死に損いの咲かせた花は
左門を見ていた侍女の視線が、不自然に動く。左門の斜め後ろだ。誰か来たのだろうか。振り返ろうとして、左門は自分の影に重なるひとつの影に気付いた。
両手を振りかぶったそれは、左門の脳天を狙っている。
振り返りざまに両手をかざす。獲物は木の棒。なんとか受け止めて的を外すが、想像以上の攻撃の重さに耐え切れず、そのままの衝撃が体全体にかかった。
声が出ない。
一瞬真っ白になった視界に色が戻るが、すぐに霞がかかり、次第に暗くなっていった。
「……どう、して……?」
左門の問いに、相手の顔がわずかに歪む。
見覚えのある黒い肌が、もう一度伸ばされたのが分かった。
倒れこむ体に衝撃はなく、そこで左門の意識が途切れる。
燃えるような夕焼けの中には、蜩の鳴き声が響いていた。
空の高い部分はすでに深い藍色に染まっていて、小さな星がまたたき、きらめく。夕暮れの空は緋色からへ闇色の移り変わりが美しく、決して二度と同じものにはならないその光景が神秘的で、光秀は好きだった。
光秀は慰労の宴で饗応役を任され、その時の失敗が元で解任、間をおかず攻略中の高松へ出陣を命じられた。料理を頭から引っくり返されたのには閉口したが、そうやって恥をかかされたことで、周囲は光秀の行動を自発のものとして疑わなくなっただろう。
夕闇に吹く風は涼しく、兜の隙間から覗いた髪がなびく。頬を撫でたそれに光秀は目を細めた。夕焼けの美しさには、思い出の切なさも混じっていることを知っている。
「……これで、よろしかったでしょうか?」
光秀の静かな問いかけは誰の耳に届くこともなく、夕闇の中に溶けていった。
その夜、備中高松城を目指し亀山城を出陣した明智軍は、桂川のほとりから進攻方向を変える。
明智の水色桔梗紋は一路、信長のいる本能寺へと向かっていた。
作品名:死に損いの咲かせた花は 作家名:葵悠希