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RUN ~The 1st contact~

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 その声にランが振り返ると、甲板から後方、二階建ての部分から、数十人が上下列をなして銃口をこちらに向けている。ゆっくりだったエレベーターの代わりに、階段でも十分追いつく早さだったようだ。階段からは、後から後から人が溢れ出してきており、ランと龍王は完全に囲まれていた。
「なんて余興だ。どう逃げるつもりだったか知らないが、甘い計画にもほどがある。何者だ」
 振り返った先に、龍王の父親であるマフィアのボスがいる。
「父上!」
 思わず龍王が叫ぶ。その時、ランのヘッドセットから、トムの声が聞こえた。
『カウントダウンだ。十、九、八……』
 突如始まったカウントダウンに、ランは龍王の首筋を叩き、龍王を気絶させる。
「龍王! 貴様、何をするつもりだ。誰なんだ!」
 そう言いつつも、龍王とともにいるランに手出しが出来ない連中に、ランは無言のまましゃがみ込んだ。そして自らの靴に仕掛けられた、手動式である滑り止めのスパイクを突き出す。ランの靴底からは、途端に太い針が突き出し、甲板の板に食い込んでいる。
「俺の名を聞いて、生き残ったやつはいないよ。俺はコードネーム……」
『三、二……』
「ラン」
 その時、爆発音とともに突如として船が揺れ、空にヘリコプターが出現した。揺れと上空に気を取られた人間たちを尻目に、ランは龍王を肩に担ぎ、一目散に舳先へと走り出す。だが、一瞬にして折れ始めた船の中心に、甲板はどんどんと傾いていく。
 自らの体と龍王の重さ、更には上り坂に傾く船に、ランにかかる重力は相当なものだった。
『ラン!』
 ヘッドセットから聞こえるトムの声に耳を傾けながら、ランは無言のまま、ただ走って舳先を目指す。やっとランの手が舳先の手摺りに届いた時には、舳先は空を仰いでいた。
 ふと下を見ると、筋書き通りの人の姿が見えた。突然の重力に逆らえず、折れ曲がった船の中心に吸い寄せられ、やがて海へ沈んでいく。ここにいるランも、一刻を争った。
 ランは舳先の外側になんとか回り込むと、舳先の欄干へと立ち上がる。ヘリコプターは海風にかなり煽られていて、圭子の手によって下ろされたはずの梯子も、くねりながら何度もランの上空を通り過ぎていく。
『すごい風で、コントロールがきかない!』
 トムの言葉を聞きながら、ランは持っていたロープで龍王を背中に縛りつけた。
「トム。全力を尽くしてくれればいい。ワンチャンスだ」
『オーケー……行くよ』
 トムは冷や汗をかきながら、ヘリコプターから垂れ下がった梯子を、なんとかランへと近づけていく。その様子を、圭子は祈るように見つめている。しかし爆風はランをも直撃しながら、船を揺らしていた。
 その時、ランの目に道筋が見えた。たった一瞬の判断で、ランはためらいもせず大きく梯子目指して飛ぶ。すでにその体の下は、深く真っ暗にうねった海しかない。
 が、しかし、突如とした突風に煽られ、龍王の重さに耐え切れず、ランの手は梯子にかすっただけで、真っ逆さまに落ちていった。
『ラン!』
 事態を察して、トムと圭子が叫ぶ。
 ランのスーツは多少緩やかに風を捉えながら、船の縁を落ち、甲板横の欄干にとどまった。しかし、さっきのように船の天辺ではなく、すぐにでも海に呑みこまれてしまいそうな位置である。さすがのランも、いつもより険しい顔に見える。
「……ラストチャンスだ。出来るだけ低く飛んでくれ」
 ランがそう言うと、トムはうめくように返事をして頷き、一刻の猶予もない船目掛けて、操縦桿を握った。
 一瞬、風が完全に止んだ。ランは少し離れたところに揺れながらも近づこうとしている梯子目掛け、飛び立った。
 ランの手がかろうじて梯子を捉えたと同時に、別の段に小さな手が梯子を掴んでいる。ランの背中で意識を取り戻した龍王が、梯子を掴んでいるのだ。生きようとする気持ちの表れなのかもしれない。
「……おまえだけは、中国へ帰す」
 ランの言葉に龍王は頷くと、そのままランに体を委ねた。
「ラン!」
 梯子を登りきり、ヘリコプターの中へと到着したランに、圭子がすぐに声をかけた。
「無事のようだな」
 ランはそう言いながら扉を閉め、背負った龍王の縄を解き、海上を見下ろした。ヘリコプターに照らされた光には、もうほとんど沈んでしまった船が見える。
「……悪いが、おまえの父親とその仲間は死んだ。最期を見ておけ」
 中国語で、ランは龍王に言った。龍王は無言のまま頷くと、窓越しに船を見つめ、涙を流す。
「暗闇と強風の中、よくやってくれたよ」
 ランの言葉に、トムが照れ笑いする。
「危なかったけど、ナイスコントロールだっただろ? このまま中国に飛べばいいね?」
「ああ」
 ヘリコプターは、沈みゆく船を尻目に、そのまま暗い上空を飛んでいった。
 時間と安堵感を取り戻したヘリコプター内で、圭子は泣いている龍王の肩を抱き、宥めていた。言葉もわからず、父親や知人を一気に亡くしてしまった八歳の子供に、何がしてやれるというのだろう。
 そんな圭子の手を、ランが振りほどかせる。
「やめろ。ガキはガキでもクソガキだ。仮にもマフィアのボスになるはずだった人間。噛まれてもしらないぞ」
「そんな。こんなに泣いているのはただの子供よ。一気に父親まで亡くしたんだから……私は兄を殺されて、やつらを憎んでた。でも私も、同じような思いをこの子にさせてしまったんだわ……」
 後悔に肩を落とす圭子に、ランは不敵に微笑み、龍王に語りかける。
「やつらが死んで、せいせいしたか?」
 その言葉に、龍王はやがて笑みを浮かべた。
「うん……全員死んでくれるなんて、夢みたいだ」
 笑いを堪えながら、龍王が答える。
「やっぱりな。何かあると思っていた」
「最初はびっくりしたけど嬉しいよ。あいつら、俺の親でもなんでもないんだ。少しは心が痛んで泣いてみたけど、やっぱり嬉しいのが一番だ」
 突然、笑い出した龍王に、圭子は驚きを隠せない。運転席のトムは、鼻で笑って呟く。
「クソガキが」
 圭子はランを見つめる。
「……どういうこと?」
「こいつも連中から逃げ出したかったってことさ。悲しみもあるが、それだけこいつへの扱いが酷かったってことだ」
「扱いって……」
「よくある話だ。マフィアのボスになるための英才教育。こいつには五人の護衛がいたが、常につきまとって自由もなかったんだろう。勉強も武術も、生まれた頃から仕込まれているはずだ。ようするに、こいつは人格無視で育てられて、心まで腐らされてるってことだよ」
「……信じられない」
「だが現実だ。まだ八歳だから、やり直せる可能性は十分にある。家族は他にいないようだし、専門の孤児院に預けて更生させるしかない」
 圭子は晴れないままの心を抱えていた。無言になった内部で、一同は中国を目指した。

 中国に着いた一同は、ヘリコプターから降りる。
「ミス・圭子、僕はここでお別れだ。眠ってしまった龍王を孤児院に連れていったら、そのまま直でアメリカに帰るよ」
 突然のトムの言葉に、圭子は目を伏せた。
「そう……なんだかいろいろ、ありがとう」
「いいよ。今度は仕事抜きで、デートでもしてくれる?」
 圭子は笑った。