たいやき屋。
飽きたのかもしれないし、元々年配の方なんだからたいやきを食べるのが体に良くなくなったとか、そんな理由があるのかもしれないし、近所にもっと美味しいたいやき屋が出来たのかもしれない。
ただ、寂しかった。
しわしわの手でお好み焼き味のたいやきを持って、これが大好きで美味しいのだと全身で言っている姿を見られないのが、たまらなく寂しかった。
あの姿を見ているだけで、毎日毎日お好み焼き味を持って帰っても、宣伝用のポップにお好み焼き味をお勧めできなくても、おばあさんを見ていれば幸せになれたのに。
幾ら待ってもおばあさんは店にやってこなかった。
我ながら身勝手だな、と思いつつもおばあさんを責めずにいられなかった。
おばあさんが私から幸せな気持ちを奪ったように感じ始め、次第に頭を撫でてくれなくなった両親とおばあさんが重なり、いっそもう来なくても良いと思い始めていた。
期待して、裏切られるのなんか慣れてる。ならもうあのおばあさんを心待ちにしたりしない。
どうせ誰も好きじゃないだろうお好み焼き味なんて、毎日売れ残れば良いんだ。
おばあさんがくれたはずの温かい何かが私の中でひび割れていく、そんな気がした。
そうしておばあさんがこなくなって暫く経ったある日。私が会計を担当していると、一人のおじいさんが来店した。
機械的にいらっしゃいませと告げた私に、おじいさんは何故かだんまりを決め込む。
待っていても何も言わないおじいさんに多少イラつくけれど、客商売客商売と心を鎮めてから、私はおじいさんに先を促した。
「ご注文は?」
「お好み焼き味のを、全部ください」
おじいさんの発した言葉に、私は耳を疑った。
あのおばあさんが来店しなくなって以来、更に売り上げの落ちていたお好み焼き味のたいやきを、このおじいさんは全部買うという。
「全部、ですか?」
「はい。今あるだけ全部をください」
「……少々お待ちください」
私は泣きそうになるのを必死でこらえながら、お好み焼き味のたいやきを袋に詰めた。
全部欲しいということは、少なくとも興味本位で食べてみたいんじゃない。おじいさんは、お好み焼き味を選んだんだ。
確かに買ってくれるのはあのおばあさんじゃないけど、間違いなくお前はもう一度お前として必要とされたんだよと、心から叫びたかった。
もう二度とこんなことはないかもしれない。夕方のこの時間、店長の指示がなければもう今日はお好み焼き味のたいやきを焼かないだろう。だから売れ残らないのは、今日だけかもしれない。それが、たまらなく嬉しい。
たいやきの詰まった袋をおじいさんに手渡す。穏やかに微笑むおじいさんの笑顔は、どうしてだかあのおばあさんを思い出させた。
とても勝手な思い込みだけれど、私はそれだけでおじいさんにも頭を撫でてもらった気がした。
「ありがとうございました」
初めてお好み焼き味のたいやきの場所に「完売」の札を置けるのが嬉しくて、私は大きな袋を両手に抱えたおじいさんの背中に、深々と頭を下げた。
お好み焼き味のたいやきが全部売れてしまったのを見た店長が、追加で焼くよう指示する。
今から焼いても売れ残るのが目に見えている私は内心その指示にがっかりしていたが、所詮バイトでしかない私は店長からの指示に逆らえるわけがない。
渋々一列分だけ、お好み焼き味のたいやきを焼く。
焼きあがって「完売」の札を名残惜しげに外し、再びそこにお好み焼き味のたいやきを並べていた私の肩を、店長が叩いた。
振り返ると、店長は並んでいるお好み焼き味のたいやきを一匹手に取ると私に手渡した。
「店長?」
「休憩だろ。これ、折角焼きたてだし持ってっていいよ」
「あ、ありがとうございます」
出来上がったばかりのお好み焼き味のたいやきを手に、私は休憩室へ向かう。
休憩室には珍しく誰もいない。
サービスで飲める温かいほうじ茶を淹れた私は、窓際の席に腰掛けた。
そういえば焼きたてのお好み焼き味を食べるのは初めてだ。家に持ち帰っても、温めなおすのが面倒で冷えたまま食べていたから。
鼻先に漂う香ばしさいっぱいのたいやきを頭からかぶりついた。
「……え」
──こんなに美味しかったっけ。
キャベツと出汁と生地の異なる種類の甘さが混ざって、ぴりっと効いた紅生姜と忘れちゃいけない干し海老のアクセントが飽きさせなくて、ぱりっと香ばしい外皮がそれを優しく包んでる。
味のハーモニーは家で食べるときと同じなのに、何倍も美味しかった。
口の中でたいやきを咀嚼しながら、私は唐突に理解してしまった。
こんなに美味しいたいやきは、私と同じじゃない。少なくとも、今の私じゃない。
お好み焼き味のたいやきは、沢山じゃなかったとしても、その数が少なかったとしても、確実に必要とされている。例え売れ残っても、毎日毎日焼いてもらえる。少しでも買ってくれるお客の為に、売り場に並ぶ。
だから店長も、売れ残るってわかっていても毎日必ずお好み焼き味のたいやきを焼くんだ。
あのおばあさんの幸せそうな笑顔もしわしわの優しい手も、沢山買ってくれたおじいさんの笑顔も全部全部、個性的で美味しいお好み焼き味のたいやきのもので、私に向けられたものじゃない。
クラスでは自分から溶け込もうとせず、親にはどうせわかってもらえないからと話もせず。海外に行きたいのだって、誰も自分を知らないところで一からリセットしてみたいだけの私とは違う。
冷めていても求められて、冷めてなければもっと美味しいお好み焼き味のたいやきと、最初からすべてを諦めていて、新天地での周囲に期待しているだけの私とは違う。
違うんだ。
私は、お好み焼き味のたいやきを見下して、仲間が欲しかっただけに過ぎないんだ。
「……」
現実を認めてしまった私の涙腺が限界に達し、頬を涙が伝う。
なれるだろうか。まだ、間に合うだろうか。
私にも、お好み焼き味のたいやきのようになれるだろうか。
傷をなめ合うように姿を重ねるのではなく、本当の意味でお好み焼き味のたいやきになりたい。万人好みでなくても、誰かに美味しく食してもらえるお好み焼き味のたいやきのようになりたい。
なれなくても、なれるように努力してみたい。
「……よし」
家に帰ったら、数ヶ月ぶりに親と話をしてみよう。私が何を考えていたのか、将来どうしたいのかを真剣に話してみよう。
今日もきっと売れ残るだろう、お好み焼き味のたいやきを温めなおしてから出して、お茶を淹れて。
誰もいない休憩室で一人、私は涙を流しながらお好み焼き味のたいやきを完食した。