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Tの目

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 わたしと友人は高校時代からの仲であった。友人は、実名をさらすに忍びないので仮にTとしておくが、才能ある、立派な男であった。
 先ほど、Tはわたしの友人であるというようなことを書いた。しかしわたしは高校時代から、何故Tがわたしを友人として扱うのかよくわからなかった。わたしはTに比べてごく平凡な人間であると今でも固く信じているし、周囲もそのように受け取っていた。ただTばかりが、「君は公平な男だ」と言ってわたしを高く評価していた。
 Tの心情はどうあれ、わたしはそのように彼に思われていることで多少なりとも鼻が高かった。繰り返して言うが、Tは非常にすばらしい男で、彼を知る者は皆そのように認識していたからだ。
 わたしとTの仲は大学に進学し、社会に出てもそのようなものであった。わたしたちは時に政治を語り、芸術を語り、あるいは私生活やさほどの腕前でもない賭け事などについてもよく話したが、わたしはその度に、Tの広範に渡る知識に圧倒されずにはいられなかった。しかし一方で、どういうわけかわたしはTの才能を認めていながら、自分に才能のないことを悔やんだり、ましてTを妬むなどということはなかった。ひょっとすると、Tはこのようなわたしの性格を買っていたのかもしれない。しかしわたしは単にわたしという人間がTに及ぶべくもないことを知っていただけであり、T以外の人間に対しては、ごく普通に嫉妬もした。
 わたしがある企業に勤め出して、十年ほど経ったころのことであった。わたしの家にTがひょっこりとやってきて、実はこのほど会社を設立した、ついてはぜひ君を俺の会社に迎えたい、と言った。わたしは驚き、そのようながらではないことを懸命に説明したが、Tは一歩も引かなかった。Tは、君のような公平な男が会社には必要だ、と言った。そして、なんならわたしを役員待遇で迎えてもかまわない、とさえ言った。
 わたしは平凡な人間である。役員という言葉には食指が動いたが、同時にそのような都合の良いことばかりを考えていられるほど、良心がないわけでもなかった。わたしはその程度にはうつくしい心を持って生まれてきたつもりであった。
 わたしは終いにはTの頼みを承知した。しかし同時に、役員はいくらなんでも行き過ぎだ、もう少し低い役職でかまわないが、その代わり君と対等に話すことを許してほしい、とも言った。Tはわたしの頼みを快諾した。そうして、「君は公平な男だ」とまた言った。
 わたしは仕事を辞め、Tの会社に、ある部署の部長として勤めることとなった。これはわたしの良心とTの友情が折り合いをつけた結果であった。わたしは何人かの上司と何人かの部下を持つことになったが、Tとの友情はこれまでとなんら変わることがなかった。
 高校時代からわたしたちを知る何人かは、わたしたちの関係を不思議に思っているようであった。しかしわたしにとって、この関係はごく自然なもののように思えていた。わたしは凡人であって、Tに嫉妬したりはしなかった。ある意味、わたしはTに対してのみではあるが、神のごとく超越した態度をとることができた。わたしと彼とは、さほどに異なる生き物であった。
 しかし、わたしが重役の一人になってしばらくしたころだったか、わたしとTは諍いを起こした。きっかけは、わたしが大学時代の友人に金を貸したことであった。誓って言うが、わたしは会社の金を着服したりなどはしなかった。そのようなことはわたしの良心が許さなかったし、何よりTに対する裏切りであった。
 しかし、Tはわたしを咎めた。彼は君のような人間に憐れまれるほどの男ではない、とTは言った。わたしはTに、そんなことは言うべきではない、と言った。Tがわたしを評価するのであれば友人も評価されるべきであったし、友人を見下すのであればわたしもまた見下されて然るべきであった。事実わたしとその友人の間には、どれほどの違いもなかった。
 わたしはTに、もうその話はよそう、と言った。わたしはTとは、そのような根元的な話はしたくなかった。しかしTは馬鹿に真剣な顔で続けた。君は彼がどんな理由で金をほしがっているのか知っているのか、と言うのである。わたしは無論そのようなことは問わなかった。友人は金を持っておらず、わたしはたまたま自由になる金を幾ばくか持っていた。だから貸したまでである。
 わたしは、Tにはそうした考えは理解できないのだろうと考えた。Tは才能ある人間の常で、他人にも彼と同じだけの才覚を求める癖があった。そうしてそれを示すことのできない人間に対しては、同情よりもむしろ軽蔑の念を寄せた。
 わたしは、俺の金を俺が誰に貸そうが、君に迷惑はかかるまい、と噛みついた。わたしがTにそのような態度をとることは、これまでにないことであった。
「それはもちろん、俺が会社の金に手をつけたと言うなら君の言い分を聞かないでもないが、しかしこれは俺の問題だろう。それに君は常々俺を公平だ、公平だと持ち上げておきながら、今俺が彼に金を貸すのは彼がふさわしくないからいかんと言う。君の言うことはちょっと矛盾してるんじゃないのか」
 わたしはたまたまその時、Tに対して人間に戻ってしまったのであろう。わたしはTに、ちょっと愛想のいいことが言えなかった。
 それきりわたしたちの仲はひどくこじれてしまい、自然とそれまでのように腹を割って話すということがなくなった。Tはどこか、わたしと対立することを恐れているようであった。わたしは彼に意見のできる地位の一人であったが、それはあくまで公的なものとなり、私的なものではなくなった。
 そのような状況になってなお、Tはわたしを解任しようとはしなかった。驚くべきことではあったが、わたしはTはそうした男だと先ごろから信じていたために、他人ほどの衝撃を受けなかった。わたしなどよりよほど、Tは公平な男であった。
 そして先日、Tが死んだ。死因は脳卒中であった。お互いにもうそのような年であったことを、わたしはTが死んでようやく思い知った。同時に、Tのような男も死ぬのだなと不思議な気分であった。
 Tは生涯独身であり、息子も娘もいなかった。Tが設立し、わたしが長年勤めた会社は、世間から見てもなかなかの規模となっていたが、それだけに、後継者問題は深刻なものになると考えられていた。このような場合どうやって後継者を決めるのかをわたしはよく知らなかったが、ひそかにあの人がふさわしいのではないかなどということを考えてもいた。わたしはそのようなことを考えなくてはならない地位にいた。
 わたしたちの心配をよそに、Tは彼亡き後の後継者を定めた遺言状を、弁護士に託していた。正直な話、わたしたちはその話を聞いた時、ほっとしたものである。三人寄れば文殊の知恵とも言うが、わたしたちTの下で働いた者たちが頭を突き合わせたところで、彼ほどの知恵が出るとは思えなかった。
 Tの葬式から二、三日して、遺言状が開封された。遺言状は数枚に渡っていた。その一枚目に、後継者についてのあれこれが記されていた。Tが二代目の社長として指名したのは、わたしであった。わたしは予想もしていなかったことに驚いたが、その時ふと、Tの「君は公平な男だ」という言葉が聞こえたような気がした。
作品名:Tの目 作家名:みらい