空を探しに
僕は本当に眼を開けたまま夢を見ているんじゃないか。科学というものが進歩したとはいえ、それは空から町全体を遮ることでしか太陽の光から身を守ることが出来ないくらいの技術なのだ。しゃべる機械なんて、しかもこんな風に意思を持って話すだなんて。
「君の父親に作られたんだ。君に空を見せるために」
父さんは写真家ですらなかったらしい。科学者でもあったらしい。
「それだけじゃないよ。彼は偉大な革命家だ」
カナリヤの言葉にめまいがした。革命家、だって?この国の政策が間違っているのではないかと思う人がいることは僕だって知っている。僕の好きだった先生も、そう僕らに教えて居なくなってしまった。
空を返せと叫んだ人が、警官に連れて行かれる所も見たことがある。そんな危険なことを父さんはしていたというのか。そう考えると、半年前の封筒のことを思い出した。
『空を捕まえに行く』
父さんの最後の言葉となったそれを。届いた死亡通知書を。父さんが革命家であったなら、本当に空を捕まえにいったのなら、革命は失敗だったのだろう。
「…おまえはどうして、ここにいるの?」
「君に伝えなきゃならないことがあるからさ!」
カナリヤはさえずった。父さんの声に聞こえて、僕は思わず首を振る。小鳥は構わずに僕にこう告げた。
「君の父親と、その仲間たちが探し当てたシェルターの割れ目がある」
シェルターに割れ目だって?そんなことしたら太陽の光で僕らは死んでしまうじゃないか。有毒な紫外線が漏れ出して、僕らの身体を蝕むじゃないか。
「シェルターなんて本当は必要ないよ。そう国民に思い込ませて、この国から出ていけなくするためだ」
カナリヤがいうには、この国以外のどの国でも空があるらしい。太陽の光を浴びたって、気持ちがいいだけらしい。僕は生まれてから十何年間の総てが裏切られたような気持ちになってがく然とした。父さんが教えてくれたのは、北の国の話だけだった。僕の言葉に頭を撫でた父さんはそれだからこそ決意したのだろうか、革命を。
「それでね、空くん」
カナリヤの声にはっとして、大丈夫だというふうに頷いてみせる。カナリヤは言った。
「君のお父さんは、君に革命の続きを頼んでいったんだ」
「なんだって?」
あまりに現実味のない話に、僕は思わず笑ってしまった。この僕に革命をしろっていうのか。父さんですら出来なかった革命をしろっていうのか。
「君は空を見たくないのかい?」
カナリヤは負けじと声を上げる。鈴の音のような声に、僕は自分の笑みが無くなるのが分かった。
「見たいよ。…見たいさ」
もしも僕らの頭の上に天井が無かったら、と付け加える。あの頑丈な天井は、かつて何度も爆破を試みたことがあると聞いていた。そしてそのたびに、革命家は敗れたのだ。
「見れるよ。シェルターの亀裂を潜って外へ出るんだ、そして北の大国まで走ればいい。そうしたら君のお父さんの仲間たちが、あとはなんとかしてくれる」
随分と無茶な話をしてくれる。嘘に決まってるじゃないか、北の大国に父さんの仲間がいるわけがない。この国を出ることは、許されない。
「僕が運んだんだ、写真や手紙を。あの国から」
鳥かごから飛び出したカナリヤが、机の上の地図に降りた。足で示すのは、丸がついたあの国である。この小鳥は飛んだというのか、この国まで。
「そうだよ。きみの元を去った後、僕は何度も君のお父さんの所へ戻ってきた。――残念ながらこないだは仲間たちの所に着く前に失敗してしまったけれど」
「うそ!」
父さんはそんなこと言っていなかったし、カナリヤを失って悲しむ僕を慰めてくれた。その間
もカナリヤは手紙を運んでいたのだろうか。
「だから、お願いだ空くん」
カナリヤの声が少し低くなって、僕はいやおうなしに現実に引き戻される。カナリヤのつぶらな瞳が僕を見ていた。
「僕が連れていくよ、だから行こう。北の国まで」
時間がないんだ―――、その瞳はそう語るようだった。父さんは死んだ。もう半年も前だ。ほかの仲間も、何人も死んでいるかもしれない。そうしたら革命は、終わりだ。
父さんが命を掛けた革命が、終わりだ。
「……分かった」
考えなしに、そう口にしていた。言葉にすればそれは決定となって、僕の背中を押す。父さんが描いた空の続きを、僕が描けるのなら。
弱虫で泣き虫で、そしてちょっとだけクラスメイトより空のことに詳しい僕が、描けるなら。カナリヤは嬉しそうに鳴いた。僕の肩へと飛び移ったその重さが懐かしくて、父さんの笑顔が懐かしくて、僕はすこし泣いた。
「時間がないんだろう?…行こう」
ぴい、と了承と取れる鳴き声を聞いて僕は書斎を飛び出した。入ってきたときより激しく埃が舞った。僕は走る。空を捕まえるために、走る。
「子供なら警官もきっと油断してる。この町のはずれの、病院の地下だ」
「あの病院?」
僕も何回も見てもらったことがある病院だ。お爺さんのお医者様が優しくて、出される薬はちょっぴり苦いけれどよく効いた。
「そう。院長も仲間の一人なんだ。そこを曲がって」
見えてきた病院は相変わらず白く大きく、灰色のこの町に調和している。僕はその門の前で息を整えながら、カナリヤの指示を待った。インターフォンの前でカナリヤがさえずる。
「空を捕まえに」
それが暗号なのだろうか。お爺さんの声がして、門が開く。
「気を付けて!」
「行ってきます!」
窓から顔を出したお医者様に手を振って、僕は病院の裏手に回った。長い開校記念日になりそうだ、と呟いてシェルターの割れ目を探す。石や土の壁に阻まれた奥に、扉が見えた。ぱっと見は目立たなくて思わず通り過ぎそうになったほどだ。地面に刺さったスコップに掛かる上着に見おぼえがある。
「ここ?」
「うん。止まらないで走って。警官が追いかけてきても、止まらないで走って」
この扉を抜ければ、空があるのだ。そう思ったらどきどきと胸が高鳴った。父が志半ばに倒れた場所だということも忘れて、ただひたすらに興奮した。
「分かった。行くよ」
扉を肩を使って押しあける。頬を撫でていく風。嗅いだ事のない柔らかな匂いがした。
「これが、植物の匂いだよ」
綺麗な匂いだ。土でも岩でもない、命の匂いがした。思わず足を止めた僕の鼓膜を破くような大音量で、耳触りな警笛が鳴った。
「警報だ!急いで!」
カナリヤの声に押されるように、僕は走りだす。トンネルのように細く長い道を、向こうに米粒のように見える光の方へ走る。背後から足音がした。思わず身体が竦む。足をなにかぬるぬるしたものに取られ転びそうになったり、岩につまずいたりしながら必死に走った。警官たちの声が怖い。
「止まれ!――ええい構わん、撃て!撃てえ!!」
僕の頭の上を、光る何かが駆け抜けていった。赤を含んだ色をした何かだ。僕が大人だと思っているから高い位置を狙ったのだろう。父さんは背が高かった―――、思い出してまた泣きそうになった。
「走って!まだ追いつかないよ、行ける!」