温泉に行こう!
一、
「なに、これ」
手紙を読み終わった久坂義人がつぶやいた。
その美声はめずらしくとがっていた。
いつもはのんびりとした口調で話すほうなのだが。
それはこのひとが余裕のないところを他人に見せるのを好まないからだろう。
そう寺島忠治郎は推測している。
藩校の寮の寮長室にいる。
寮長なのは、もちろん久坂だ。
同じく藩校生で寮生でもある寺島は、久坂より年下ではあるが、その手伝いをよくしている。
「どうかしましたか」
そう寺島が問うと、久坂は手紙を差しだした。
寺島はその手紙を受け取り、文面に視線を走らせる。
手紙は吉田松風からのものだ。
寺島も久坂も松風が主宰する塾の生徒で、つまり、松風はふたりにとっては尊敬する師である。
しばらくして読み終わる。
そして。
うわー…。
寺島は心の中で声をあげた。
口には出さない。そんなことはできない。
その代わり。
「絶縁状ですね」
そう言った。
松風は、現在、藩の獄舎にいる。
幕府の頂点に立つのは将軍ではあるが、実質的な最高権力者は大老で、その大老が開国派なのだ。
黒船が来港して以来、幕府の上のほうでは開国派と攘夷派が激しく争っていた。
その末に、開国派の中心人物が大老に就任した。
だから、これまでの報復と、巻き返されることを警戒して、大老は攘夷派を弾圧している。
そんな中、松風はなにもおそれずに攘夷思想を唱えていた。
はっきり言おう。
松風は無邪気なひとなのだ。
それがゆえに、まわりのひとびとから愛されている。
同時に、心配もされている。
今回、藩の上層部が松風を獄舎に入牢させたのも、実は心配してのことである。
くだけた言い方をすると。
今は幕府の最高権力者が攘夷派を弾圧しているから、おとなしくしていなさい、ね?
ということなのだ。