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ミムロ コトナリ
ミムロ コトナリ
novelistID. 12426
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インビンシブル<Invincible.#1-1(1)>

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<Introduction>
 ”闘えよ人類、それが命ある物の宿業である”
平和主義を喧伝する近世にあって、あえてそう言葉を残した人物がいた。

 闘争とは、膠着し閉塞した状況を打破するのに生じる浄化作用のような物だという
覚えがある。
政治体制や、思想という物も闘争を経るごとに見直され、時代と共に変化し、
人もその度に身の処しかたを変えてきた。
 人に限らず、生命は日々、戦いを通じて生きている。
生きる為に他者を殺し、食らう。
戦いを通じて環境に適応し、生命は進化の道をたどってきた。

 生きることは戦いそのもの。この世は煉獄、無間地獄とはよくいったものだ。
身一つで生きるのに、この世界はあまりにも残酷で厳しく、あまりにも無慈悲だ。
だからこそ、人類は知恵をしぼり、周囲の環境を自分たちに適合するよう
作り変えてきた。
その中で、文明を築き、科学と技術を編み出した結果、
霊長の長となることが出来た。
反面、種を生かすための知叡を、豊かさを求めるが故に同属を
殺し合うことに振り絞りもした。
それが、戦争である。

 戦争と一口に言っても、武力を行使することだけが戦争ではない。
武力行使は、戦争を構成する一つの要素でしか無いのだ。
 戦いの極意とは、戦火を交えず勝利を収めることこそにある。
実際に敵と戦火を交える前には、外交による熾烈な情報戦が繰り広げられる。
これと併せて、保有戦力・戦略・戦術の他に物資の充実が戦争の勝敗を決定付ける。
兵を養う食料と、装備・弾薬を安定して供給・確保できる見込みが
なければ、戦争以前の問題だ。戦うことすらままならない。
実際に戦火を交えたシュミュレートの結果、採算がとれず損のほうが
大きいと相手に認めさせることが出来ればしめたもの。
戦わずして外交的手段で勝利を収めることができる。
これでも収まらない場合、ようやっと武力衝突となる。
先人たちはこの定石に倣い、戦いで勝利を収める為、知恵を振り絞り
様々な工夫と手法を編み出してきた。
 中世期に国内を平定させ、近代の黎明期に入り国家が出現するようになると、
国民の需要と供給を国の領土内だけで賄うのにも限界が出てきた。
経済の伸び白を伸ばすため、領土の外に土地を求める動きが
大国の間でさかんになった。
侵略を旨とする、世界的な帝国主義の流行と始まりである。
 植民地を開拓し、海外の飛び地に領土を増やし国力の増強を図ろうと
する帝国主義が世界の潮流であった時代。
戦争と言えばもっぱら国力を総動員し、武力と物量に物を言わせる
という印象が強かった。
 国同士が領地を奪い合い、群雄割拠の熾烈な争いを繰り広げていた。
いうなれば、当時は世界規模の戦国時代の世であったといえる。
 生存競争に必死になるゆえ、常に全力で戦争に挑まざるを
得なかったのも仕方がない。
だが、そうしたやり方は、あまりにも非合理的、非効率的で、
ヒト・モノ・カネを大量に浪費した。
せっかく領地を死守したとしても、戦後の荒廃による負債を清算するのに、
戦争に投じた額以上の費用と時間を犠牲にすることもざらではなかった。
国が豊かになるどころか、逆に荒廃へと転じることさえあったのだ。
 戦争によって負債が生じるくらいなら、戦火を交えないほうが断然よい。
情報と経済を用いた外交の段階で戦わずして決着をつけた方が、
国家と国民を危険にさらさずに済む。
さんざ戦火を交えて、方々を焼け野原に変えたあと、
人類はやっとパラダイムシフトをするに至った。

 流通と経済が国家間で密接に関係し相互作用し、世界がグローバル化
した現代に置いて、主要国が実際に戦火を交えることは殆ど無くなっていた。
大国がこぞって強大な抑止力を持つ広域破壊兵器を保有するようになり、
一発の核ミサイルの発射が報復の連鎖を生む疑念が、相互抑止の概念となり
世界に定着したことで”戦争の時代”は終わった。
 互いが互いの命運の手綱握っているにも等しい状況が、
今日の世界の均衡と秩序を形作っていた。
こうした世界の状況で編み出された平和時に有りながら武力を用いない、
情報と経済を用いた戦争は知識人達から”穏やかな戦争”と呼び名されるようになった。
 ”穏やかな戦争”がゆるゆると行われるようになった現代。
そのような最中にありながらも世界は表面上、秩序と均衡を保っていた。
 戦争であって、戦争と感じない。それが、平和時の戦争の形だった。
情報と経済によって行われる、目に見えて破壊活動が行われない戦争は、
そうとは感じにくい。
多くの人々は、平和な日常の裏側で、国家間が熾烈な争いを行っているという
事実を失念し、いつしか忘却していった。
 平和の正体とは、国家の武力の均衡によって成り立つもので、
暴力を担保に秩序は形成される。
その事実を忘れて、情報戦と外交をないがしろにし、あまつさえ軍備を
疎かにするような国家観を持たなくなった国は、
知らずの内に強国に乗っ取られていった。
それでも、世界は恐ろしいほどまでに”平和”であった。
 武力行使が抑制された平和な世にあって人々は、退屈と余暇と欲求を
持て余すようになった。
世には娯楽が溢れ返り、人々は空いた時間を悦楽と快楽を求めることで消化していた。
 ”穏やかな戦争”も長く続けば、人も組織もそれに慣れてしまい思考が硬直する。
既得権益が蔓延した社会で、利権に群がる人間達が私服を肥やすのは
いつの時代も変わらない。
人類はいつの時代も社会が閉塞感に覆われると、無能で怠慢な権力者を放逐し
社会を変革してきた。
変化を希求するエネルギーを持つ者たちが最終的には勝利を収めてきたのだ。
 所が、権益のしがらみは根深く浸透し怠惰でいることに慣れきった現代の
人々にそれだけのエネルギーはなかった。
既得権益を守ろうとするパワーは強大で登場する革新勢力をことごとく
根絶やしにしていった。
 社会システムは自浄作用を失い、改善が遅々として進まない悪循環に陥っていた。
変化の見られない世界のあり方に人々は閉塞感と不安を抱き、未来への希望を
見出せなくなっていた。