1978 puddle-out
暑い暑い暑い。
猛暑だな今年は…
砂の中に見えるキラキラの粒を踏みながら材木座海岸に立っていた。
僕は当時鎌倉に住んでいて、高校生になってからは毎年この海岸の海の家に
アルバイトに来ていた。今年は3年生で受験勉強やらで忙しいのだけど
恒例になってたし、どうせ勉強したって頭の中身は変わらないし
海の家のオーナーも可愛がってくれるので
夏休みに入ってから毎日朝から自転車に乗ってココに通っている。
あの頃は今とは違い海の家なんてカラフルでもオシャレでもなく
普通の木造の、悪く言えばちょっと傾いてる掘っ立て小屋みたいなもんだった。
暑い中フランクフルト焼いたり焼きソバ作ったり。
熱気で景色が陽炎のように揺れてる。
「かき氷担当」はバイト女子の仕事で
僕ら男子は厨房では熱い係担当だった。
3年目の僕は手慣れたものでパパっと作っては空いた時間を見つけて
タバコをちょっと隠れて吸ったりしている。
「女子はいいよなぁ」
バイト仲間のアキヒロが煙を吐き出しながら言う。
僕らは女子たちの色とりどりのタンクトップのうしろ姿をつくづく
見ていた。
僕はその女子の中の一人のマリちゃんが気になっていた。
マリ。直接呼んだことはもちろんない。
マリちゃん、なんて呼んだことも、ない。
マリは3才年上で大学生だった。
サーファーじゃないのにサーファーカット。
パッチリした目の上はアイシャドーでキラキラ青かった。
黒のタンクトップに短いジョギングパンツ。なんだか刺激的な
格好に思えるけど、あの頃はそれが流行りだった。
…「ねぇねぇ『スター・ウォーズ』みた?」
「みてなーい。みにいきたーい」
いつもの僕なら、女ってお喋りだな、仕事中も騒いで。
真面目にやれよ
なんて思うのだけど
全然どうでもよくてそんなこと。
ただマリの肩の線とかアイメイクとかそんなのばかり
気になって仕方ない。
「こないだ出たばかりのさ…なんだっけ。キャビンって
ヘンな味しねぇ?」
「…高いのにな」僕は、カッコつけて、笑った。
8月に入って
マリととうとう二人きりで過ごす
30分休憩の時間がやってきた。
スプライトを全部飲み干して余裕たっぷりの顔をしてみる。
夏を飲み干したような顔を。
マリが全然喋らずに
カラのファンタアップルの瓶を持って手持ち無沙汰に
遠くを眺めてるのを見ると
だんだん焦ってくる。やけに。時間30分しかないし。
「大学生ってなにに興味あるの?」
ヘンな言い方の質問だった。
自分でもなんだそりゃ、と思う。
「映画とか観たいな~って思う」
「そうなんだ」
こないだ盗み聞きしたのと同じ。
「どういうのが観たい?」
我ながら盛り上がらないというかパッとしない返しだとは思う。
「サタデーナイトフィーバー…」
「ああ。ああいうの好きなの?」
やっぱり女子大生だからディスコとか…と言おうとして口をつぐんだ。
「私ああいううるさいの苦手。だから特に観たいとは思わないな」
「踊ったりするのとか、好きだと思ってた」
「……」
失言だったのだろうか。
またまた焦り始める。
「あ、じゃ、『スター・ウォーズ』は?」
「あれって『未知との遭遇』みたいなの?」
「いや…どうなんだろ…」
「観てないんだっけ?」
「…うん」
なんか手のひらに汗かいてきた。
映画の話もできないの?って言われてるみたいだった。
レインボーカラーのゴムゾーリをブラブラさせて
防風林の柵に腰掛けてる僕らに
紫外線が降り注ぐ。
海の家の裏手にもラジカセの音が聴こえてきた。
「モンスター」に続いて「勝手にシンドバッド」
「あ…結構大きい音で聴こえるんだね。ここ」
マリはまぶしそうな顔で僕に言った。
「文化祭実行委員やらされそうになってさ」
「へえー」
マリは目を見開いて驚いた。
それってどういう意味だよ?
まるでお母さんが子供に言うときの顔みたいで、面白くなかった。
年の差とかキャンパスと高校の違いとか、
知らされたようで自分がバカみたいな気がした。
鎌倉は来る日も来る日も雨は降らない。
背中の防風林にジリジリと蝉は鳴き出し、
光に反射した波が寄せては返す。
相変わらず海の家は盛況で
貸し出しのサマーベッドとパラソルと
シャベルを担いでお客さんの場所に行き
ビーチパラソルの支柱を埋めるための穴を
アキヒロと一生懸命に掘った。
134号線は毎晩暴走族が深夜までうるさかった。
毎日バイトで顔を合わせてるけど
これといって別に進展なんてもちろんないし
マリのことは僕は全くと言うほど、知らなかった。
お盆を過ぎるころ
二人の小学生の女の子がお母さんひとりに連れられて海の家にやってきた。
オーナーの知り合いの子で、友達同士の東京の小学五年生、と言っていた。
五年生にしては幼稚な感じの二人でわーわーきゃーきゃー騒ぎながら
海へ走っていってしまった。
「マリちゃん、あの子たちよろしく頼むよ」
頭と首に手拭いを巻いたオーナーがマリに言う。
「マリ、先生になるんでしょ。子供好きだから」誰かが冷やかす。
「先生じゃなくって保母さん!」
恥ずかしそうな顔をした。
お母さんは何故か日が落ちる頃には居なくなっていた。
この子達どうするんだろう?高校生の僕でもなんだか心配になる。
「なんでお前が心配するんだよ。マリちゃんが係だろ。
泊まるんだってよ。ここに。さっき言ってたよあの子達が」
如才ないというかなんというか、アキヒロは色々知っていた。
海の家に宿泊する客なんていないので僕は密かに驚いた。
客用の夏がけ布団があるのは知っていた。
しかし実際使うとは。
夜ご飯に焼いたイカとカレーライスをマリが出してあげた。
楽しそうに二人は笑いながらぺろりと平らげた。
「なにが流行ってるの?学校で?」
「ブロック崩しとインベーダー!なーんちゃって!あとピンクレディーの真似!」
僕は苦笑したけど、マリは普通に笑っていた。
夜九時を過ぎてもなんだか帰れない僕だった。
お世話係のマリが心配って言うのもあったのだけど
少女二人の行く末が気になる。
今晩一泊くらいなのに行く末と言うのは大げさな言い方だけど
ふたりが途方もなく大きな世界に投げ込まれてしまったような
暗黒の海に飲まれてしまったような
変な感覚に陥ったからだ。
だいたい砂だらけのこんなとこに泊まるなんて。
「寝たみたい。泳いで疲れたのね。」
とっくに消したラジカセが置いてある
厨房のカウンターに立つ僕に言ったのか
マリの独り言なのか分からなかった。
扉を閉めた建物の隅っこの畳の空間に花柄の布団が
微かに寝返りで動いたのを確かめた。
いつのまにか僕らは外を歩いていた。
あてのない散歩だった。
「片方の子のね、お母さん事情があって帰ったのよ。」
江ノ島方面からゆるいカーブに沿ってヘッドライトがやってくる。
「離婚の話し合いで…どうしても帰って話さなきゃならないらしいの。
子供の目の前では、話せないから。」
11歳の彼女は知らないのだろう。
何故海に来たのか。何故泊まらなければならないのか。
大人の事情とか子供の事情とか家庭の事情とか。
後になって知るのか。
そんなのは分からないし知る術はない。
「…分かるよ」
猛暑だな今年は…
砂の中に見えるキラキラの粒を踏みながら材木座海岸に立っていた。
僕は当時鎌倉に住んでいて、高校生になってからは毎年この海岸の海の家に
アルバイトに来ていた。今年は3年生で受験勉強やらで忙しいのだけど
恒例になってたし、どうせ勉強したって頭の中身は変わらないし
海の家のオーナーも可愛がってくれるので
夏休みに入ってから毎日朝から自転車に乗ってココに通っている。
あの頃は今とは違い海の家なんてカラフルでもオシャレでもなく
普通の木造の、悪く言えばちょっと傾いてる掘っ立て小屋みたいなもんだった。
暑い中フランクフルト焼いたり焼きソバ作ったり。
熱気で景色が陽炎のように揺れてる。
「かき氷担当」はバイト女子の仕事で
僕ら男子は厨房では熱い係担当だった。
3年目の僕は手慣れたものでパパっと作っては空いた時間を見つけて
タバコをちょっと隠れて吸ったりしている。
「女子はいいよなぁ」
バイト仲間のアキヒロが煙を吐き出しながら言う。
僕らは女子たちの色とりどりのタンクトップのうしろ姿をつくづく
見ていた。
僕はその女子の中の一人のマリちゃんが気になっていた。
マリ。直接呼んだことはもちろんない。
マリちゃん、なんて呼んだことも、ない。
マリは3才年上で大学生だった。
サーファーじゃないのにサーファーカット。
パッチリした目の上はアイシャドーでキラキラ青かった。
黒のタンクトップに短いジョギングパンツ。なんだか刺激的な
格好に思えるけど、あの頃はそれが流行りだった。
…「ねぇねぇ『スター・ウォーズ』みた?」
「みてなーい。みにいきたーい」
いつもの僕なら、女ってお喋りだな、仕事中も騒いで。
真面目にやれよ
なんて思うのだけど
全然どうでもよくてそんなこと。
ただマリの肩の線とかアイメイクとかそんなのばかり
気になって仕方ない。
「こないだ出たばかりのさ…なんだっけ。キャビンって
ヘンな味しねぇ?」
「…高いのにな」僕は、カッコつけて、笑った。
8月に入って
マリととうとう二人きりで過ごす
30分休憩の時間がやってきた。
スプライトを全部飲み干して余裕たっぷりの顔をしてみる。
夏を飲み干したような顔を。
マリが全然喋らずに
カラのファンタアップルの瓶を持って手持ち無沙汰に
遠くを眺めてるのを見ると
だんだん焦ってくる。やけに。時間30分しかないし。
「大学生ってなにに興味あるの?」
ヘンな言い方の質問だった。
自分でもなんだそりゃ、と思う。
「映画とか観たいな~って思う」
「そうなんだ」
こないだ盗み聞きしたのと同じ。
「どういうのが観たい?」
我ながら盛り上がらないというかパッとしない返しだとは思う。
「サタデーナイトフィーバー…」
「ああ。ああいうの好きなの?」
やっぱり女子大生だからディスコとか…と言おうとして口をつぐんだ。
「私ああいううるさいの苦手。だから特に観たいとは思わないな」
「踊ったりするのとか、好きだと思ってた」
「……」
失言だったのだろうか。
またまた焦り始める。
「あ、じゃ、『スター・ウォーズ』は?」
「あれって『未知との遭遇』みたいなの?」
「いや…どうなんだろ…」
「観てないんだっけ?」
「…うん」
なんか手のひらに汗かいてきた。
映画の話もできないの?って言われてるみたいだった。
レインボーカラーのゴムゾーリをブラブラさせて
防風林の柵に腰掛けてる僕らに
紫外線が降り注ぐ。
海の家の裏手にもラジカセの音が聴こえてきた。
「モンスター」に続いて「勝手にシンドバッド」
「あ…結構大きい音で聴こえるんだね。ここ」
マリはまぶしそうな顔で僕に言った。
「文化祭実行委員やらされそうになってさ」
「へえー」
マリは目を見開いて驚いた。
それってどういう意味だよ?
まるでお母さんが子供に言うときの顔みたいで、面白くなかった。
年の差とかキャンパスと高校の違いとか、
知らされたようで自分がバカみたいな気がした。
鎌倉は来る日も来る日も雨は降らない。
背中の防風林にジリジリと蝉は鳴き出し、
光に反射した波が寄せては返す。
相変わらず海の家は盛況で
貸し出しのサマーベッドとパラソルと
シャベルを担いでお客さんの場所に行き
ビーチパラソルの支柱を埋めるための穴を
アキヒロと一生懸命に掘った。
134号線は毎晩暴走族が深夜までうるさかった。
毎日バイトで顔を合わせてるけど
これといって別に進展なんてもちろんないし
マリのことは僕は全くと言うほど、知らなかった。
お盆を過ぎるころ
二人の小学生の女の子がお母さんひとりに連れられて海の家にやってきた。
オーナーの知り合いの子で、友達同士の東京の小学五年生、と言っていた。
五年生にしては幼稚な感じの二人でわーわーきゃーきゃー騒ぎながら
海へ走っていってしまった。
「マリちゃん、あの子たちよろしく頼むよ」
頭と首に手拭いを巻いたオーナーがマリに言う。
「マリ、先生になるんでしょ。子供好きだから」誰かが冷やかす。
「先生じゃなくって保母さん!」
恥ずかしそうな顔をした。
お母さんは何故か日が落ちる頃には居なくなっていた。
この子達どうするんだろう?高校生の僕でもなんだか心配になる。
「なんでお前が心配するんだよ。マリちゃんが係だろ。
泊まるんだってよ。ここに。さっき言ってたよあの子達が」
如才ないというかなんというか、アキヒロは色々知っていた。
海の家に宿泊する客なんていないので僕は密かに驚いた。
客用の夏がけ布団があるのは知っていた。
しかし実際使うとは。
夜ご飯に焼いたイカとカレーライスをマリが出してあげた。
楽しそうに二人は笑いながらぺろりと平らげた。
「なにが流行ってるの?学校で?」
「ブロック崩しとインベーダー!なーんちゃって!あとピンクレディーの真似!」
僕は苦笑したけど、マリは普通に笑っていた。
夜九時を過ぎてもなんだか帰れない僕だった。
お世話係のマリが心配って言うのもあったのだけど
少女二人の行く末が気になる。
今晩一泊くらいなのに行く末と言うのは大げさな言い方だけど
ふたりが途方もなく大きな世界に投げ込まれてしまったような
暗黒の海に飲まれてしまったような
変な感覚に陥ったからだ。
だいたい砂だらけのこんなとこに泊まるなんて。
「寝たみたい。泳いで疲れたのね。」
とっくに消したラジカセが置いてある
厨房のカウンターに立つ僕に言ったのか
マリの独り言なのか分からなかった。
扉を閉めた建物の隅っこの畳の空間に花柄の布団が
微かに寝返りで動いたのを確かめた。
いつのまにか僕らは外を歩いていた。
あてのない散歩だった。
「片方の子のね、お母さん事情があって帰ったのよ。」
江ノ島方面からゆるいカーブに沿ってヘッドライトがやってくる。
「離婚の話し合いで…どうしても帰って話さなきゃならないらしいの。
子供の目の前では、話せないから。」
11歳の彼女は知らないのだろう。
何故海に来たのか。何故泊まらなければならないのか。
大人の事情とか子供の事情とか家庭の事情とか。
後になって知るのか。
そんなのは分からないし知る術はない。
「…分かるよ」
作品名:1978 puddle-out 作家名:たえなかすず