本能寺が変
史実通りならば、先に述べたように明智勢となのは勢のいざこざから起きた事故となるのだが、抱き枕が追加生産され市場価格が下がることを恐れた明智勢があえて放った炎という説もあれば、元々信長を妬んでいた明智勢のリーダー明智光秀が私怨で起こした事件だという説もある。しかしその詳細は未だ分からぬままである。
会場を失い、友を失い、同人人生を失った信長にもはや生きる意味は残されていなかった。
燃え上がる本能寺の中、信長は自刃した。
信長が最後に残した有名な言葉に「人間五十年 も、同人誌追いかけたって虚しいだけだったわ」がある。
この事件は、信長がその生涯をかけて同人誌を追いかけた終着点であり、つまりそれは、あんまりオタク文化に必死になってもロクなことない、という教訓として、秀吉・家康に受け継がれていった。
ものすごくイケメンだった森蘭丸に最後まで彼女が出来なかった事もまた、ある種の教訓となっただろう。
余談だが明智光秀もこの事件の十日後に死亡したとされている。
誰の手によるものかは明かではないが、抱き枕を買えずに怒り狂ったなのは勢の凶刃により倒れたという説が有力である。
「なのは、フェイトよりヴィヴィオだろ常考……」
そんな言葉を残し、倒れたという話もあるが、光秀の本命は天使ちゃんだったとされている(事あるごとに、部下に向かって「天使ちゃんマジ天使」と論じていたのは有名である)。
もしも信長が同人などという虚けた趣味に目覚めなかったら。もし信長が同人描きとして大成しなかったら。もし信長がサークル参加を続け、自らイベントを企画しなかったら。もし本能寺で抱き枕の再版が無かったら。
歴史は不安定で気まぐれな天秤の上で紡がれる。
本能寺の変。
それは、歴史の天秤がほんの少し、信長に味方しなかっただけの話である。
このほんの少しが、歴史にとっては大事になることを信長は教えてくれたのだ。
了