君といた時間
その日は、雨だった。
五月雨かそれとももう梅雨に入るんだろうか、しとしと降る雨でぼやけた景色を部室の窓からぼんやり眺めていた。五月の新緑が優しい雨を吸い込み瑞々しく、少し薄暗いなか浮かび上がって見えて綺麗だ。
あれから家に帰って見たスケッチブックにあったデッサンやイラストは、決して下手ではなかったけどその代わりめちゃくちゃ上手いってわけでもなかった。でも僕を惹き付けるには十分な魅力があり、あの日から怜二郎のスケッチブックを眺めるのがなんだか日課になっていた。
そして、今日は木曜日。
怜二郎は5限があると言っていたので、僕は映像部で時間を潰していた。サークル棟にはチャイムの音はしないのでケータイで時間を確認してから、僕は部室を出てギャラリーへと向かった。抱えているスケッチブックを返すのが少し惜しいような、怜二郎に会えるのが楽しみなような、ふわふわした気持ちが階段を降りるスピードを速める。ギャラリー入り口前のスペースのくたびれたソファーに怜二郎はいた。クロッキー帳を抱えて鉛筆を走らせている彼を見つけると、心臓が少し速くなるのを感じた。小さく深呼吸をしてから声をかける。
「あの…」
ああ、と怜二郎は手を止めて僕の方を見て僕に席を勧めたので、僕は少し戸惑いながらも少し離れてその埃っぽいソファーに腰掛けた。何か気の利いた言葉と一緒にこのスケッチブックを返したいのに、上手く単語が繋がらなくて生まれてしまった妙な沈黙を破ったのは、怜二郎の方だった。
「アンタいい人だね。」
「え?」
突然何を言い出すのだろう。前もそうだったけど、この人はなんだか喋りだすことに脈絡を感じられない。戸惑い気味の僕を気にする事も無く、怜二郎は言葉を続けた。
「よく考えたら、普通いきなりスケブ渡されたりしても困るよな。正直そこまで上手くないの自分でも解ってるし…なのにアンタ笑って受け取ってくれて、しかもちゃんと時間通りに返しに来てくれた。ほら、いい人。」
自分で渡してきた癖に、自分で上手くないだなんて言い切ってしまった怜二郎がおかしくって頬が緩んだ。確かに言動にエキセントリックさはあるけど、ほんの少し覗かせた彼の普通の美大生たちが抱えてる不安や感情を垣間見て僕は妙な安心感を覚えた。すると今まで妙に身体をこわばらせていた緊張も解けて、ようやく僕は彼に自然に話しかける事ができた。