君といた時間
「……いま、何時?」
少しくぐもった寝起きの声で彼が喋った。
「えっ?あ、し、7時43分です!」
「…じゃあもうすぐ管理のおじさん来ちゃうね。…ほんとはこれ搬出しなきゃいけないけど、もう台車借りれないか。明日の1限前にするしかないな。」
バイト遅れるかもなぁと呟きながら肩を回して話し始めた声は、少し低めだけどよく通った。
そしてスクッと立ち上がったかと思うと、惚け気味に見つめる僕を背にスタスタと歩き始めた。慌てて彼のスケッチブックを拾い追いかけようとすると、「ぁ、忘れてた」と何か思いついたように急に立ち止まってぐるんと効果音が付きそうな勢いでこちらを振り返った。
「起こしてくれてありがと。」
真面目な顔をしてそれだけ告げると、また彼はさくさく歩き始めた。
「ええ?怒ってないの?!じゃなくって、あのっ!スケブは!?」
「?…君、見たかったんじゃないの?貸すよ。」
「でも悪いし、第一いつ返せばいいのか…。初対面だし、連絡先とか学科や名前すら知らないし。あ、僕は油の鈴木です!鈴木圭です。その、今ケータイ…」
テンパッてなんだかしどろもどろになっている僕に反して、彼は淡々と返す。
「学科はデザイン科で学年は3年。それから名前は瀬川怜二郎。そんなことよりさ、来週またここにいればいいんじゃないの?そのスケブ今日でいっぱいになったから、貸しても不都合ないし。」
「え?」
「俺、悪いけど今日はこの後バイトで帰らなきゃいけないし、木曜日以外時間ないから。ワガママで悪いけどアンタが良ければ、来週の木曜5限後にまたこのギャラリー前で待ち合わせしない、って言ったの。…それともやっぱ要らない?」
最後の言葉に彼の顔にほんの少し寂しげな色が広がったのを感じ、その表情に何故か胸が締めつけられた。逡巡し一呼吸置いてから、
「…いや、もっと君の絵が見てみたかったんだ。ありがとう。じゃあまた、その、木曜日に。」
僕は少しぎこちなかったかもしれないけど、そう笑って答えた。すると、彼――怜二郎は「うん」とだけ言うとまた早足で駐輪場の方へさっさと消えてしまった。よく表情は読めなかったけど、さっきの寂しそうな顔では少なくともなかった。
それにしても、ここが美大だということを差し引いてもなかなかエキセントリックな体験だったな。
「木曜日、か。」