さかなのめ
子供のように何度も嫌だ嫌だと言うので、機嫌を損ねたかと思うと声音はまだ笑っているのです。私はむしろ益々非道い台詞を言ってしまったような気がして、また恥ずかしくなって俯いて歩きました。羞恥からくる動転の所為もあったでしょうが、急に何もかもに自信が無くなってしまったのです。先生がそこに居るということにすら疑念を抱いてしまいました。
真っ赤な夕暮れでした。陰になっているところは雲の色と同じ菫色でした。私はそんな色たちも、先生の背後から流れてきている気がする麝香のようなにおいも先生も、なにもかも私の頭蓋の内側の妄想であったらどうしようという思いに駆られました。醒めると私はまだ五歳で、母と姉が帰ってくるのを待っているのです。微量ではありますが確実に潤んだ私の双眸を見て先生はそれでも笑みを崩しませんでした。「あなた、私は別に金魚が可笑しいという訳ではなくて、あなたの台詞がちょっと的を得すぎていたから悔しくて嫌だと言ったのですよ」先生は犬に繋がっている筈の黒い紐を少し引っ張って、止まっていた私を歩かせました。電車の音が半ばで消えて、紐の先に犬は居ないように思えました。
「じゃあ先生は、一体何なら良いんでしょう」
「そうですねぇ、あぁでも」先生は言葉を切りました。斜光が先生の髪や向こうの花の房に差して、朱色の胸びれ尾ひれのようでした。
「金魚草なら良いかもしない」
私は未だ、その日の極彩を幻想として片付けられていないのです。