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文殊(もんじゅ)
文殊(もんじゅ)
novelistID. 635
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負け惜しみの強い変わり者にくたばってしまえと言ってやる

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もちろん、別れてなかろうがこうして頻繁に会ってたんだと思われる。ファザコンに加えてじじコン、というかどうか知らないがそんな感じのものを発揮するのは寂しさと話し足りなさからなんだろう。俺に話したところで、俺は「へぇ」だとか「ふーん」だとかしか言わない。そんな俺に、姉貴は少しさびしそうに「反抗期なの?」とだけいつも言う。兄貴が同じ反応をしても反抗期とは言わないくせに。いや、言えば言ったでなんか妙でそれまたやめてほしいとも思うが。

「ケイちゃんさー、どうしてコージと付き合ってんの」
 帰りの車を運転する兄貴に、姉貴が友達に聞くような口調で、馴れ初め、というのかよくわからんがそんなものを聞きやがった。さきほど俺がプライバシーだからな、という配慮をもって伏せた名前は、こうして姉貴の一発でバレるわけだ。まったくもって、辛い現実である。
 兄貴は黙ってる。
 そりゃそうだ、いくら妹だからって聞いて良いことと悪いことがある。ましてや付き合ってる相手の性別と自分の兄貴の性別(しかし兄貴は当然男だろ、とは俺は言えないのだ。いつだったか、俺の友人が「姉ちゃんが兄ちゃんになって帰ってきた」と少し遠い目をして呟いたからだ)を考えれば、そうそう聞くようなものでない、と俺は思う。
 一応名前もバレてしまったことだし、コージさんについて少しばかり情報を提示したい。もうこの際、プライバシーという単語はしまっておくことにする。
 コージさんは、俺と姉貴の兄である園山恵司の高校時代のバスケ部で二つ年下、ようするに後輩だった。そして、姉貴の同級生だった。幼馴染に年齢の多少の違いは関係ないのだ。幼馴染とは、幼い時、仲良く遊んだ人なのだと、広辞苑が言っていた。きっと間違いない。
 開けてる窓から入り込んでくる風は、潮の香りがする。
「コージが、『先輩、月が綺麗です』って言ったから?」
俺には、意味がわからない。
 兄貴が語尾を軽くあげたのも、理由の説明がほぼ的を外れているような感じがするのも、『先輩、月が綺麗です』の意味するところも。
姉貴は瞬時に意味を察したらしく、持ってた文庫本で口元を軽く叩きながら「……あの堅物コージがねー」と呟いた。それからすぐ「いや、堅物だからか」と言いなおした。なにかの本にでも、その文句は出てくるんだろうか。少しで良いから本読みなさいよ、なんて言われて。太宰、川端、鴎外とかそのあたりのどっさり入った本棚を見ただけで、俺としては読んだ気分になれたのだが、姉貴は律儀に一冊ずつ読破していっているらしい。まったく、頭がさがる。読書してる時の姉貴は、本当に大人しい。恋人といる時も読書してみれば、なんて前に兄貴が言ったら「だって、『静かすぎてつまんない』んだって」とか言って、口をとがらせてた。

いつの間にか、潮の香りは消えていた。そのかわりに今度は木の葉が風に吹かれて音をたてるのが聞こえている。そのくらい、車内は静かだった。
「もちろん、返しはアレだよね」
「え、はぁ?」
急に話を振られて意味の理解できてない俺は、少しだけ肩を跳ねあげて問い返した。返しってなんだ。なんの何に対する返しなんだ。
「こらぁ、チーちゃん。ちゃーんと聞いてないと、かわいい彼女がゲットできないぞ?」
からかうような口調にウィンクを加えた姉貴に、ますます俺の脳内はごちゃごちゃになった。いったいなんなんだ。至極楽しそうな声で「そのくらい言ってくれると、嬉しいもんだよ」と言って笑った姉貴の額を白い指がこつん、と小突く。「千博に妙な言葉教えるな。あんなの、意味通じなかったらただの変わり者だ。てかもう、変人の領域」と兄貴がため息をつく。

「ひ、ヒント……」
軽くかすれた声で呟いた俺を、額を左手で押さえた姉貴が数秒見つめて、また笑顔になったかと思うと「くたばってしまえ!」と言った。

それヒントじゃなくて、ただ俺を罵ってるんじゃないのか?

固まってる俺に兄貴が「……って、お父さんに言われたのをペンネームにした人」と付け加えた。丁寧な補足ありがとう、兄貴。でも、わかるには相当時間がかかりそうです。