道灯
小さく明滅する優しい光が、父と母の遺体を囲んで明るく照らし出す。
ふいに、風が吹いた。
笛の音を伴って娘の傍らを抜けた風が、二人の遺体を優しくなでる。
すると、異変が起きた。
遺体についた無残な火傷や傷跡が、まるで時が逆行するように小さくなっていくのだ。
娘は驚き、はっと侍を振り返るが、彼は目をつむったまま、ただ笛を吹きつづけている。
娘の方も自分の成すべき事を思い出したのか、再び両親の方に向き直ると祈りを再開した。
優しかった母さまは、熱い火の粉が降りかからぬよう背中を抱いて庇ってくれていた。
無口で不器用だとよく人に言われていた父さまは、逃げ惑う人ごみの中ではぐれないようにずっと手を握り締めていてくれた。
無傷ではない。だが、こうしてちゃんと手足も動くしなによりまだ生きている。
痛みは無い。父さまと母さまが自分が負うはずだったかもしれない傷も怪我も全てを引き受けるようにして身を呈して守ってくれたから。
手を合わせて両親の遺体の変化を見守る娘の眼前で、身体のそこかしこにあった傷が無くなり、みるみるうちに痕一つ無いきれいな肌へと戻る遺体の顔が、心なしか安らかなように見える。
「娘、母者達を天に送るぞ。この蛍たちが、母者達を送る道標の灯りとなろう」
確認するかの様に問い掛ける彼の声に、無言で頷く娘。
それを見た彼は再び笛を口に近づけると、今度は別の旋律を奏で始めた。
また風が吹き抜けていく。
だが、今度は先程とは別の変化が起きた。
二人の遺体が、先からどんどん砂のように細かい粒となって崩れていく。
あまりの事に思わず彼の方に振り向くが、彼はただ笛を奏で続けていた。
先程とは違う旋律であるものの、変わらずに労わる様な優しい響きを持つそんな笛の音色に、
娘はこの男を信じると、心に決めた。
細かい粒子にと変わっていく遺体のあった所は、
周りの蛍が灯す明かりに照らされて、きらきらと輝いていた。
その光景が昔見た何かに似ているような気がして、娘は考える。
不意に、なにかの合図であるかのように、笛の音が高く奏でられた。
風に乗って届くその笛の音に導かれるように、蛍が順に空へと飛び始めた。
ゆっくりと飛ぶ蛍と、天へと吹く風が笛の音と共に両親のかけらを空へと舞い上げる。
蛍の光を受けてきらきらと輝き天へと昇るそれは、まるで地上と天を繋ぐ天の川。
幻想的なその光景に、娘はしばし見入っていた。
「木の葉を巻き上げる風のように、この風は言の葉を天へと吹き上げ、届ける。
母者達へ、最後に言いたい言葉を伝えろ」
肩に優しく置かれた手に背中を押してもらうように、一番伝えたい言葉を震える胸の奥から吐き出した。
「父さま―、母さま―、ありがとー。…さようならぁーっ!」
これが、最後の言葉。
言いたいことは次々に溢れてくるけれど、どんなに言葉を飾るよりもなによりも伝えたい言葉。
胸の中から想いとともに涙も溢れ出してきて、娘は我知らず泣いていた。
涙でぼやけた視界の中で、魂を運ぶ風の道標となる蛍の光が溢れていく。
娘は優しい笛の音に耳を傾けながら、ただじっと月へと向かうその光の道を見つめていた。
「娘、どこか身寄りはあるのか?」
翌日、両親を見送ったあと泣き疲れて眠ってしまった娘についていた彼は、そう問い掛けた。
娘をこのまま置いていくわけにもいかないだろう。
せめて安全な所まで送り届けようとは思うものの、彼の問いに娘は首を横に振った。
「…そうか。」
こんな世情では、身寄りがなければどこに送ったところで同じだろう。
たとえ今戦が無いところに連れて行ったところで、そこが次の戦場にならないとは限らない。
みれば、娘は不安そうな瞳で彼を見つめている。言いたい事を言い出せず、どうしようか迷っているようにも見えるが…。
彼は一つ大きなため息をつくと、意を決したように立ち上がった。
「…よし、娘。俺と一緒に来るか?俺は先に自分の村に戻って、一族を弔ってやらねばならぬが、それが終わってからでもよければ、お前に良い引き取り手を捜してやる」
まだ自分が共にいた方が守ってやれるだろう。
村が焼けたあの時から常に戦場にいたのは伊達ではない。
そうして、しばらく戦が起きないような地で、悲しみの傷を負ったこの娘を受け止めてくれるような、そんな優しい引き取り手を捜してやろう。
彼の言葉に、娘は驚くような顔をするとともに、彼に心底嬉しそうな満面の笑顔を見せた。
「…私、手伝います。あなたの一族の方が安らかに眠れるよう。父さまや母さまと同じように天に昇れるよう」
差し出したその手を、少し気後れするように、だがしっかりと握り返した。
己の手を握る小さな、けれども温かいその手が心地よかった。
一瞬、己の目に焼きついたいつもの炎の光景が掻き消えた。
怪しく揺らめく紅い炎が消え、
その目には、どこまでも抜けるような
真っ青で明るい夏の空の青だけが映っていた…。