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飛べない鳥

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ほんの数年前のことなのに、ものすごく遠い出来事のように感じる・・・なぜだろう。
 同時に、現実味もなくなってきてる。
 オレは薄情なんだろうか。

「信じらんない!」
 待ち合わせ場所で顔を合わせるなり、彼女が叫んだ。
「え?」
 時間も場所も間違えてないし、なんでオレが怒られなくてはいけないのかびっくりしていたら、
「さっきの電車の中! 痴漢がいたのよ。痴漢っ」
「手が当たっただけなんじゃないの?」
「そんなわけないでしょ、こう、掌でおしりつかまれたんだから!!」
 怒り心頭しているためか、とんでもないことを大声で叫ぶ彼女に「まあまあ」と声をかけながら、ちらちらと振り返る人たちを気にしつつオレは足早に駅前を去ることにした。
 傍らにいる彼女は、ものすごく派手というわけではないが、今時の女子大生ってこんなもん、という感じはする。
 髪の毛は染めていないが、化粧には気合を入れている。
 スッピンを見たことはあるが、女ってこんなに化粧で顔が変わるのかと驚くくらいだ。
 本人に言うと自覚があるらしく、思いっきりバッグで殴られた。
 女心ってムズカシイね。
「でも映画に行くのにそれは寒いんじゃないのか」
 むき出しの足を見ながらオレが聞くと、
「毛布貸してくれるんだよ、最近のところはぁ」
 小ばかにしたように彼女が笑った。

 その映画は、フィクションではなくドキュメンタリーらしい。
 本国であるフランスでは大ヒットした映画なのだそうで、普段はそんなものに見向きもしないはずの彼女が最終的に「見に行ってもいい」と言ったのは、やはりそれが無料招待券だからだ。
 バイト先で券をもらったのはオレで、興味なかったからほかの誰かにやろうとしたんだが、ことごとくドキュメンタリー映画なんてねー、という反応だった。
 そんなわけで彼女に話を振ったときも、たぶん行かないと言うんだろうなとか思っていたのだが。
 新しくできた映画館での上映だったのも、まあ腰を上げる要因にはなったが、着くと同時にオレを置き去りにして、嬉々としてポップコーンと飲み物を(無料招待券なのでサービス付きなのだ)選んでいる彼女を見たら、意外に楽しんでるじゃないかと、ほっとしたような、拍子抜けしたような、妙な気持ちになった。
「すごいよね」
 席に着いてポップコーンを早速頬張りながら、彼女が呟く。手にはいつの間にかしっかり映画のチラシが握り締められていた。
「何が」
「皇帝ペンギンってさ、海から100キロも歩いたところにある営巣地に歩いていって、零下40度の中で、120日間に及ぶ絶食と、時速250km以上の激しいブリザードに身をさらされながら、ひたすら卵を抱き続けるんだって。よく生きてられるよね」
「そういうふうに出来てるんだろ?」
「あ、ひどい言い方。冷たいわね」
「・・・・・・エミューって鳥、知ってる?」
「エミュー? あの、ダチョウみたいなやつ?」
「そう。オーストラリアの飛べない鳥」
「名前だけは。ダチョウとは違うんだ?」
「違うよ」
 隣に座る彼女の興味が向いていることを感じながら、ふと、オレはあのときのことを思い出した。
 あのひとも、あのときはこんな気分だったのかな・・・・・・

「エミューってね、一度走り出したら真っ直ぐにどこまでも走るんだよ」
 唐突なセリフに、思わず頭を上げた。
「エミューって鳥、知ってる?」
「あの、ダチョウみたいな鳥?」
「そう。オーストラリアの砂漠に生息してる。エミューは、一箇所には留まらないんだ。ずっと、移動し続ける。中にはオーストラリア大陸全土を移動していくものもいるんだって」
 季節は冬だった。そして夕暮れだった。
 オレは中学生で、その人は高校生だった。お隣の夏夜ちゃん、と両親は呼んでいたが、いつからかオレはそう呼ぶのがこっ恥ずかしくなって、中学生ぐらいのときから「先輩」と呼ぶことにした。
 夏夜子はニヤリと笑って「偉くなった気分だ」とその感想を一言述べたが、それ以上の追求はなかった。
 3歳違いというのはそんなに離れてないくせに、中学校からはすれ違いになっていくから、思ったよりも距離が開く。小学生のころは少年によく間違われていた夏夜子も、高校に入ってからは髪の毛もずいぶん伸び、どこから見ても立派な女に見えるようになっていた。
 サバサバしたところは相変わらずだったけど。
 そして夏夜子は、頭がよかった。
「すごいと思わない?」
「そういうふうに出来てんだろ?」
「そう。そういうふうに出来てる生き物。だから旅人って呼ばれる。さて、問3はできたかな?」
「・・・・・・途中までは」
 頭がいいから、誰もが大学にすんなり進学するんだと思っていた。事実、このあたりでは有名な進学校に通っていた。
 将来は医者か弁護士か。うちの将也も夏夜ちゃんみたいに頭がよかったらねえー。それは母親の口癖みたいなもんだった。
「走り出したら止まらない、っていうのがいいよね。一直線に走っていくっていうのも、いい」
 問題を解けというわりには、夏夜子の話は続く。
 オレは問題を眺めながら、夏夜子の声を聞いていた。
 夏夜子は大学には進まなかった。大阪の、デザインの専門学校に行くことにした。
 両親とも、学校とも、モメたらしい。これはうちの母親から聞いた。夏夜子はこのことに関しては何も言わなかった。そして夏夜子の両親は今でもこの選択を許していないらしい。勘当とまではいかなくても、学費の面倒までは見てやらん、生活費の援助だけは死なれたら困るからしてやる、と言われた・・・そうな。
 どっちにしても、春にはいなくなる。
 この何年か、夏夜子から遠ざかっていたオレは、コンビニでたまたま鉢合わせした夏夜子に「相談」を持ちかけてみた。
 それは、そのとき急に思いついたことではあったけど、実は心臓が口から出そうなほど緊張しながら持ちかけた相談だった。オレは、必死だった。西高に行きたいから家庭教師をしてほしい。どうせ、進学先決まってヒマなんだろ、と言わなくてもいい一言を付け加えたら、夏夜子は「生意気言うじゃないか」と思いっきり耳を引っ張ってくれた。
 夏夜子は、オレの憧れだった。
 どれほど夏夜子ともっと歳が近ければ、と思ったことだろう。
 同じ制服を着て、同じ学校に通えたら・・・・・・
 夏夜子が見ているもの、聞いているものを、一緒に見たり聞いたりしたかった。
 どこまでも年長者としてしか接してこない夏夜子が、もどかしくて、どうやったって夏夜子より早くは大人になれない自分が悔しかった。
「こんな問題、即答できないようじゃ西高には受からないよ、将也」
 唐突に話が受験に戻ってきた。
「う・・・うるさい」
「ホントのことだもん。泉が丘にすればいいのに」
「なんで」
「あそこのほうが制服かわいいし、それにうちの中学からの進学も多い」
 目を上げると、夏夜子は机に頬杖をついてぼぅっとしていた。
「先輩?」
「別の式を立てるんだよ。xをそれに代入しないと解は出ない。xが出ないならyも出ない」
「う」
「エミューってさ」
 突然、話がまた戻った。
 夏夜子は、一度はノートにやった視線をまたどこか遠くにやりながら、独り言のように言う。
作品名:飛べない鳥 作家名:sai