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イン・ザ・クローゼット

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一.


 いまさら妹たちの面倒を見ることには慣れているけれど、こんなのはあんまりだわとアレットはため息をついた。お母さんはお姉ちゃんなんだからと言うけれど、アレットだって本当はまだ十四歳で、たまには甘えてみたい時だってあるのに(正直、ママンなんて呼んでみようかな、と思う時に限って妹たちが「ママン、ルイーゼがあたしのお人形盗ったぁ!」「ちがーう、シャルロットがあたしのリボンを先に使ったのよぅ、ママン!」とか叫び出すのはうんざりだ!)。
 今日だって、ママンとパパはお出かけだから三人でいい子にお留守番よ、とうるさいくらいに言っておいたのにこの騒ぎだ。もうあんな妹たちなんて放っておいてベッドでぐっすり寝てしまいたいのだけれど、きっと帰ってきて二人がいないことに気がついたらママンもパパもすごく哀しむにちがいない。アレットはお姉ちゃんだったので、十四歳にしてはそういうことに気が回るようになってしまった。
 しょうがないわ、二人をさがしに行かなきゃ。アルバムからはがしてきた家族の写真をポケットに入れると、アレットは床の上に置きっぱなしの大きな本を持ち上げた。革張りの、パパの書斎のガラスケースに鍵をかけて入れてあるような本で、アレットにも妹たちがどこからこの本を持ち出してきたのか、さっぱりわからなかった。ちょっと読んでみたところによると、どうやら二人は今紫色の花が咲き乱れるお花畑を超えたところらしい。
「大変、早くしないと」
 アレットは急いでその大きな本をカバンにつめこむと、妹たちの部屋に駆け込んだ。うすく開いたままのクローゼットを深呼吸して両手で開けると、そこには明るい銀色の霧のようなものがもやもやと浮かんでいる。まったく夜中にこんなところを開けたりするから落っこちちゃうのよ、とぶつくさ文句を言いながら、アレットはえいっとばかりに霧の中に飛び込んだ。
 霧の中は――幸運にも!――しばらくまっすぐな道が続いていてアレットが迷ったりすることはなかったけれども、馬鹿みたいに延々と道が続いていた。先へ、先へ、もっと先へ。
 大きな本を持って歩いているおかげで――もちろん普段ならこのくらいでつかれたりはしないのだけれど――アレットがへとへとになったころ、ようやく霧は晴れて目の前に芝生が広がっているのが見えてきた。作り物なんじゃないかとアレットがちょっとうたがうくらいきれいな芝生で、向こうの方には川があって赤い鉄橋がかかっている。足下の小径は、どうもその鉄橋に続いているようだった。あの子たちもここを行ったのかしら、でも景色はよく見えるけど、空はまだ夜なのに、とアレットは小首をかしげた。
「失礼ですがお嬢さん」
 その時突然後ろから声をかけられて、アレットは悲鳴を上げそうになった。だってわたしは後ろから来たのに、どうしてわたしの後ろに人がいるのかしら。
「あ、ちょっと、そういう反応は傷つくよ、やっぱり。あのですね、できれば助けてほしいんだけど、お嬢さん」
 ふりかえってみると、アレットの足下よりは少しはなれた場所に、いとこのお兄さんと同じくらいの見た目――お兄さんは去年から大学に通っているのだけれど――の男の人が埋まっていた。身体の上半分だけが地面からにょっきりと顔を出していて、しかも彼の頭にはウサギの白い耳が生えている。アレットは、シャルロットがこの前工作の時間に作ってきた、変な形の人形を思い出した。
 わたし、この人と話したくないわ。それでもしぶしぶおじぎをした自分を、アレットは褒めてあげたいと思った。
「……ごきげんよう。ところでそれって、なにかの罰ゲームなんですか、お兄さん」
「あんまりごきげんよくはないけどね。罰ゲームというか、ちょっと読書にのめりこみすぎてしまってね、お嬢さん」
 ほら、とウサギ耳が身体の根本を指さした。おそるおそるのぞきこむと、なるほど彼は地面から生えているのではなくて、本から生えていた。でも、読書にのめりこむとこんなふうになるっていうのは初耳――それとも初目っていうのかしら、とアレットはちらりと考えた――だわ。
 こまっている人は助けてあげなさい、とママンはいつも言っている。本当はこんな変な人は無視してしまいたかったのだけれど、アレットはしかたなしに――ひょっとしたらこの人はシャルロットとルイーゼを知っているかもしれないし――ウサギ耳をよいしょと引っ張ってみた。
「ありがとう、お嬢さん! あ、でもちょっと、引っかかってるよそこそこ、痛いって――もうちょっとやさしく」
 して、とウサギ耳が言い終わる前に、彼の身体はすぽんと本から抜け出した。勢いで後ろ向きに転がりそうになったアレットを、その耳に似つかわしいすばやく、軽い身のこなしでかばうと、ウサギ耳は大丈夫かい、お嬢さんとにっこり笑った。それからやれやれとため息をついて、今まで自分がはまっていた本をひろいあげて土埃をはたき落とした。アレットはその間、目をまるく見開いてウサギ耳をながめていた。
 ウサギ耳はまるきりアレットのような人間と同じ格好なのに、頭にはやっぱり何度見直してもウサギ耳が生えていて、本の中から出てきた下半身には尻尾までついていた。それに真っ白な燕尾服を着て、さっきは気づかなかったけれど、クローバーを編んで作った小さな王冠までかぶっている。仮装パーティみたいだわ。アレットはこっそり肩をすくめた。
「いや本当に助かったよ、お嬢さん。どうしようかと思ってたんだ。ところで僕を助けてくれたかわいい方、名前は?」
「アレットと言います。ちょっとおたずねしたいんですけど」
 ポケットから写真を出して、ウサギ耳に差しだした。
「この二人を見ませんでしたか? わたしの妹なの」
 ふふん、と興味深そうに鼻をならして、ウサギ耳は写真をじっくりとながめた。それからさっきの本をぱらぱらとめくって、もう一度鼻をならした。
「あいにくだけど、僕の本には書いていないみたいだ、お嬢さん。君の本には書いてあるんじゃないのかい?」
 それにどうせ行くところなんて、ひとつしかないよとウサギ耳は意地悪そうに笑った。ひょこりと長い耳をゆらして、遠く、赤い鉄橋のかかる川の向こうを指さした。あいにく暗かったので、そちらになにがあるのかアレットにはよく見えなかったけれど。なにがあるの、とアレットが聞くと、ウサギ耳はお城だよ、お嬢さんと教えてくれた。
「ちょっと本を見てごらん。妹さんたちはお城にいるんじゃないかな」
「暗くて見えません。ランプも持ってないし」
「なんだ、そんなこと。ほら――これで見えるだろう、お嬢さん」
 ウサギ耳はポケットから小さなガラスびんを取り出して、くるくると試験管をそうするように軽くふった。そのビンは、ぽうっと赤いような金色のような色に光っていた。朝焼けみたいできれいな色、とアレットはため息をついた。
作品名:イン・ザ・クローゼット 作家名:みらい