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ノノコが俺を舐める

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「ごめん。ほら、これで機嫌直せ」
「……らりぃ、ろれ?」
「サルミアッキ。外国の飴だよ」
 俺はとうとう痺れを切らし、ずっと心に蟠っていた疑問を解消したくてノノコを試してしまった。
 ポケットに忍ばせておいたサルミアッキ——世界一不味いと評される黒いドロップを与えると、ノノコはそれを何の躊躇いもなく口の中へ。
「おいしい?」
「……ん、おいちい!」
「そっか」
 ノノコはサルミアッキを口中で転がしながら、今にもほっぺたを落としてしまいそうな至福の笑みを浮かべていた。ははは、こりゃ騙される訳だ。この美味しい物を食べているとしか思えない表情を、誰が疑うものか。
 飴の味も分からないノノコは、想像だけを頼りにこんな顔を捻出している。
 肺臓を火炙りにされているような胸の痛みがあって、俺は唇を噛みしめて堪える。
「……どしたの、あっくん? そんな顔して」
「なぁ、ノノコ。お前は俺に何を求めているんだ?」
「……みゅうぅ?」
「誤魔化さないではっきり答えてくれ。お前の狙いは何だ?」
 ノノコの表情がすっ、と無くなった。俺の拳を握っていた両手を離すと、あまり聞いた事のない低いトーンを使って言った。
「狙いだなんて乱暴な言い方はやめて。うちはただ純粋にまっすぐな気持ちで、あっくんの鎖骨が舐めたいだけ。あっくんが好きで好きで好きだからそうしたいだけなの。好きな人の鎖骨の味をこの舌で感じたいって思うのは、いけない事なの?」
「何も感じない舌で、か?」
「……どうしてそれを知ってるの?」
 ノノコは豆鉄砲を食らった鳩のような顔をした。ついに鳥類の顔真似にまで手を出したノノコはぷい、と一度顔を逸らし、今度は眉間にしわを寄せ鋭い瞳をして俺を睨んだ。
「そうだよ。うちは生まれつきの味覚障害だから、食べ物の味なんてひとつも分かんない。……それでも知りたい。あっくんの本当の気持ちを知りたい。感じたい。味わいたい。だって、好きなんだもん! この舌があっくんの鎖骨に触れたら、うちの心に何かが芽生えるような気がするの……」
 ノノコの語調が柔和なものに変化してゆく。俺に対する率直な想念を込めた綺麗で飾り気のない言葉。色を付けるならばそれは、洗いたてのタオルのような純白。
「で、どうして鎖骨に辿り着くんだよ。鎖骨は舐めるものじゃないぞ」
「別に意味なんてないよ!」
「ねえのかよ!」
 鎖骨フェチの一言で片付けられる安易な人格設定はやめて頂きたい。
「強いて言うなら、そうだなぁ……うちの第六感が訴えかけてくる、って感じかな?」
「……改まって訊いた俺が馬鹿だったよ」
「えー、期待外れの回答だった?」
「知らん!」
 いかなる理屈をも撥ね退けて反論の余地を残さない。便利なものだな、第六感って奴は。
 俺にも分けてほしいよ。
「……じゃあさ」俺はもっと深い所へと踏み込んでみる。「もしも味覚が回復したら、どうする?」
「はぇ〜?」
 ノノコの二度目の鳩真似を見て、しまった、無神経な質問を投げかけてしまったな、と後悔したがそうではなかった。ノノコにとって「味覚が回復」するなど天地がひっくり返るのと同義で現実味のない例え話にしか聞こえなかったらしい。でもノノコは決してふざけたり茶化したりせず、真面目に答えてくれた。
「分かんない。っていうか、もうどうでもいいや。味覚ってのがどういうものなのか単純に興味はあるけど、それがなきゃ生きていけないって訳じゃないし。それに、あっくんの鎖骨がおっさんの味だったらショックだし!」
「おっさんはなくとも、舌が喜ぶような味ではないと思うぞ」
「鎖骨が喜んでくれる舌触りかもしれないよ?」
 べー、と、ノノコは俺の肩を掴んで舌を出して見せた。妖艶で美しい膨らみをしている。舌使い次第では本当に俺の鎖骨はノノコの舌によって悦楽に溺れ、羞恥を捨てて喚叫するかも知れないと思った。
「ねぇ、あっくん」
 ノノコはいつの間にか俺の首に手を回していて、息のかかる距離まで顔を近付けていた。唇と唇が触れそうになる。俺はさすがに動揺したが、ノノコを拒絶する気は起きなかった。
 ノノコは世界を映し出してしまいそうな大きく深い輝きを宿した瞳で、俺を見つめる。
「うちはあっくんの事、とっても好きだよ。いっぱい好き。スーパー好き! 好きなんだから好きに決まってるでしょ。ね、好き。好き好きスキスキだいだいだーい好きっ!」
 好きの数をカウントするだけの平常心がなく、俺は妙な汗をかいてただノノコの瞳に吸い込まれるだけだった。
 そして。
「あっくんはうちの事、好き?」
「……て、てひーん♪」
「ぶー、真似するなーっ!」
 ノノコは怒って俺の首を絞めるフリをして唇を鎖骨に近付けてきたので、思わず手を振り払ってしまった。ノノコと離れ、そのまま保健室を出ると始業の鐘が鳴った。
 疾風の如く駆け出したノノコが俺の手を掴んだ。俺はよろめきながらノノコの手に引かれて一緒に走る。
「行こ、あっくん! 授業始まっちゃうよー!」
「おい、そっちは下駄箱なんだが……」
「てひーん♪」
 はぁ。やっぱり結論を出すにはまだ色々と早すぎたみたいだな。ノノコの『好き』がどんなものなのか知りたかったのに俺は俺の『好き』やノノコに対して持ち合わせている感情の正体も不明瞭の状態で結論を急いでいた。結局、俺は頭の悪い問題先送り人間だ。いや、悪いのは俺の頭じゃなくてたくさんの問題を次から次へとぶつけてくる世の中の方だな。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触角、人間が世界を感じる為の経路が五つもあっちゃ、キャパシティオーバーだろ。何でもかんでも一人で問題を抱え込んで消化する事も吐き出す事も出来ずにやがて自滅する俺たちみたいなのは、一つくらい感覚が欠落しているくらいがちょうどいいのかも知れない。
 死神から預かった二つの黒林檎は、明日も俺の鞄の中で腐食を進行、加速させるだろう。
 生物が腐り易い季節だ。
作品名:ノノコが俺を舐める 作家名:sisterist