はるかな青空
【夏の朝の拾いもの】
はじめはゴミかホコリのかたまりだと思った。そばにねそべっている大きな犬がしらん顔していたから。
それは小さくて黒く、扁平な毛糸玉みたいで、灰色のふわふわした細い毛が出ている。
犬の鼻先に落ちているそいつを見つけたぼくは、ふと足を止めた。
目を凝らしてみると、真ん中に黄色いものがある。しばらくの間、じっと見ていたら、それがぴくぴくっと動いた。
生き物だ!
犬を刺激しないようにそっと近づくと、そいつはいきなり、
「ぎゃーぎゃーぎゃー」
と、鳴きだした。ツバメのひなだったんだ。
犬がいる家の軒下に巣があって、屋根の上から親鳥らしい二羽がじっとこっちを見ている。
でも、ぼくにはひなを巣にもどしてやれそうにない。そこに登るためのものがあたりになかったから。
このままでは強い日差しにあたって死んでしまうだろう。
ぼくは、そいつをそっと手のひらにのせると、家につれて帰った。
七月も終わりに近い、まだ日の出前の涼しい朝のことだった。
「あら、ツトム。おかえり」
お母さんがもう朝食のしたくをしていた。
いつもならまだ寝ている時間なのに、お父さんが出張なので早起きだ。
ぼくは居間にいって、テーブルにティッシュペーパーを二、三枚重ねて敷くと、その上にツバメのひなを置いた。そのとたん、ツバメはぎゃーぎゃーと鳴いた。
「どうしたの?」
鳴き声を聞きつけたお母さんがやってきて、
「ツバメ? なんだかぼろくずみたいね」
と言って、くすっと笑った。
「何を食べさせたらいい? 虫だっけ?」
「そうねえ。虫っていっても生きてるのでしょ? 難しいんじゃない? 育てるの」
二人で考え込んでいると、今度は、
「おい、ハンカチ……なんだ、ツトム。こんなところで……おっ?」
したくのすんだお父さんが入ってきた。
「ツトムが拾ってきたのか」
「うん。落ちてたんだ。でも、巣にもどしてやれないから」
「おまえ、育てられるのか?」
「わかんない……けど、かわいそうだから」
ぼくは口をとがらせた。べつにふてくされたわけじゃなく、自信がないからだ。
すると、お父さんは言った。
「いちいち虫を捕まえるのはたいへんだからな。あとですり餌を買ってくるといい」
「何? それ」
「主に虫を食べる鳥のためのえさだよ。水で練って作るんだから簡単だ」
「へえ、そうなんだ」
「これからはすり餌を中心にして、一、二回ミールワームを食べさせるといい」
「ミールワームって?」
「えさ用の虫さ。な、ちびすけ、おまえは虫が好きだからな」
と、お父さんがツバメの前に人差し指をだしたら、たちまちツバメは口を大きく開いてぎゃーぎゃーと鳴きだした。
「よしよし、腹減ってるのか? ツトム、とりあえず今は、外で虫でも捕まえてこい」
「うん」
「おっと、もう出かけなきゃ。ハンカチ、ハンカチ」
「あら、鞄のそばにおいてあったでしょ」
二人はばたばたと居間から出ていった。
それからお父さんといっしょに家を出たぼくは、お父さんを見送ると、そばの公園に行った。そこなら緑が多いから、虫はたくさんいるだろう。
なにしろ、ぼくの家は団地の五階だし、まわりはコンクリートばかりだ。
植え込みをかき分けると、小さなクモがいた。あんまりさわりたくないけど、ツバメのためだ。
「なにしてるの。ツトム」
「うわっ」
ふいに後ろから声をかけられて、ぼくはびっくりした。
ふりむくと、同じクラスのさやかが立っている。ちょっと色黒の顔に白い歯を見せて。
ぼくはそそくさとその場を離れようとした。
こいつのおしゃべりにつかまると、すぐには帰れなくなる。
ところが、さやかはぼくの腕をつかんでひきとめた。
「まってよ。いいじゃん。夏休みなんだし」
ふりほどこうとしたけど、こいつのばか力にはかなわない。
ちなみに、さやかなんて名前だけ女らしいけど、背は高くて体格はごついし、やることなすこと男勝りなんだ。今も剣道着姿でびっしょり汗をかいている。
「なんだよ。うるさいな」
ぼくはぶっきらぼうに答えた。
「なにしてんの。こんなところで。もしかしてのぞき?」
さやかはぼくをからかうようにうす笑いをうかべた。
「ば、ばかなこというなよ」
ぼくはくるっと背を向けて、また虫をさがしはじめた。
「いいじゃない、教えてくれたって」
さやかはしつこくついてくる。ぼくはふりむきざま腕をぐっと突き出すと、手をぱっと開いてクモをみせつけた。
「きゃああああああ」
近くでジョギングや犬の散歩をしていた人たちまでが驚いてふりかえるくらい、すさまじい悲鳴だ。ぼくは恥ずかしくなって、さやかをなだめた。
「お、おい。やめろよ」
「だって。クモ、きらい。ツトムの変態」
ひどいいわれようだ。クモに逃げられたぼくは、また植え込みをかき分けた。
「ねえ、なんなのよ。さっきから」
「うるさいな。ツバメにやるんだよ」
「ええ? どうしたの」
「ひろったんだよ。巣から落ちたやつ」
めんどうくさそうにぼくは答えた。いちいちかまっていると、気が散って虫が探せない。
「へえ、落ちこぼれかあ」
一瞬、ぼくの心臓はどくんと大きく波打った。体がこわばって植木をかき分けていた手が止まった。
と、同時に、さやかがはっと息をのむ気配を感じた。しばらくの間、二人の間に気まずい空気がただよった。
「ごめん……」
さやかは小さな声で、ほんとうにすまなそうに言った。
「いいよ。別に……」
ぼくがぼそぼそと答えると、さやかは遠慮がちに尋ねた。
「ねえ、二学期には行くんでしょ。学校」
「……知らない」
ぼくはまるで人ごとのように気のない返事をして、ひたすら虫をさがし続けた。
はじめはゴミかホコリのかたまりだと思った。そばにねそべっている大きな犬がしらん顔していたから。
それは小さくて黒く、扁平な毛糸玉みたいで、灰色のふわふわした細い毛が出ている。
犬の鼻先に落ちているそいつを見つけたぼくは、ふと足を止めた。
目を凝らしてみると、真ん中に黄色いものがある。しばらくの間、じっと見ていたら、それがぴくぴくっと動いた。
生き物だ!
犬を刺激しないようにそっと近づくと、そいつはいきなり、
「ぎゃーぎゃーぎゃー」
と、鳴きだした。ツバメのひなだったんだ。
犬がいる家の軒下に巣があって、屋根の上から親鳥らしい二羽がじっとこっちを見ている。
でも、ぼくにはひなを巣にもどしてやれそうにない。そこに登るためのものがあたりになかったから。
このままでは強い日差しにあたって死んでしまうだろう。
ぼくは、そいつをそっと手のひらにのせると、家につれて帰った。
七月も終わりに近い、まだ日の出前の涼しい朝のことだった。
「あら、ツトム。おかえり」
お母さんがもう朝食のしたくをしていた。
いつもならまだ寝ている時間なのに、お父さんが出張なので早起きだ。
ぼくは居間にいって、テーブルにティッシュペーパーを二、三枚重ねて敷くと、その上にツバメのひなを置いた。そのとたん、ツバメはぎゃーぎゃーと鳴いた。
「どうしたの?」
鳴き声を聞きつけたお母さんがやってきて、
「ツバメ? なんだかぼろくずみたいね」
と言って、くすっと笑った。
「何を食べさせたらいい? 虫だっけ?」
「そうねえ。虫っていっても生きてるのでしょ? 難しいんじゃない? 育てるの」
二人で考え込んでいると、今度は、
「おい、ハンカチ……なんだ、ツトム。こんなところで……おっ?」
したくのすんだお父さんが入ってきた。
「ツトムが拾ってきたのか」
「うん。落ちてたんだ。でも、巣にもどしてやれないから」
「おまえ、育てられるのか?」
「わかんない……けど、かわいそうだから」
ぼくは口をとがらせた。べつにふてくされたわけじゃなく、自信がないからだ。
すると、お父さんは言った。
「いちいち虫を捕まえるのはたいへんだからな。あとですり餌を買ってくるといい」
「何? それ」
「主に虫を食べる鳥のためのえさだよ。水で練って作るんだから簡単だ」
「へえ、そうなんだ」
「これからはすり餌を中心にして、一、二回ミールワームを食べさせるといい」
「ミールワームって?」
「えさ用の虫さ。な、ちびすけ、おまえは虫が好きだからな」
と、お父さんがツバメの前に人差し指をだしたら、たちまちツバメは口を大きく開いてぎゃーぎゃーと鳴きだした。
「よしよし、腹減ってるのか? ツトム、とりあえず今は、外で虫でも捕まえてこい」
「うん」
「おっと、もう出かけなきゃ。ハンカチ、ハンカチ」
「あら、鞄のそばにおいてあったでしょ」
二人はばたばたと居間から出ていった。
それからお父さんといっしょに家を出たぼくは、お父さんを見送ると、そばの公園に行った。そこなら緑が多いから、虫はたくさんいるだろう。
なにしろ、ぼくの家は団地の五階だし、まわりはコンクリートばかりだ。
植え込みをかき分けると、小さなクモがいた。あんまりさわりたくないけど、ツバメのためだ。
「なにしてるの。ツトム」
「うわっ」
ふいに後ろから声をかけられて、ぼくはびっくりした。
ふりむくと、同じクラスのさやかが立っている。ちょっと色黒の顔に白い歯を見せて。
ぼくはそそくさとその場を離れようとした。
こいつのおしゃべりにつかまると、すぐには帰れなくなる。
ところが、さやかはぼくの腕をつかんでひきとめた。
「まってよ。いいじゃん。夏休みなんだし」
ふりほどこうとしたけど、こいつのばか力にはかなわない。
ちなみに、さやかなんて名前だけ女らしいけど、背は高くて体格はごついし、やることなすこと男勝りなんだ。今も剣道着姿でびっしょり汗をかいている。
「なんだよ。うるさいな」
ぼくはぶっきらぼうに答えた。
「なにしてんの。こんなところで。もしかしてのぞき?」
さやかはぼくをからかうようにうす笑いをうかべた。
「ば、ばかなこというなよ」
ぼくはくるっと背を向けて、また虫をさがしはじめた。
「いいじゃない、教えてくれたって」
さやかはしつこくついてくる。ぼくはふりむきざま腕をぐっと突き出すと、手をぱっと開いてクモをみせつけた。
「きゃああああああ」
近くでジョギングや犬の散歩をしていた人たちまでが驚いてふりかえるくらい、すさまじい悲鳴だ。ぼくは恥ずかしくなって、さやかをなだめた。
「お、おい。やめろよ」
「だって。クモ、きらい。ツトムの変態」
ひどいいわれようだ。クモに逃げられたぼくは、また植え込みをかき分けた。
「ねえ、なんなのよ。さっきから」
「うるさいな。ツバメにやるんだよ」
「ええ? どうしたの」
「ひろったんだよ。巣から落ちたやつ」
めんどうくさそうにぼくは答えた。いちいちかまっていると、気が散って虫が探せない。
「へえ、落ちこぼれかあ」
一瞬、ぼくの心臓はどくんと大きく波打った。体がこわばって植木をかき分けていた手が止まった。
と、同時に、さやかがはっと息をのむ気配を感じた。しばらくの間、二人の間に気まずい空気がただよった。
「ごめん……」
さやかは小さな声で、ほんとうにすまなそうに言った。
「いいよ。別に……」
ぼくがぼそぼそと答えると、さやかは遠慮がちに尋ねた。
「ねえ、二学期には行くんでしょ。学校」
「……知らない」
ぼくはまるで人ごとのように気のない返事をして、ひたすら虫をさがし続けた。