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VARIANTAS ACT 16 心のありか

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Captur 5



 あの時、私を見送った教官は、何と言ったのだろう…
 雨音に消されてノイズになった言葉。その時の彼は、冷たい雨に溶け込む様に弱々しく、また愛しく感じた。

 ――先に行っててくれ。
 そう言った彼の言葉を信じ、私は飛んだ。
 そう、私は彼の言葉を信じた。
 違う、昔に戻りたいんじゃない。
 やり直せるかどうかなんて、どうでもいい事。本当の言葉も、本当の声も、本当の気持ちも、もうどうだっていい。
 ただもう一度…もう一度だけ彼と…
 冷たい風が頬を撫で、波音が響いている。
 夢じゃ無い、本物の感覚。
 なら、何故こんなにも暗い?
 そうか、急加速と急減速を繰り返した事で、頭に血が昇っているんだ。それで目が見えていない。
 そんな物理的な思考が、私の感覚を一気に引き戻した。
 聞き覚えのある音。そう、教官の…彼の心音。そして、温もり。
 目に見えていなくても、私は彼に抱かれている事がすぐに解った。
「教…官…」
 一瞬の間を置いて、
「ここに居るぞ…」
 教官が優しい声で答えてくれた。
「ずっと…、こうしていてくれたんですか…?」
「ああ」
「私を追い掛けて…?」
「…約束…したからな」
 私は手を延ばし、手探りで彼の頬に触れた。
 指先にチクチクとした刺激。彼の頬は傷だらけで、金属のばりが毛羽立っていた。
「教官…傷だらけ…」
「何も問題ない」
 不意に涙がこぼれる。
「何故泣く?」
「こんなに傷付いて…一体何の為に…」
「これも任務の為には致し方ない事だ」
「なら“任務”は…もう終わったんですよね…?」
「いや…あと一つだけ残っている」
 彼はそう言うと、私を地面に座らせ、壁にそっと寄り掛からせた。
「教官…?」
「…もうすぐ自治警が来る」
「え…?」
「君は身分を明かして保護してもらうといい。私は自治警が来る前にここから消えるが、それまでが私の任務だ」
「待って下さい、教官…!私はまだ…」
「ジーナ」
 教官は私の頬に手を触れて、優しく、それでもしっかりとした口調で私に言った。
「君が武器を持つ限り、何かに隷属して戦う限り、君は単なる力として働くだろう。そして“力は意思を持つな”と言われ、より大きな権力の手足となって働くだろう。だが、覚えていて欲しい。力は意思の表明…、意思こそ力だ。だからもう一度、一体何の為に戦うのか、自分で選んで欲しい…。君なら出来る。君は私の、最高の生徒だ」
 教官の手が私の頬から離れ、にぎりしめていた私の指の中からすりぬけていく。
 徐々に離れて行く教官の気配を追うように、私は手を延ばす。
 だめ…、今彼を行かせてしまったら、本当にもう二度と会えなくなってしまう。
 そう思うと同時に、私の手は彼のアーマーコートの裾を掴んでいた。
「何故…ですか…? 何故そうやってまた私を放り出すんですか…?」
 時が止まる。風鳴りも、波音も、なにもかも。
 その時だった。
「お願いだ…」
 突然、教官の弱々しい声が聞こえた。
「もう私に…、任務を放棄させないでくれ…!」
「教官…?」
「私の本来の任務は、君達の教官職だ。君達を鍛え上げ、戦場で優秀なソルジャーとして活躍出来るようにする事だ…。なのに私は君の才能と能力、なにより女性であることに対する嫉妬と情欲に負け、君を一人前の兵士に育て上げる事を放棄した!」
「それじゃあ…」
「あの晩、私は君を締め出したんじゃない…」
「え…?」
「私は君も共に、サンヘドリンへ来てほしかった…」
「嘘…」
「私は君の教官である事を忘れ、君を一人前の兵士にするという任務を自ら放棄したんだ! 任務を放棄した兵士はもはや兵士ではない…。私は兵士ではなく、ファントムでもなく、人ですらない…。私はただの機械でしかない…。ただ、与えられた命令を行動する機械でしか…。だから頼む! 私から存在する意味を奪わないでくれ!」
 教官は再び私から離れていった。
 私の手の中から、コートの裾が引き抜かれてゆく。
「嘘、嘘よ!!」
 徐々に回復する視界の中に、輪郭のぼやけた彼の背中が映った。
 彼は無言のまま去ってゆく。
「だったらなぜ…」
 彼の背中に私は言葉を投げた。
「なぜあの時、引き止めてくれなかったんですか…?」
 彼は言った。
「引き止めたよ…」
 彼の言葉に、私の心臓が跳ねた。
 一瞬、鮮明に思い出される風景。
 そうか…
 教官の、あの掻き消された言葉…
 それが、今やっと…

 ――行かないでくれ…

「いやぁぁぁ! 待って…待って下さい、教官!! そんな、そんなのって! そんなのあんまりよ!」
 私は損耗しきった身体を引きずり、虫けらのように地面を這って、彼を追った。
 でも、彼の姿はどんどん離れて行く。
 やがて彼の姿は見えなくなり、代わりに自治警車両のサイレンが聞こえてきた。
「だったら…だったら何故、力ずくでも私を…」
 地面にはいつくばる私を、やがて雨が打ち始める。
「どうしょうもないじゃない…仕方なかったのよ…二人で逃げてしまえばよかったけど…、あなたはそれが出来ない人だって分かってたもの…。だったらいっその事…あなたが私を壊してしまえば…私はあなたの中で…ずっと…一緒に居られたのに…」
 雨はやがて強くなり、私の涙を隠した。
 サイレンの音が最も近くなり、それと同時に、私は目を閉じた。
 教官、私はあなたの事を今でも想っていますが、あなたは私を今でも想っていますか?
 私は、あなたの言われた通りにしますが、あなたはそれで満足ですか?
 教官…いえ、私の心の人… 


 0058時、治安局ASAF前衛隊員ジーナ=バラム一等官を保護。
 同日0100時、自治警及び治安局支局がギリアム=リー・ヴィドックの遺体を高速道路上の車中から発見。同時に、統合体政府は同氏の罷免を発表。
 同日0120時、同氏遺体発見現場から約7キロ地点での爆発事故現場から、大口径狙撃ライフルの破片と男性の遺体を確認。
 同日0200時、治安局及びGIGN合同の非常封鎖線を解除。
 同日0250時、GIGN完全撤収。
 同日0400時、爆発事故現場から発見された男性の遺体を、ジョンソン=E・カラドと特定。
 同日0430時、治安局はヴィドック元GIGN少佐狙撃事件をアストレイ残党による犯行と発表。
 同日0500時、治憲騒乱終結。




***************




 枕元の出窓に腰掛け、朝霧に包まれた街を見下ろす。
 気付けば時計は朝の5時を廻っていて、出窓下のベッドではエレミアが静かな寝息を立てていた。
 あれから三日、何かが変わった訳でもなかった。
 何かを失った訳でもなかったし、得た訳でもない。
 世の中は相変わらず動いていて、私達など多くの塵の一つ、世は全て事もなし。軍は何も無かったかのようにGIGNの首をすげ替え、法務省は事件の追及を早々に切り上げた。
 どこかで知らずに動いている巨大な力。
 今までは、そんな事など考えた事も無く、もしかしたら無視さえしていたかも知れないけど、いざ、その力を目の前にして、それを認識せずにいることは不可能だ。
 まして、自分自身が、その力の伝達…、歯車の一つにされれば。 

「これは?」