はるかな青空
【ぼくが不登校になったわけ】
不登校になってから一ヶ月。そのまま夏休みに入っていた。その原因は先生にあった。
ぼくのいる五年二組の担任、谷川礼子先生は三十才で独身だけど、すごいヒステリーだ。
それも、朝、寝起きが悪かったとか、車のエンジンの掛かりがわるかったとか、自分勝手なくだらない理由で生徒にあたりちらす。
おかげでクラスのみんなは、いつ先生の雷が落ちるか心配で、はらはらしていた。
成績のいい生徒はろこつにひいきするし、
それ以外の生徒のことは、何かにつけてあら探しをする。そして、みんなの前で恥をかかせるように叱るんだ。そんなとき、決まって言う言葉が『落ちこぼれ』だった。
目をつけられたら、毎日いびられる。びんたはするし、蹴飛ばすし、どうしてこんな人が先生なんだろうって不思議なくらいだ。
被害にあった子も、学校で仕返しされるのが恐くてがまんしている。
一番先に目をつけられたのはぞうきんを忘れた裕太だった。
目の回りに青あざができるほど、こぶしをぐりぐり押しつけられた。五月のはじめに転校したけど、そのとき裕太は、ほっとする、なんてうれしそうに笑ったっけ。
動作がのんびりしている庄一は、席を立つのがみんなより二秒おそいって叱られた。
立ったり座ったり、何度もやり直しをさせられて、とうとう貧血を起こした。
そんなふうに必ず誰かがいじめられていたので、五年生になってからは毎日が灰色だった。
まったく思いがけない事件がきっかけで、ぼくが目をつけられるようになったのは、
六月にはいってすぐのことだった。
その日、帰りの掃除の時間だった。
肇が障害のある子がろうかを通りかかったとき、
『早く行けよ。グズ』
と、バカにしたのが原因だ。
すると、正義感の強い竜二が、
『あやまれ!』
と、肇に迫ったんだ。
でも肇はごうまんな性格だから、ますます態度が悪くなった。
それでキレた竜二が肇につかみかかったので、ぼくが仲裁に入った。
『はなせよ。ツトム。あいつは一発ぶん殴られなきゃ、わからないんだ!』
『だめだよ。空手やってるおまえが殴ったりしたら、肇は大けがしちゃう』
竜二は大きくてうでっぷしが強い。もしけがでもさせたら大変だ。ぼくは必死で竜二をとめていた。
ちょうどそこへ谷川先生がやってきた。
『何、やってるの!』
要領のいい肇はぱっと離れて掃除用具を片づけだした。だから、先生の目にはぼくが竜二にけんかをふっかけているように映ったんだ。
体の小さいぼくが竜二をとめるには、全身でしがみつくしかなかったから。
先生は、竜二やほかの子がいくら事情を説明してもまったく耳をかさず、悪いのはぼくだと一方的に決めつけた。
肇は成績が優秀だし、竜二は親がPTAの役員だから。
先生は親のきげんをとるのが天才的にうまい。いいわけもうまくて、自分に不利になりそうなことでも、言葉巧みに相手をいいくるめてしまうんだ。
だから、子供たちの感情とは裏腹に、表向きには先生の評判はすごくよかった。
そうしてぼくへのいびりが、次の日からはじまった。
がまんしていたけど、一週間ほどしたとき、いつものように学校へ行こうと家を出た。
ところが玄関のドアを閉めたとたん、
ものすごい吐き気に襲われてあわてて家に駆け込んだ。
それから朝になるたびに頭痛がしたり、おなかが痛くなったりした。登校時間のあいだだけ高熱がでることもあった。
今でこそ、お父さんやお母さんと普通に話せるようになったけど、五年生になってからのぼくは心が荒れてひどかった。
『うるせえよ、クソババア。死んじまえ!』
谷川先生にぶつけたい言葉を、かわりにお母さんにぶつけた。
わけのわからないお母さんは、最初の頃はずいぶんおこって、そのたびにとっくみあいのけんかになった。
先生にいびられるようになってからはもっとひどくなって、暴れて物をこわしたり、部屋に閉じこもるようになったから、困って児童相談所に行ったりもした。
ぼくが学校を休みだして五日目、心配したさやかと竜二がうちに来てくれた。それで、二人が学校であったことを説明してくれたんだ。
おどろいたお父さんとお母さんはすぐに学校へ出向いて校長先生に話した。
校長先生に問いつめられて、やっと谷川先生は事実を認めてあやまった
だけど、ぼくの心はどうにもならないくらいずたずたになっていて、朝、学校へ行こうとすると足がすくんで動かなかった。
もちろん学校へ行かない後ろめたさや不安はあったけど、竜二やほかの友だちがときどき遊びに来てくれるし、さやかなんかほとんど毎日のように電話で学校のようすを話してくれる。
おしゃべりがうるさくてうっとうしいこともあるけど、さやかのおせっかいには感謝しているんだ。本当は。
「ねえ、ツトム。こんな虫、どう?」
さやかが平べったくて小さな緑色の虫を見つけた。
「へえ、きれいな虫だね」
「うん。これなら、何匹でもつかめるわ」
名前もわからないその虫を、二十匹くらい捕まえて家にもどりかけたら、後からさやかがついてくる。
「なんでついてくるんだよ。朝練なんだろ」
「ううん。道場はお休みなの。自主トレしてただけ。だから見せて、ツバメ」
しょうがない。いっしょに虫を探してくれたことだし、ぼくは承知した。
まだ六時前だけど、とっくに日が昇って明るくなっている。お母さんだっていくら早く起きたからって、また寝たりはしてないだろう。
ぼくの家は団地の三号棟にある。カギはあいたままだった。
「お母さんたら、また……。不用心だな」
「カギかけ忘れるの、うちのお母さんもよ。田舎暮らしのくせが抜けないみたいね」
さやかのお母さんとぼくのお母さんは幼なじみで仲がいい。
また寝ていやしないだろうな、なんて思いながら居間の方へ行くと、お母さんが新聞を広げていた。
「まあ、さやかちゃん、いらっしゃい」
「朝早くすみません。おばさん。偶然ツトムにあって、話聞いて……わあ、かわいい」
さやかはあいさつもそこそこにツバメにとびついた。見ると、小さなざるに裂いたティッシュペーパーが敷いてあって、その中にツバメはちょこんとすわっている。
「いいアイディアだね。お母さん」
「でしょ? お豆腐のざる、捨てなくて正解ね」
「ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー」
指を近づけたわけでもないのに、ツバメはめいっぱい口を開けてえさをねだった。
動くものが視界にはいると口を開ける、条件反射なんだ。
「はやくあげましょ。すっごい大きな口。顔中口にしてるって感じ」
さやかはぼくをせかした。
指で虫をつかんで口の中にいれてやるのはむずかしく、最初の三匹くらいは逃げられた。
のどの奥の方に入れてやらないと虫が逃げてしまう。
「ぎゃーぎゃー」
食べ損なうたびにツバメは催促するかのように鳴く。あんまりかわいげのない鳴き声だ。
「へたくそ」
さやかが言った。
「なんだよ」
「ツバメがそう言ってるの!」
「へん、いい加減なこと言うなよ」
ぼくは自分の部屋からピンセットをもってきた。それで虫をつかんでツバメにやると、今度はうまくできた。
「貸して、貸して」