川辺にて
私は黙って電話を切った。そうだな、私の子供であるかどうかわかったからといって、もうどうすることもできない。そんなことは初めから承知で電話をしているのだった。私は彼女の言ったとおりの人間だ。手前勝手だ。不真面目だ。この電話だって、いても立ってもいられないなどといいながら、もしかするとふざけてかけているのかもしれなかった。実際、彼女の反応を面白がっていたふしがある。こんな時にさえ真剣になれない。再び悲しませてしまった。思い出したくなかったことを思い出させてしまった。いや、それすら私の傲慢か。単に怒らせただけか。けれど、単に、とは、いい気な言い草だ! 彼女にとっては単にでは済まないだろう。きりがない。私の人格に対する私の不信感は際限ない。まったく、人を人とも思っていない。昔もそのせいで彼女を泣かせ、愛想をつかされた。彼女は、もしやというかすかな希望を持って東京に来たのだったのに。あの時彼女は真剣だった、必死だった。ところが私は飛んで火にいる夏の虫とばかりに弄んだあげく、追い返してしまった。まったく悪い男だった。
私が原因で、家族を含めて何人もの人間が不幸になった。取り返しがつかない。
私の命も取り返しがつかない。私は、この期に及んで、うろうろするばかりだ。何の悟りにも達していない。気の利いた遺言も思いつかない。悔恨の泥にまみれながら、破れかぶれになりかけている。
私は川の土手に造られた遊歩道を歩く。見はるかすと彼女の家がどのあたりにあるか見当がつく。住所は調べてある。連なる郊外住宅の中に、なぜか気になる一軒があった。驚いたことにはその家にふと明かりがともった。私はしばらくその明かりを見つめていた。
昔このあたりは、土手から川べりにかけて柳や桑が生い茂っていた。子供の私は秘密基地をいくつも作ったものだった。洪水によって上流から流されてきた枯れ枝や水草が低木を覆って屋根を作っていた。その下はパオのように外から遮蔽されたドームになっていた。夏は、そのドームで着替えをして、川で泳いだ。流れに任せて一キロ以上も下流へ漂い、汗を手で拭きながら土手道を戻ってくることもあった。
私と妹が誘拐されかけた小道がまだ残っていた。幅は三倍ぐらいになっている。道を下っていくと、人の気配がする。ススキと蒲が茂る河川敷の一角に、煙がたなびいていて、おいしそうな匂いがする。
こちらを見上げた五人は家族であるらしい。焚き火を囲んで、枯れ草の上に坐っている。お父さんは私と同年齢ぐらい、お母さんはやや若く、子供は高校生ぐらいの男の子と女の子。ふくよかな、アルツハイマーが明らかなおばあちゃんがいる。それぞれが着古したコートをまとっている。サツマイモを焼いているらしい。ピラミッド状にきれいな四角錘に落ち葉と枯れ草が積まれ、その中心に、うっすらぼやけた火の玉が見える。お父さんの前には薩摩白波の一リットルパックが口を開いている。各人の前に紙コップが置いてある。私は、一家心中の直前の酒盛りかと疑った。その疑いはいつまでもなかなか晴れなかった。私はお父さんのそばにへたりこんだ。あごの下に焚き火の熱気が当たる。みんな、いかにも邪気のなさそうな顔をしている。炎が揺らめくと、鼻やまつげの影も揺らめく。ま、どうぞ、とお父さんがリュックから紙コップを取り出して、私にすすめた。お父さんはごつい手をしていた。手先からだけではなくお父さんの体全体から焼酎の匂いが漂ってきた。私は焼酎をなめながら宵闇せまる川面を呆然と見つめた。小魚が時々飛び跳ねる。枯れススキが一斉に海のほうを指差している。薄暗い水面を子供の私が泳ぎ下る……
さあ、焼きあがりました、みんなで食べましょうよ、とお母さんが言って腰を浮かすと、木の枝でサツマイモを掻き出した。枝の先でお芋を突付いてそれぞれの前に転がした。おばあちゃんは、にこにこ笑いながら首を縦に振っている。いつまでも振っている。この人、むかしはさぞ美人だったろう。みんなが、大きなサツマイモを両手にいただいて幸せそうだ。それぞれに角度を違えて首を傾かせ、しばらくお芋に専念する。私もいただく。くっついている焦げた枯葉もいっしょに食べる。
お父さんは、食べかけのサツマイモを膝の上において、息子をちらりと横目でうかがってから、朗々と歌を歌い始めた。稲を刈った後の根が深く張っていて、引っこ抜くのが難儀でならない、というような内容だ。私は、お父さんの横顔を眺めながら、はるかな昔、小学校の砂場で、彼を相手に相撲をとったことがあったかもしれない、と怪しんだ。
歌い終わったお父さんは、あんたも、なんか、どうぞ、と言った。私は音痴だからろくに歌えはしない。だが、急に襲ってきた酔いに負け、もう、破れかぶれの勢いで、うろ覚えの今様を歌ってしまった。筑前今様のメロディーにのせる。
わが子は十余に成りぬらん、巫(こうなぎ)してこそ歩くなれ、田子の裏に汐ふむと、いかに海人(あまびと)集(つど)ふらん、正(まさ)しとて、問いみ問はずみ嬲(なぶ)るらん、いとをしや。
わが子は二十歳に成りぬらん、博打してこそ歩くなれ、国々の博党に、さすがに子なれば憎かなし、負(まか)いたまふな、王子の住吉西の宮。
お粗末さまでした。
おばあちゃんがにこにこ笑いながら手をたたいてくれた。
ほかの四人は、声をあげて泣いた。
私はあわてて立ち上がると早々にその場を去った。
土手道をひき返していると、薄暗闇の中を向こうから、今別れたばかりのお母さんと子供二人が近づいてきた。そんな馬鹿な、と私はいぶかる。三人は、右や左に顔を向け、口々に、おとーさーん、おとーさーんと叫んでいた。そして、急に立ち止まった。
よく見ると私の妻と二人の子供たちだった。
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