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スカイグレイ
スカイグレイ
novelistID. 8368
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惜別

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「姉様、赤いって、なあに?」
 こんなことを聞かれたのは、もう何年前になるでしょうか。わたしが学校から帰って、その日あったことを話していると、ふと思いついたように、リーアンはそう言ったのです。確かわたしは、先生が学校の花壇で育てている赤いお花がとても綺麗だったと、そんな話をしていたのでした。
赤いって、なあに?
そう聞かれて、わたしはなんと答えたのでしょう。覚えていません。もしかすると、答えられなかったかもしれません。ただ、驚きや戸惑い、それから少しの悲しみに胸が塞がれるようなあの感覚は、忘れることはできません。生まれた時から目の見えないリーアン。彼女の世界には色も形も、何もないのです。
リーアンは、音を聞いたり、物に触れたりすることによって、彼女の世界を広げます。お花は、いい匂いがして、触るとすべすべしている「良い」もの。火は、暖かくて安心させてくれる「良い」ものだけれど、同時に命を脅かす「恐い」もの。そんな風にしてリーアンは、色々なことを学んできました。点字の本も読むようになって、リーアンはもう、わたしよりずっと物知りです。けれど、知ってはいてもわからないことがたくさんあると、彼女は言います。そのうちの一つが色についてで、ものには全て色がついていて、木は茶、空は青など、それぞれに相応しい色があるのだと、わたしがいくら説明してもリーアンは首を傾げるばかりなのです。
「ああ、もしこの目が見えたらねえ!」
 リーアンは両手でその閉じられた双眸を覆い、ため息をつきました。
「姉様、私は姉様と世界を共有できないのが悲しいの。赤いってなに? 青い空ってどんなもの? 姉様はどんなお顔をしているの? わからない、私には想像できない。どうしたら想像できるのかがわからない!」
 それを聞いて私は、はっと気がつきました。想像とは、頭の中に何かを思い浮かべることです。「見た」体験のないリーアンにそれができるはずはないのです。それでは、リーアンはなんて淋しい世界に住んでいるのでしょう! わたしだったら耐えられないに違いありません。
「姉様、私の世界は暗闇なんだと思うわ」
 別の日、リーアンは言いました。
「暗闇って、普通の人は恐がるものだそうだけれど、私はずっと暗闇の中で生きてきたから全然恐くないのよ」
 強がっているようには見えなかったけれど、自分に言い聞かせているように思えたのは、気のせいでしょうか。わたしにできたのは、リーアンの手をそっと握ることだけでした。
 リーアンは可哀相な子です。彼女は目が見えないだけでなく、体もとても弱いのです。少しでも外に出ようものなら、すぐに風邪を引いてしまいます。いえ、外になど出なくても、リーアンは次から次へと新しい病気にかかってしまうので、大げさではなく一年の三分の二はお布団の上にいます。今日とて例外ではなく、わたしは今、三日前から自室で寝込んでいるリーアンのために食事を運んでいるところなのでした。
「リーアン、調子はどう?」
 わたしが部屋に入ると、リーアンはゆっくりと身体を起こしました。
「大分いいわ」
「そう、良かった」
 確かに、昨日よりもずっと顔色が良くなっています。額に手を当ててみても、熱はほとんどないようでした。
「お粥、熱いから気をつけて。お皿があるから、それに取るといいわ」
「ふふ、大丈夫よ。そんなに猫舌じゃないもの」
 わたしは、お盆をリーアンの太腿のあたりに乗せてその手に匙を握らせ、食器の位置を説明します。そして、冷ましもせずにお粥を食べ始めた途端、リーアンは、熱っ、と顔を顰めました。
「だから言ったじゃないの。ほら、お水飲んで。お皿に取り分けないからよ」
 わたしが匙を取ってお粥を小皿に取り分けようとすると、リーアンは目にも留まらぬ速さでそれを引ったくりました。
「それぐらいできるわ」
 リーアンは短く言って、自ら皿に取り分け始めました。
「……姉様は、過保護だと思うわ」
 しばらくして、リーアンは口を開きました。
「そう、かしら?」
「そうよ。私は姉様が考えているよりずっとたくさんのことができると思うの」
「そう、なの?」
「ええ。私だって、いつまでもこのままじゃいけないってわかっているのよ。姉様だって、そのうちお嫁に行くだろうし……」
「お嫁に? わたしが?」
 思ってもいなかったリーアンの言葉に、わたしは驚いて聞き返しました。
「だって、姉様はもう二十歳でしょう? いつそういうお話が来てもおかしくないわ」
 そうなのでした。私はもう二十歳で、とっくに結婚しても良い年齢なのです。実際、わたしのお友達は、次々に立派な式を挙げているのでした。
「でも、わたしがお嫁に行ったらあなたは……」
 母様と父様を五年前に相次いで亡くしたので、わたし達は二人暮しです。わたしがいなくなったら、リーアンはこの大きな家に一人残されてしまいます。
「そんなの人を雇えば済むことだわ。そのくらいの余裕はあるはずよ」
 商人だった父様は、流行り病で亡くなる前に、贅沢さえしなければ生活に不自由しない程度の財産を残してくれていたのでした。
「ええ、そうね……」
 正直、わたしは自分の将来について考えたこともありませんでした。結婚、などというのは別世界のことのように感じていたのです。そんなわたしとは正反対に、リーアンはとても真剣に考えていました。妹に心配をかけるわたしは、悪い姉です。けれど、どうしてもしっくりこないのです。結婚、と言うよりも、リーアンと離れる日が来ることが信じられないのです。同じような日々がずっと続くと思っていたのに、それが終わってしまうなんて。わたしは変化など望んでいません。ずっとこのままでいいのです。このままがいいのです。

              ***

 リーアンの風邪が無事に治ったので、わたしは久しぶりに散歩に出かけることにしました。家の近くの小さな広場まで行くと、人がたくさん集まっています。どうしたことかと思って近付いてみると、知った顔に出会いました。
「ジーナじゃない! 久しぶり!」
 わたしに手を振ってきたのは、昔の同級生のオリガです。
「オリガ! あなたの結婚式以来ね! ねえ、この人だかりはなんなの?」
「なんでも、遠い町から占い師が来てるらしいのよ。ここからじゃ見えないけど、広場の真ん中に天幕を張ってそこにいるみたいなの。で、ここに集まってるのは、占ってもらおうと天幕の前に列を作って並んでる人達と、自分も占ってもらおうかどうしようか迷ってる人達ってわけ。……ジーナはどうするの?」
 急に聞かれて、わたしは戸惑ってしまいます。でも、折角の機会、逃してしまうのはあまりにももったいないかもしれません。人生でこれっきりかもしれないのですから。
「わたし、占ってもらおうかしら……。オリガは?」
 すると、オリガは首を横に振って言いました。
「あたしはいいわ。今は特に占って欲しいことはないもの。結婚もしちゃったし、もし『これから運命の人が現れる』なんて言われたら困るものね」
 また、結婚の話です。それが表情に出てしまったのでしょうか。オリガは、しまったという顔をしました。
作品名:惜別 作家名:スカイグレイ