信じてなんてきみがいうから僕はたまらなく悲しくなる
細い雨が降っている。この小さな建物の外壁に静かに沁み込んでいく水滴の存在は内側に反響する音をもって、俺にそれを知らしめていた。相変わらず雨は冷たいのかな。
限りなく広がる白の中で、俺がただひたすらに思いをはせるのは今は遠い過去のこと。
この身体を取り巻くこの鎖も死ぬために生きる現状も、まだ何も無かった頃のこと。
命の刻限は明日に迫り、穢れを祓うという名目で着せられた純白の薄衣はすでにそれを纏う俺の事など考えていないんだろうって穿ってしまうほどに寒い。吐いた息が白く染まるほどの室温で、肌が透けるような衣類が一枚きりだ。
もし明日の『儀式』までに俺が死んだらどうなるのだろう、と吐息交じりに吐き出した。白い息を目で追うと、ふっと力が抜ける。
死ぬための道具は残されていないけれど、この寒さなら凍死もありえる。
「死にたくはないんだけどなあ・・・」
差し上げた手は一年にもわたる幽閉生活のせいでみすぼらしくやせ細り、窓に映る自分の茶色の髪も半端に伸びてまるで女の子みたいだった。伸ばした手でそのまま前髪をくしゃっと掴み、自分の身体を抱え込む。これが成人した男の身体かと笑いたくなるような薄さだった。食事に何か混ざっているのではないか、とか、そんな疑念が日に日に膨れ上がって滅多にものを口にしないようになった結果がこれだ。おなかいっぱいにご飯が食べたい。欲があるとすれば、これだ。
けれどそれこそ這うように今日まで生きてきたのは、約束があったから。
ちょうど一年前、幼馴染の伊月が見たことのないような真摯な顔で声で告げた約束があったからだ。
『かならず助けに行くから』
と。
俺と伊月の出会いは、俺たちがまだ何も知らなくてよかったガキのころのこと。俺を取り巻く家庭環境があまりに複雑だったから、周りの子供たちは親に言い含められて寄ってこなかった学生時代。
独りでぽつんと外を眺めてばかりいた俺に、何かと絡んできたのが伊月だったんだ。伊月はとても人に好かれるからっとした太陽みたいなやつで、交流が苦手な俺を人の輪に引っ張っていってくれた。
ずぼらな所のある俺が心配なのか、まるで母さんみたいに世話を焼くってからかわれてた伊月はそれでも照れもせずに、だって心配なんだっていう。母さんとろくに会話をしない俺にとっては、伊月が本当に母さんみたいな存在だった。同い年の男に母さんもなんだけど、飯を食わせてもらったり、たとえばただ一緒にいてくれるだけで俺にとっては十分だったんだ。
家に帰ればそこは大きな神殿で、みんなが俺を腫れモノみたいに扱う、そんななかで育った俺にとっては伊月がゆいいつ普通の家庭とのかけ橋だった。
今となってはこうして閉じ込められて殺されるのを待つ贄だけど、それでも生きることを諦めないのは伊月がいてくれたおかげだ、と思う。
この国はもともと資源が少ない。それを何千万の民が奪い合いながら生きているのだから治安が悪いのも当然だ。街では用心棒という職業が必要不可欠で、女や子供も剣をとる時代になっている。
人々はだから、救いを求めたんだって。
神様に祈れば、きっと救われる。神様が国を豊かにしてくれる。だから支え合って生きて行こうっていう宗教団体が出来たのは、俺が生まれてすぐのことだ。
聖ルミナ教会というその教団は、救いを求める民の心をぎゅっと掌握した。その侵食のスピードはまるで雨季の雨が地面にしみ込む時のようだって今も言われているらしい。
その教団の教えは、こうだ。
苦しいのは今だけで、じきに神の申し子が現われる。その申し子が天に還る時、再び世界は恵まれるだろう。
俺はこの教団の教えがインチキだってことを身をもって知ってしまっている。だから今、こんな所に閉じ込められているんだけれど。
その教えを神から聞いたといって教団を立ち上げたのは俺の母だ。
その教団を貧しい地方からじりじりと広めていったのは俺の父だ。
神の申し子なんてけっこうなお告げを立てて、民の信仰を集める神の申し子は、
俺だ。
だから俺は明日、殺される。明日の朝全国の信者に向けて、神の申し子が舞い降りたという知らせと共に俺は殺される。
そして人々はちょっとだけ豊かになったような錯覚を起こして、ますます教団にすがっていくのだろう。それが両親の立てた筋書きだ。
神の申し子は、そのしるしを身体に持ってるっていう。俺の鎖骨の下にある、こぶし大の痣がそれだ。生まれたときから持ってきたものだ。俺が選べなかったものだ。何かの文様のように見えるそれのせいで、両親は俺といういけにえを民に捧げる方法を考えた。
今では首都に大きな神殿をもつまでになった聖ルミナ教会は、俺という決められた犠牲の上に成り立ったものなんだ。
もちろん、そのことを誰かに話せるわけがない。どこに信者がいるか分からない世界で、俺が申し子なんだとバレたら俺はすぐに教会へ送還だ。まあ、学校を卒業すると同時に俺はすでにここに閉じ込められて、殺される日を待つだけになっていたんだけど。
学校生活は楽しかった。
産まれてから入学するまで、周りには法衣をまとった信者ばっかりだったのが、同い年くらいの子供たちがいっぱいいたし伊月っていう信頼できる友達とも出会えたし、そして恋もしていた。
俺が好きだったのは、伊月のほかによく俺に話しかけてくれていた女の子。沙羅っていう、長い金の髪が綺麗な子だ。
よく、俺と伊月と沙羅とで一緒に居た。沙羅はいつも伊月の方を見ていたけど俺はそれでもよかった。沙羅は俺と同じであまり進んで喋るようなタイプではなかったけど、笑うと凄く柔らかな笑顔になる。俺はそこが好きだった。避けられている俺に話しかけてくれるだけで俺は嬉しかったし。
けれど俺の初恋は、一年前にあっさりと終わりを告げた。明日から俺は神殿にいかなきゃならないんだ、と、俺は伊月にだけ告げて消えた。伊月は必ず助けに行くからと何度も俺に言ってくれた。正直、そこまでしてくれる友達をひとりもてただけで生きた価値はあったかなって思っていた。
「たとえ今の俺じゃ教団に敵わなくたって、必ずお前を助けにいくよ。そしたらさ、街の外れで家でも借りて、何でも屋でもしながら暮らそうぜ」
肩幅も背丈もあの頃からちっとも伊月にはかなわなかった。どちらかといえば俺は沙羅に体格が近いから、伊月によくネタにされていたくらいだ。頭を撫でて笑ってくれる伊月の存在が、どれほど心強かったことか!
「お前を犠牲にして世界が豊かになったって、俺はそんなの認めない」
勉強をまともにやっている伊月を見たことはなかったけど、剣術だけは馬鹿に強い伊月のことだ。今は軍にでも入っているかも知れないな、なんて俺は時々考えた。未来の見えない俺にとって彼の未来は、俺の未来よりよっぽど気にかかることだったから。
そうして俺がこの神殿に入れられた時、沙羅はといえば目の前で笑ってた。
「世界のために死ねるなんて、羨ましいわ」
彼女の家族と彼女が、熱狂的な教団の信者だと知ったのはすぐ後のことだった。その時に俺は知ってしまったんだ、彼女が俺の傍にいてくれたのは、俺が「神の申し子」だったから。
作品名:信じてなんてきみがいうから僕はたまらなく悲しくなる 作家名:シキ