夜渡りの蒼
「ほら、早くしないとお父さんとお母さんに怒られちゃうよ?」
いたずらっぽく笑いながら彼が私の手を掴む。
優しいその仕草に、続けようとした言葉がどこかへ行ってしまった。
忙しなくまばたきを繰り返す私の体は、どんどん高く浮き上がっていく。
彼に手を引かれるままに、私は空を泳いでいた。
家の迷路をあっという間に通り越して、見慣れた屋根の上に。
鍵をかけていたはずの窓は開いていて、私をすんなりと受け入れた。
「間に合ったかな」
私が部屋に入るのを見届けた彼がひらりと姿を返す。
「ねえ!」
「僕も急いで帰らないと」
「ねえってば!」
「……あんまりうるさくすると、お父さんとお母さん起きてきちゃうよ?」
人の話を聞かないそっちが悪いくせに、呆れ顔を浮かべる彼に私はさっきから聞きたかったことを口にする。
「ねえ、あなたってもしかしてピ……」
――また、私は最後までいえなかった。
彼の人差し指が私の唇をやんわりとおさえたせいだ。
もう片方の人差し指を自分の口元に持っていくと、「秘密」と彼が小さく言う。
「もう、夜に釣られちゃだめだよ? 僕みたいに影をなくしちゃうから」
少しだけ淋しげな声に私は小さく頷いた。
彼の指を口から外しながら、
「見つかったら、窓際に置いといてあげるね――影」
笑ってそういうと、彼もまた笑って返してくれた。
「だから、また会える?」
「会わないほうがいいかも知れないのに?」
「私、あなたが誰なのかわからないし、聞きたいこと沢山あるもの」
真剣にそう訊ねる私に彼は優しい笑顔のまま、お決まりのせりふを口にした。
「君が僕を忘れなければね」