One tree story.
ある夜、サラリーマンが木の根元に立っていた。しばらく木はサラリーマンに気付かなかった。サラリーマンが木の幹を撫で、生い茂った枝葉を仰いだ。ようやく木がサラリーマンに気付いた時、サラリーマンはしわくちゃの顔で笑っていた。木はサラリーマンの笑顔を初めてみた。木はどうして置いていったのかサラリーマンに聞いた。サラリーマンは置いていったんじゃないとまた木を撫でた。どうしてここに連れてきたのか木はサラリーマンに聞きたかった。でも木はサラリーマンが答えないと思って聞かなかった。サラリーマンは木を抱きしめて、手がもう回らないと笑った。初めて見つけた時、手の平にも乗るくらいだったのに、そのうち一人では抱えきれなくなって、もう途方もなく大きくなってしまって届かない。サラリーマンは、そう笑って泣いていた。置いていったのはお前だよとサラリーマンは笑っていた。笑って、笑って、泣いていた。木はサラリーマンがなぜ水分をくれるのか聞いた。サラリーマンはお別れだと言って消えた。 それから何度か陽が昇って、同じ数だけの夜が来て、今度はサラリーマンに似た男が現れた。木を見る男の目は少しサラリーマンに似ていた。木は男の口元を見て、息子を思い出した。木はその男がサラリーマンの息子だと知った。息子は言った。会いに来たよ、と。父さんが行けと言っていたから、と。木はそれを聞いて、どうしてずっと会いに来なかったのか聞いてみた。木は息子なら答えてくれるかもしれないと思った。息子には木のことばが聞こえなかった。サラリーマンの息子は木の隣に家を建てた。サラリーマンの老けた奥さんと、知らない女の人と、知らない子どもと、息子は住み始めた。木は置いていかれることを考えた。あのときサラリーマンに聞けば良かったと木は悔やんだ。
サラリーマンは木が大きくなって、置いていかれたと思った。木はサラリーマンが消えてしまって、置いていかれたと思った。木は、どんな人が居なくなっても、どんな動物が居なくなっても、目の前でどんなことが起こっても、何もできないと呟いた。木は生きて大きくなるしかできないと。ふと、木はサラリーマンのことばを思い出した。木は、空気をきれいにして、生きていることで他のモノのためになっていると。木のようになりたいと。木は、ただ生きていくためにやっていることをほめられても分からなかった。サラリーマンのように、泣いて笑って動いていることの方が、木にはすごいと思えた。サラリーマンが大きくなる訳ではないのに、ちっぽけな苗に気付いて、こんなに大きな木にしたのは、どうしてか。木にはわからなかった。どうしてもわからなかった。
木の窪みに鳥が巣を作り、虫がとんできて幹の蜜を舐め、落葉にうずもれた命の抜け殻が肥料になり、木の作る影で動物が休んだ。
サラリーマンのことを考えるとき、木はサラリーマンと一緒に居た。他のモノに気付いた時も、木はそのモノに寄り添って生きていた。木は生きてきて初めて、自分が何かを出来たと思った。そして木は知った。誰も置いていかないのだと。何も置いていってはないと。木の根が届く大地、木の枝が生い茂る空の中で、命は巡っていくのだ。木を揺らす風、木に吸われていく水、木に吐き出されていく空気と同じなのだ。ずっとここにあった。ずっとここにいた。どこでもないここ。木が枯れるまでここを動くこともない。木はここではないどこかにいる自分を考えた。空を飛ぶ木、歩いている木、会社に通う木、家族と暮らす木、老いて小さくなる木、うさぎを撫でる木、木を手厚く育てる木。生まれてはじめて木はそんなことを考えた。
木は素敵なことを思いついて嬉しくなった。木は自分で考えることが出来る。それは素敵な木である気がする。木は笑えるものなら笑いたいと生まれてはじめて思った。それもまたとても素敵なことだった。
作品名:One tree story. 作家名:_weekmatu