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いつき りゅう
いつき りゅう
novelistID. 4366
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道灯

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紅い焔が燃え上がる。

逃げ惑う人々も、家族の時間を刻んだ家も、秋の実りを控えた田畑すら、吹き上げる鮮血と断末魔の叫びと共に、飲み込む様に燃え上がる。
それはすでに見慣れた光景。
その地に存在した全ての痕跡を無くし、新たに己の所有の印を刻む儀式であるかのように、この戦乱の地ではどこの戦場であっても、新たなる支配者となる者が当然のように行う行為だった…。

夏の蒸し暑い川のほとりで虫が鳴く。火に追い立てられ、ここまで逃げて力尽きた村人の代わりに嘆くかの様に。
鎧に付いた血を拭き取ろうと布を濡らしにここまで来たが、むせ返るような死臭と川を紅く染める血に濡れた死体。
何度目の当たりにしようとも慣れる事は無い。
戦の最中は生き延びる事に必死で敵の兵士に剣を振るうが、兵士でもない村人や女子供にまでその刀を振る必要がどこにあるというのか?
己が斬りつけ殺した兵士とて、元は武器の代わりに鍬や鎌を握っていた農民だというのに、そんな偽善な事を考える自分の愚かしさに、思わず卑屈な笑みが浮かんだ。

人殺し。
相手が兵士であれ村人であれ、どれだけ言葉を飾ろうが、その事実は変わり様がない。

そう、この両目の上に走る傷跡。

これを負ったあの夜から、己を駆り立てる衝動のままに戦場で幾人もの血を浴びてきた。
一族に伝わる家宝の笛を吹き鳴らす資格などとうに失せた。
代々続く一族の務めも、護るべき地と一族の者達が無くなったあの夜から己の中で意味を無くした。
己の民も守れずに、何が長だ。この血が流れ尽きるまで、あの夜の光景は自分を戦場へと駆り立てるだろう。
目の前の兵士が、自分の村と一族を殺した敵に重なって見え続けるうちは。

がさっ!

川の上流の方で何かが動く音がした。
風がほとりに生えた草を揺らしただけかもしれない。
あの乱戦と業火の中で、数多の死体が転がったここに生き残りがいるかもしれないというのは、到底考えられない。
それでも、万が一という事もある。用心に刀の柄に手をかけたまま、そっと音のした方へと近づいてみた。

川岸に茂った草を掻き分けると、川の水に浸かったまま転がる男女の死体と、その傍らで焦点の合わぬ目でその二体の死体を見下ろす少女がいた。
死体の年恰好から察するに、この少女の両親だろうか?
少女はただひたすらにその二人の体を小さく揺すっていた。

「娘。何をしておる?」

声をかけられ、その娘は彼の方へと首を向けた。
自分の背丈よりも遥かに大きい、鎧姿の彼を見てもその娘の目に恐怖の色は浮かばなかった。
彼に顔を向けながらも、相変わらず焦点の合わぬ目でただ「…母さまと父さまが目をさまさない…」とだけ答えた。
娘の両親は対岸から炎を避けて川へ入ったのだろう。二人とも背中が酷く焼け焦げている。
元はそれなりに上等そうな娘の着物は端が少し焦げてはいるものの、娘自体に大きな怪我は無さそうだ。

おそらく二人で娘を炎から庇って進んだのだろう。岸に着いたところで二人力尽きたのか。
娘は二人を小さく揺すりながら、ただただ消え入りそうな声で「母さま…父さま…起きて…早く逃げないと、炎が来るよ…」と、言い続けていた。
すでに絶命しているというのに、そうすれば父親も母親も目を覚ましてくれるとでもいうように、ひたすら繰り返す。
あまりの痛ましさに見ていられなくなり、まだ幼い娘の手をそっと包み込んで止めた。

「…もう止めよ。そのような事をしたとて、父者も母者も目を覚まさぬ」

彼のその言葉に反応した娘の目には、まるで堰を切ったかのようにみるみる涙が溢れてきた。大粒の涙を流し続ける娘に対して、彼はその手を優しく握ったまま、ただ娘の傍らで黙っていた。

あの夜の自分は泣く事も出来なかった。
悲しい時や辛い時はいつも側にいてくれた優しい母。
握った手のひらからの温もりが心地よくて、堪えていた涙が思わず溢れた時、

「悲しい時はちゃんと泣きなさい。涙は心に刺さった棘を少しづつ押し流して、その傷がそれ以上広がらないように優しく包み込んで守ってくれるものなのだから」

そう教えてくれた母も、あの夜に殺されてしまった。

流れなかった涙は、あの時付けられた両目の傷からの血をその代わりにした。血の涙は棘を流す代わりに、棘の周りで固まってその傷を更に押し広げていった。
どんどん冷えていく体からは、もうあの温もりを感じる事も出来ない。

もう、泣き方すら思い出せなかった。


せめてこの哀れな娘には同じ轍を踏ませたくはなかった。悲しみで胸が張り裂けそうならば、涙と共に出してしまえばいい。
しばらくすると、娘の嗚咽の声が少しづつ静かになってきた。泣いた事で多少は心が落ち着いてきたらしい。
顔を上げたその目はまだ涙がこぼれて赤くなっていたものの、真っ直ぐに彼の目を見詰めた。

「母さまと父さま…もう、戻ってはこないのですよね…?」
「ああ…」

彼に問うような口調ではあったが、むしろ自分でもわかっている事を誰かに肯定してもらいたい、そんな声音だったので、残酷な答えと知りながらもあえて娘の問いに答えた。

「…父さま達を埋葬してあげなきゃ…」

悲しみを振り払うように、今の自分がやらねばならぬ事を呟き、水に浸かった遺体を引き上げようと、遺体の腕を掴んで引き始めた。
幼い娘の力で、水を吸って重くなった遺体がそう簡単に引き上げられる訳がない。それに、そのままでは…

「娘。そのまま埋葬しても、母者達の時は死んだその時のままで止まってしまっているぞ」

「時が止まる」という事の意味が分からず、きょとんとした顔で娘は彼を見返した。

「強い思いを残した者は、自分が死んだ事にも気付かず自分が死んだその状況のまま、感覚と感情を繰り返す。
おそらくお前を助けようとしたその時のまま、熱さと痛みと焦りと恐怖、それを繰り返し続け、まだしばらくは安らかな眠りにはつけまい」

彼の言葉に大きく見開いた娘の目から、目尻に溜まっていた涙がまた一粒落ちた。

「母者達を救ってやりたいか?」

彼の言葉にすぐさま大きく頷く。
それを確認した彼は、懐から細長い袋を取り出し、中に入っていた一本の細い笛をそっと掴んだ。

「ならば祈れ。母者達の命の灯火は消えたが、自分を無事に守り徹した事。母者達に安らかに眠りついて欲しいこと。全ての想いを伝えるつもりでひたすらに祈れ」

突然の事にとまどいながらも、彼の瞳に真剣な光を見てとったのか、娘は手を合わせ両親の遺体へと向き直った。

「お前の想いは、俺が両親に届けてやる。苦しみ続ける時から解放してやれ」

彼はおもむろに右の口元に笛を運び奏で始めた。
かなり年季の入っていそうなその笛からは、予想していたよりもずっと透明で優しげな、澄んだ音色が流れた。

『父上、母上、一族の皆。俺がこの笛を奏でる資格が無い事は分かっている。
 だが、今だけは力を貸してくれ。この娘の想いを救う為に…』

その侍の無骨な指から、意外な程柔らかな音色が奏でられる。
祈りながら、その音色に包まれるような感覚を感じていると、川に小さな灯りが幾つか点った。

「…蛍?」

川の水やほとりの草に点った明かりは、一つ一つが小さな蛍だった。
作品名:道灯 作家名:いつき りゅう