はるかな青空
【はるかな青空】
泣きながら眠ってしまい、気がついたら夜がしらじらと明けるところだった。クロがいなくなって三日目の朝だ。
まぶたがはれぼったくて、重い。
ジョギングに行く気にもなれないで、ベッドの上でごろごろしていた。
朝日がさしてきたころ、ぐずぐずと起きて居間までいったけど、まだだれも起きていなかった。
そうか。今日は日曜日だっけ……。
カーテンをあけると、ベランダの手すりに一羽だけツバメがとまっている。
「クロ?」
ぼくはそっと呼んでみた。すると、
「ぎいー」
と、返事をした。あいかわらず変な声だ。
それからクロは、ぼくの目の前でついっと飛んで旋回してみせた。りっぱな飛び方だ。
「クロ。お別れに来てくれたんだね」
ぼくはうれしくて、まだ寝ているお父さんとお母さんの部屋のドアをたたいた。
「もう、ツトムったら……。どうしたの」
お母さんが目をこすりこすり出てきた。
「いいから見てよ。ほら! お父さんも」
ぼくはまだ寝ぼけているお父さんの手を引っ張った。
二人はベランダに出て、ぼくが指さす方を見たとたん、すっかり目が覚めた。
「クロか?」
「まあ、クロ!」
クロはもう一度得意そうに旋回すると、
電線からいっせいに飛び立った仲間たちと一緒に、目の前に広がる青い空へ、南をめざして飛んでいった。
「クロ。さよなら。来年、きっと帰ってくるんだよ」
ぼくと、お父さんとお母さんの三人は、いつまでも手を振って見送った。
「ツトムー。どうしたのよ。ジョギングにこないから具合でも悪いのかと思ったじゃない」
下からさやかが大声で声をかけてきた。
「まったく、あいつ。近所迷惑じゃないか」
あわててぼくは下まで駆け下りて、さやかに文句を言った。
「なんだよ。大きな声で、まだみんなねてるんだぞ。日曜日だってのに」
「あはは。ごめん、ごめん。だって橋の上でツトムに会えなかったから。これでも心配して来たのよ」
「それが……。クロがきたんだ」
「ええ?」
さやかはまたばかでかい声で驚いた。
「しっ。少しは加減しろよ」
「だって」
「きたんだよ。お別れに。それでたった今、飛んでいったんだ」
「じゃあ、たくさん飛んでたツバメの中にいたの?
どうしてわかったのよ。クロだって……」
「だって、一羽だけぼくの家のベランダにとまってたから」
「へえ、すごいわ。感心ね」
さやかは腕を組んでうなずいた。そのしぐさが大げさだったので、ぼくはおかしかった。
「ねえ、このままおじさんのところへ報告に行きましょうよ」
さやかはぼくの手を引っ張ってせかした。
畑に行くと、大きくなった里芋の葉の陰から、ひょこっとおじさんが顔をだした。
「おや、いつもより遅かったじゃないか」
「クロが、クロが……」
胸がつまって言葉がしどろもどろになったぼくを、じれったく思ったのか、さやかは興奮して言った。
「クロがあいさつにもどってきたの」
「え?」
おじさんはきょとんとした。
そうだ、この間おじさんは畑にいなかったんだっけ。だからクロが飛んでいったことを知らない。
そのことにさやかは気がついて、
「あ、そうそう、クロは三日前にとんでっちゃったの。でも、またもどってきたの、お別れに。それでさっき南の方へ飛んで行ったんですって」
と、早口で説明した。
「ほう、それはよかった」
おじさんは目を細めた。
「なんだよ。ぼくが言おうとしてたのに」
ぼくが文句をいうと、さやかはあかんべーをして、草むらの方に逃げていくと、
「ここまでおいでーだ」
と、両手をふった。
「はっは、いつも二人は仲がいいんだな」
「そんな、ちがいますよ。ただの腐れ縁で」
ぼくのいいわけをおじさんはにこやかに聞いていた。それから南の方の空を見ながらぽつりと言った。
「ツトム君。もう、そろそろ、君も飛べるんじゃないか?」
おじさんは何もかも知っている、というような笑顔を見せた。
たしかにぼくは揺れていた。学校へ行きたい気持ちと、自分で行動できないいらだちの間で。
ぼくはすぐに返事ができず、ことばを飲み込んだ。
「なに、特別なことをしなくていいんだよ。ほんの少し勇気をだせば」
ほんの少しの勇気……。
ぼくは目を閉じた。そして、クロの勇姿を思い出した。
小さな体で遠い国をめざしていったクロ。
その旅はつらく苦しいはずだ。
ぼくはなんだか目のうらがじいんと熱くなって、体の奥から力がわいてきたような気がした。
頭の中にいろんなことが浮かんできた。
自分がいじめられたいやな思い、悲しさ。
でも、友だちや両親の励ましで元気づけられたこと。
おじさんが先生だったときの経験、その中に出てきた子供の両親のすばらしさ……。
そうしたら、お父さんやお母さんの気持ちがなんとなく理解できたような気がした。
すると、自分の経験なんてちっぽけなことのように思えてきたんだ。
今なら、谷川先生のことを許せるかもしれない。
(ごめん。お母さん。あのとき、お母さんのことをうらんで……)
ぼくは心の中でつぶやいた。
「つまんない。ツトムったら追いかけてこないんだもん」
さやかが、もどってきて口をとがらせている。
「ふん。子供になんかかまっていられないんだよ」
ぼくは涙をみられまいと、そっぽを向いた。
「なに、やだ。ツトムったら泣いてるの?」
「ち、ちがうよ。目にゴミがはいったんだ」
ぼくは、話をはぐらかそうと、笑いながらうなずいているおじさんに言った。
「おじさん、今日は何をしてるの? 手伝うよ。ぼく」
おじさんは、収穫がすんで枯らしておいたカボチャのつるを集めて、堆肥に混ぜるためにきざんでいた。
ぼくとさやかは一輪車にそれを積んで、堆肥置き場に運んだ。
秋の朝の風はひんやりして、とてもすがすがしい。ふとぼくは立ち止まった。
「どうしたの。ツトム」
さやかが顔をのぞき込んできた。目を合わせて言うのも照れくさい。
「明日から学校に行くよ」
クロが旅立っていったはるかな青空を見つめながら、きっぱりとぼくは言った。