Who killed nighingal
who killed nighingale
そこは閉ざされた世界でした。美しい世界でした。はかない世界でした。ないよりも優しい世界でした。ナイチンゲールの鳴き声が聞こえる穏やかな夜のような豊かな世界だと私は思っていました。
*
端的に話しますと、常に飢餓状態だったのです。きっかけはささやかな寂しさでしょう。気づいた頃には父子家庭となっていて、父は私と数多く抱える社員を養うために奔走して今知った。当然父が私を構うよう機会は多くありません。漠然とした寂しさを私はただただ貪欲に知識を溜め込むことで晴らしていました。そうすれば父はほめてくれるし誰かがすばらしいと私を認めてくれたからです。知識を喰らうことは私にとって苦痛ではありませんでしたが良い人として私を認められるばかりでは私はすぐにまた飢えたのです。次に朗らかな人柄をみせました。元々の気性があるのかからかこれもつらくはありません。従順で素直で規律の取れた模範的な子どもであろうとしました。そうすることで私は一目も二目も置かれ良い方に風変わりなものとして注目を受けたのです。ところがそれはすぐに安全要素として受け入れられつまり私よりもよりむちゃをしでかす子どもへと誰の視線も移ってしまいおそらくまた私は飢えたのです。次は強くなろうと武術をはじめました。幸いにも身体は強くしなやかで少し不器用さが目立つくらいで難なくこなせるものでした。この不器用さというものがなかなか厄介で、誉れを受けるほど脚光を浴びるほどの活躍を望むうには足枷となり、どうしようもないとなるにはまたすこしうまくできたのです。つまりどこまでも普通の子だったのです。
そうです、ふと気づけば私は普通の子だったのです。あれほど暴食を果たした知識の束もあまりの悪食にどの分野の知識も中途半端で専門とするのには足りず、あれほど善良であろうとした気性も良く撫で付けられたほかの子達と変わらずに鍛えようとした武術の道も不器用さのせいかなにか上でもなければしたでもないのです。問題を起こすでもないその他大勢だったのです。ひとたびはそのことに絶望したものの私は再び活動を始めます。足りないのならば満たせばいいのです。足りないというのならコップにはまだ空きがあるのでしょう。それをなみなみと満たせばきっと私のこの飢えた胸も収まるのだと信じて止みませんでした。
病んだのはむしろ心の方でした。
あるとき父がある人を私に紹介します。その人は父の新しい妻だといいました。私はその紹介に愛想よくわらって、その人の連れていた子どもとも握手を交わしました。私よりも幼く小さなその手は柔らかくひどく頼りないものでした。あぁ、この子を守るというのが今日からのわたしの役目か、と私は心に決めたのを今もはっきりと覚えています。
父と、その妻、つまりは私の新しい母は傍目から見てもすばらしい夫婦でした。互いを尊敬しあい、必要とし、適度な距離を持つさまは私にひどく眩しく見えたのです。憧れていたのでしょう、いつかかれらのようになれると本当に信じていたのでしょう。
父と母がうじへ参りに行ったのはそういうできごとから数年とたたないうちでした。うじというのはどこを示すのか何を示すのかいろいろな議論が今なお展開されていますが参った人がすることはたった一つ、その生涯の灯火がいかに燃えたのかを語る場所だというのです。一生という長く短い物語のエンドマークを打つ場所なのだそうです。
残されたのは私とまだ幼い兄弟と何を予測してか後始末に関する便りでした。それに従い3つあった別荘や手付かずの土地を売り払い残り一つの小さな家と自宅とを私と兄弟でそれぞれ分けることになりました。ほかの財産も似たようなものです。しかし肝心の私と兄弟の行くあては便りには書かれていませんでした。それでこまったのは兄弟です。まだ誰かの保護がいるのにその手がない。なにやら裏事情があるのか大人たちが手を上げたそうに目配せしけん制しあう中で私が大きく立ち上がり兄弟の手を引きました。何を思ってかしっかりと手を握り返し、不安に揺れる瞳で睨みながら何処にも行かないことずっと一緒にいることを約束したのです。このとき兄弟を相手に暗い喜びを胸のそこで感じていたことを私は今ならわかります。
飢えていたのです。付加価値の無い私を必要とする私を認めてくれる熱に飢えていたのです。自身をもてない私は常に付加価値に頼りました。たとえば勉強ができるだとか良い子であるだとか、苦手に対しても毅然と挑むだとか、そうして高めた自分でないと認められないと思い込んでいたのです。それに知らず限界を感じていた時に手を握り返したのが兄弟だったのです。この時に私は胸の端が黒く穢れるのをどこか認めていました。
兄弟との生活はおおむね順風満帆でした。誤算といえば兄弟が想像以上に私を頼ってくれることでそれが私はうれしくて仕方がありませんでした。そこにいてくれるだけでいいといわれるだけでもう血も肉も骨も全て捧げてもいいような気になるのです。これで私自身は異常でないと思っていたのが異常でした。
堤防の決壊はあっけないものでした。過剰に依存する兄弟とそれをよしとする私が道を踏み外さないで入れるはずがないのです。しかし、最後の道は私も外れたくはなかったのです。異常な家族愛を持ついびつな兄弟で留まりたかったのです。若い彼にはそのもどかしい関係は我慢できるものではなかったようでした。危うい関係が崩れるのを恐れて逃げようとする私の背をしっかりと握った彼はそのままかごへと閉じ込めたのです。彼はそれを悲しみながらも仕方ないのだと嘆きました。そのなげきはなかなか止むことを知りません。
病んだのはこころのほうでした。
ずいぶんと長い間、それでも年には及ばないほどの間、私は彼との秘密の楽園で息づいていました。堤防の決壊と同じように楽園の崩壊もあっけないものだったのですが。
楽園の崩壊は彼が帰らなくなったことから始まりました。一晩一週間一月半年。たまに食料や衣服を持ってくる以外に彼は楽園を離れるようになりました。私の異常さに気づいてのことなのか、それとも己の異常さなのか、その両方が合わさったこの空間なのかは私には分りませんが彼のにおいが変わった事に気づいた私は楽園の終わりを知りました。永らえさせるすべがないわけではないですが私はあえて楽園の崩壊の針を早めたのです。病んだのは私の心でした。私に興味を抱かなくなった彼への興味が薄れ、虚しさとかなしさばかりが募るようになったのです。
興味はないでしょうが、楽園の結末はこうでした。まず彼が外への興味を私に話し私が外に目を向けるようにと諭しました。次に彼は外で見つけた美しい蝶のことを話します。私は適当に合図地を打ち、ではこれで終わりです、美しい世界はおわりました、と私が言ったのです。するとあっけない終わりに彼は安堵すると同時に、このかごの中は腐臭で満ちていた、と私にはそう聞こえる言葉を言って去りました。その言葉の後ろでナイチンゲールが泣いていたのが印象的でした。
それ以来私の心は病んだまま止まってしまいました。
そこは閉ざされた世界でした。美しい世界でした。はかない世界でした。ないよりも優しい世界でした。ナイチンゲールの鳴き声が聞こえる穏やかな夜のような豊かな世界だと私は思っていました。
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端的に話しますと、常に飢餓状態だったのです。きっかけはささやかな寂しさでしょう。気づいた頃には父子家庭となっていて、父は私と数多く抱える社員を養うために奔走して今知った。当然父が私を構うよう機会は多くありません。漠然とした寂しさを私はただただ貪欲に知識を溜め込むことで晴らしていました。そうすれば父はほめてくれるし誰かがすばらしいと私を認めてくれたからです。知識を喰らうことは私にとって苦痛ではありませんでしたが良い人として私を認められるばかりでは私はすぐにまた飢えたのです。次に朗らかな人柄をみせました。元々の気性があるのかからかこれもつらくはありません。従順で素直で規律の取れた模範的な子どもであろうとしました。そうすることで私は一目も二目も置かれ良い方に風変わりなものとして注目を受けたのです。ところがそれはすぐに安全要素として受け入れられつまり私よりもよりむちゃをしでかす子どもへと誰の視線も移ってしまいおそらくまた私は飢えたのです。次は強くなろうと武術をはじめました。幸いにも身体は強くしなやかで少し不器用さが目立つくらいで難なくこなせるものでした。この不器用さというものがなかなか厄介で、誉れを受けるほど脚光を浴びるほどの活躍を望むうには足枷となり、どうしようもないとなるにはまたすこしうまくできたのです。つまりどこまでも普通の子だったのです。
そうです、ふと気づけば私は普通の子だったのです。あれほど暴食を果たした知識の束もあまりの悪食にどの分野の知識も中途半端で専門とするのには足りず、あれほど善良であろうとした気性も良く撫で付けられたほかの子達と変わらずに鍛えようとした武術の道も不器用さのせいかなにか上でもなければしたでもないのです。問題を起こすでもないその他大勢だったのです。ひとたびはそのことに絶望したものの私は再び活動を始めます。足りないのならば満たせばいいのです。足りないというのならコップにはまだ空きがあるのでしょう。それをなみなみと満たせばきっと私のこの飢えた胸も収まるのだと信じて止みませんでした。
病んだのはむしろ心の方でした。
あるとき父がある人を私に紹介します。その人は父の新しい妻だといいました。私はその紹介に愛想よくわらって、その人の連れていた子どもとも握手を交わしました。私よりも幼く小さなその手は柔らかくひどく頼りないものでした。あぁ、この子を守るというのが今日からのわたしの役目か、と私は心に決めたのを今もはっきりと覚えています。
父と、その妻、つまりは私の新しい母は傍目から見てもすばらしい夫婦でした。互いを尊敬しあい、必要とし、適度な距離を持つさまは私にひどく眩しく見えたのです。憧れていたのでしょう、いつかかれらのようになれると本当に信じていたのでしょう。
父と母がうじへ参りに行ったのはそういうできごとから数年とたたないうちでした。うじというのはどこを示すのか何を示すのかいろいろな議論が今なお展開されていますが参った人がすることはたった一つ、その生涯の灯火がいかに燃えたのかを語る場所だというのです。一生という長く短い物語のエンドマークを打つ場所なのだそうです。
残されたのは私とまだ幼い兄弟と何を予測してか後始末に関する便りでした。それに従い3つあった別荘や手付かずの土地を売り払い残り一つの小さな家と自宅とを私と兄弟でそれぞれ分けることになりました。ほかの財産も似たようなものです。しかし肝心の私と兄弟の行くあては便りには書かれていませんでした。それでこまったのは兄弟です。まだ誰かの保護がいるのにその手がない。なにやら裏事情があるのか大人たちが手を上げたそうに目配せしけん制しあう中で私が大きく立ち上がり兄弟の手を引きました。何を思ってかしっかりと手を握り返し、不安に揺れる瞳で睨みながら何処にも行かないことずっと一緒にいることを約束したのです。このとき兄弟を相手に暗い喜びを胸のそこで感じていたことを私は今ならわかります。
飢えていたのです。付加価値の無い私を必要とする私を認めてくれる熱に飢えていたのです。自身をもてない私は常に付加価値に頼りました。たとえば勉強ができるだとか良い子であるだとか、苦手に対しても毅然と挑むだとか、そうして高めた自分でないと認められないと思い込んでいたのです。それに知らず限界を感じていた時に手を握り返したのが兄弟だったのです。この時に私は胸の端が黒く穢れるのをどこか認めていました。
兄弟との生活はおおむね順風満帆でした。誤算といえば兄弟が想像以上に私を頼ってくれることでそれが私はうれしくて仕方がありませんでした。そこにいてくれるだけでいいといわれるだけでもう血も肉も骨も全て捧げてもいいような気になるのです。これで私自身は異常でないと思っていたのが異常でした。
堤防の決壊はあっけないものでした。過剰に依存する兄弟とそれをよしとする私が道を踏み外さないで入れるはずがないのです。しかし、最後の道は私も外れたくはなかったのです。異常な家族愛を持ついびつな兄弟で留まりたかったのです。若い彼にはそのもどかしい関係は我慢できるものではなかったようでした。危うい関係が崩れるのを恐れて逃げようとする私の背をしっかりと握った彼はそのままかごへと閉じ込めたのです。彼はそれを悲しみながらも仕方ないのだと嘆きました。そのなげきはなかなか止むことを知りません。
病んだのはこころのほうでした。
ずいぶんと長い間、それでも年には及ばないほどの間、私は彼との秘密の楽園で息づいていました。堤防の決壊と同じように楽園の崩壊もあっけないものだったのですが。
楽園の崩壊は彼が帰らなくなったことから始まりました。一晩一週間一月半年。たまに食料や衣服を持ってくる以外に彼は楽園を離れるようになりました。私の異常さに気づいてのことなのか、それとも己の異常さなのか、その両方が合わさったこの空間なのかは私には分りませんが彼のにおいが変わった事に気づいた私は楽園の終わりを知りました。永らえさせるすべがないわけではないですが私はあえて楽園の崩壊の針を早めたのです。病んだのは私の心でした。私に興味を抱かなくなった彼への興味が薄れ、虚しさとかなしさばかりが募るようになったのです。
興味はないでしょうが、楽園の結末はこうでした。まず彼が外への興味を私に話し私が外に目を向けるようにと諭しました。次に彼は外で見つけた美しい蝶のことを話します。私は適当に合図地を打ち、ではこれで終わりです、美しい世界はおわりました、と私が言ったのです。するとあっけない終わりに彼は安堵すると同時に、このかごの中は腐臭で満ちていた、と私にはそう聞こえる言葉を言って去りました。その言葉の後ろでナイチンゲールが泣いていたのが印象的でした。
それ以来私の心は病んだまま止まってしまいました。
作品名:Who killed nighingal 作家名:鶏口