?」
 信長は笑い、けれど答えなかった。
 左門に背を向け向かった先で、丘の上から城下を見下ろすと、腕を組んでまた口の端を歪める。
 城下を見渡す信長の目は、しかしもっと遠いところを見て入るようにも思えた。
「人はどれだけ足掻こうと、仕舞いには死ぬ」
 呟くように言った信長の声は、意外に明るい。
「望みを果たそうとも果たさずとも同じことだ。ならば果たそうともがいてみるのが人ではないか?」
「まるで私は、あなたにあなたを殺せと唆されているようですよ」
作品名:死に損いの咲かせた花は 作家名:葵悠希