あの昼下がりまでの萎れた純白
かんかんかんかん。踏切が鳴っていた。雷雲はビルを越えた遠く向こうの方へ去ってしまって、斜陽と警告の音が瞳に赤を叩きつけていた。走る自動車たちの重みで波打つように凹凸の出来た、その凸のアスファルトの上に立って、鸚哥は此方を見据えて言った。
「信じてないだろう」
「君の話?」 電車は来ない。
「信じて欲しかったのか?」
己の台詞が、思ったよりも冷酷に響いたことに子鷲は少し驚いた。鸚哥は逃げ道を探しているのだ、と彼は確信していた、少なくとも彼の目にはそう見えた。ガラスの内側から転げ出る、その為の隙間を探している。それを、その口が言う通り先日とうとう見つけたのであれば、僕はこれから友人を一人失うかもしれないと子鷲は朧気に予覚した。「そんな抜け穴なんて、在る訳が無いよ」と浮かべる同じ脳裏で「あるとしたらそれは何処へ繋がっているのだろう」などと考えるから、子鷲は結局のところ鸚哥の話す与太話を跳ね除けることは出来なかったのだ。 大気を裂いて電車が通っていった。遮断機が上がって、ああ、一体こんなもので何を遮ることが出来るだろう。鸚哥は無言で、確然と歩き出した。
追いかける他になかった子鷲は今や何処かの家の前に立っている。正門の柱の向こうに見える、小さな暗い庭の隅には枯れ落ちた藤の花房の欠片が転がっている。何ということもないその家屋の前で仁王立ちというにはやや、慎ましやかに突っ立った鸚哥は振り返らずに言った。
「つまるところ、ね。問題なのは追いかける兎がいないことなのさ」
その横顔は、花壇の花を責めるように呟いた「きっと土には還れない、あんな色をしてるじゃないか」という最初を思い出させた。子鷲は半歩、近づいて言った。
「ああ、僕はてっきり君が兎なんだと思っていたよ」
ついさっき気が付いたんだけれども。そう言うと、鸚哥はやっと少し笑った。付いて来いとは言わずに、何にも頓着せずにしかし普段の歩幅で鸚哥は庭へと入っていった。「ゆめさん、お邪魔します」座敷の住人の名前はそういうのだそうだ。ゆめさんは穏やかに返事をし、「今日はおともだちも一緒なのね。花壇になるところは踏まないでね」と子鷲に言って奥へと去った。蝋の色のような目をした老婆だった。
穴はそこにそう在るのが当然のように横たわっていた。完璧な円の淵に伸びた雑草がかかっている。
「真っ暗だろう」
「うん、まだ日もあるのに」
雨を待ち構えるようなむせ返る草と土の匂いがして、これから降るのだろうかと狭い空を見上げた。西日の残滓が雲と溶けていて、鸚哥の顔を見ると期せずして視線がかち合った。何か、問いたげである。
子鷲は息を吐いた。これは現実だろうかと考えた。この状況、老いた人の庭で友人の虚言を信じて、ひたすらに黒を湛えている穴を前にして現実味を論じることこそ煩わしい。穴の向こう側ではきっと、「みんな逆立ちをしているに違いないね」鸚哥が言って笑った。子鷲は声に出してなどいなかったというのに、益々視界に霞が滲んでいく心地がする。
二人並んで立って、そこまでの距離は二歩というところである。子鷲は、ああ鸚哥は僕の名前を知らないのかもしれないとふと思った。僕だって自分の名前を知らないし、鸚哥だってきっと、鸚哥だなんて名前ではないのだ。名前を呼びかけて、止めた。
そうして子鷲はもう一度穴を見た。
土になど、還れずともかまうものか。
作品名:あの昼下がりまでの萎れた純白 作家名:40cry