幸せのカタチ
ダメだ。翔太に勝ち目はない。このままでは間違いなく姉に押し切られる。
「……お姉さま。お願いします。僕を助けると思って、どうか、可及的速やかに、荷物をもってお帰り願えませんでしょうか?」
「嫌」
翔太の脳内で大量の血管が弾ける音がした。すくなくとも翔太には、はっきりとその音が聞こえた。多分上視床線条体静脈から上大脳静脈にかけての太い血管がまとめて数十本は切れた。
「ふざけんじゃ――!」
と、そこで、最高に安っぽい「ぴんぽーん」というドアの呼び出し音が鳴り響く。
「……でれば? 彼女が戻ってきたんじゃない?」
「あ、あんた、もう、一言も喋らないでくれ」
無理やり日本語を喋らされた二〇年前のNECパソコンのような声で、なんとか貴子に答える翔太。
気力を振り絞り、玄関の扉を開ける。
「あ! 翔太くん! よかった――」
「隆文さん!」
地獄で仏とはこのことだろう。
冴えない中年男としか思えない隆文ではあるが、今日だけは、まるで高野山の金剛界大日如来像のごとき尊き姿と翔太には見える。
その場で平伏してしまいたくなるほどではあったが、振り返った瞬間、それまでの冷気から一変、今度は本当に炎があがるのではないかと思える程の怒気の直撃を受けてしまう。
「翔太! その男を一歩でもこの部屋に入れたら、アンタは勘当だからね! 二度とこの家の敷居をまたげなくなるよ!」
もちろんこの部屋は翔太の部屋である。
情けない顔で再び隆文を振り返ると、隆文が微かに頷いた。
「隆文さん、あと、お願いします」
隆文の返事はなかった。
叫び声を上げる姉と、決死の覚悟でそれをなだめる隆文を後に残して、翔太は部屋を出た。
余りの剣幕に驚き、恐る恐るといった感じで様子を伺いにくる隣人たちを、何とか宥めて、ため息をつく。
結婚って、なんなんだろ――?
……姉夫婦が仲睦まじく、そろって部屋を出てきたのは、それから一時間ほどの後の事である。
おしまい