惜別
読み終えて、私は床に座り込んでしまいました。昨日占い師さんが言っていた、わたしとリーアンの過去とは、このことだったのです。今まですっかり忘れていて、頭の中の容器に閉じ込めていたものが、蓋を押し上げ、怒涛のように溢れ出しました。
――嘘をついてはいけないよ。
――お前がリーアンを突き落としたんだろう。
鬼のような形相をした父様と母様が、幼いわたしを睨みつけています。床には、頭から血を流したわたしよりももっと幼いリーアンが転がっていて……。
――ちがうの。わたしじゃないの!
本当に、わたしではないのでしょうか。泣き叫んだ記憶は、おぼろげにですが、確かにあります。でも、その直前に何があったのか……、わたしがリーアンを突き落としたのか、それともリーアンが自分で階段から落ちてしまったのか、それが全く思い出せないのです。けれど、どちらにせよ結果は同じだったでしょう。リーアンは視力を失ってしまったのです。
ああ、リーアン。
あの子は生まれた時から盲目なのではなかったのです。赤ん坊の時に頭を強く打って、その後遺症で見えなくなったのです。
こんなに重大な出来事なのにも関わらず、わたしは覚えていないのです。
――リーアンを突き落としたのは、お前だ。
――嘘をつくな!
幼いわたしはきっと、父様と母様に責められて、自分がリーアンを突き落としたのだと確信してしまったのでしょう。恐らく、リーアンのことがいつも気になって仕方ないのは、そのせいなのでしょう。
けれど、今更思い出したところでどうなるというのでしょう。結局、肝心なところはわからないままなのです。
わたしには罪があるのでしょうか。それとも、思い出せないことそれ自体が罪なのでしょうか。
もしそれが罪なのだとしたら、どうやって償えば良いのでしょう。これから何をしたとしても、リーアンの視力が戻るわけではないのです。
***
わたしはリーアンに全てを話しました。
リーアンは、わたしが口ごもりながら話すのを、何も言わずに聞いていました。
「そうだったの」
聞き終えた後、彼女は閉じられた瞳で笑いました。
リーアンから世界を奪ってしまった張本人かもしれないわたしを目の前にして、リーアンは何を思っているのでしょう。
体の奥が震えるようなこの感覚。わたしはリーアンを恐れているのです。せめて、一度でも瞬きをしてくれたなら。その目を見れば、彼女の心がわかるかもしれません。そんな叶うはずのない無駄な願いがわたしの胸を過ぎりました。そういえば、リーアンの瞳はいったい何色をしているのでしょう? 母様やわたしと同じ焦げ茶でしょうか。父様と同じ黒でしょうか。そんなどうでもいいような疑問が湧いたのを振り払います。
「姉様、もし姉様が私を突き落としたのだとしたら、私は姉様を許せないでしょう」
「そう、よね」
ああ、やはり。わたしは悪い姉なのです。リーアンに恨まれてもしかたがないのです。
「でも、それは誰にもわからないこと。私は姉様を信じてる。その時姉様がやっていないと言ったのなら、きっとやっていないのでしょう。……それに何より、大好きな姉様にそんな罪を背負ってほしくないの」
「リーアン……」
どこまでも優しいリーアン。リーアン、リーアン、リーアン。
「だから姉様。姉様は私のためじゃなくて、姉様のために生きて」
その言葉を聞いた途端、心が、体が、ふっと軽くなったような気がしました。胸のどこか深い所につかえていたものが、すうっと溶けて消えていったような感覚です。
わたしは、許されたのです。自分を縛り付けていた鎖から、解き放たれたのです。
「ありがとう」
それだけ言うのが精一杯でした。わたしは思わず、リーアンを抱き締めていました。
「姉様ったら」
リーアンはくすりと笑うと、わたしをそっと抱き締め返してくれました。
「リーアン、わたし、いつかきっとお嫁に行くわ。あなたよりも先に、きっと……」
「当たり前じゃないの。姉様の方が二つも年上なんだもの」
「ふふ、それもそうね」
わたし達はたった二人の姉妹です。
でもいつかきっと、離れ離れになる日が来るのでしょう。
その時まで平和な日々が続くことを、わたしは願ってやまないのです。
【了】