天上万華鏡 ~現世編~
「よく吠えるだろ? 鳴き声が大きければ大きい程、効率よく吸い上げている証拠でね、使い切ると、こいつのように反応しなくなる。使い古しはゴミ箱に。おい、こいつを捨て給え」
三田は動かなくなった霊からチューブを乱暴に外し、無造作に放り投げた。それをリアカーを引いている召使い風の男が積み込み去っていった。
「どうしてこんなことするの? ゴミみたいに……」
「エネルギーがないんだから、しょうがないじゃないか。それとも君がどうにかしてくれるのか?」
「でも、こんな酷いこと……」
春江は懇願するように呟いた。
「惰性に生きているクズは腐るほどいるんだよ。そのくずを有効活用しているんだから、むしろ感謝してもらいたいねぇ。君は成仏するために、その身を何度焼いても這い上がるお人だ。こいつらクズとは違う。君は私のやっていることを理解するべきだねぇ」
この人物とは根本的に違う。相容れない存在だと直感した。
「理解できません!」
「クズじゃないか。死に直面した自分の境遇を悲観し、死を受け入れないために思考を止めた馬鹿者」
と言いながら、縛られている男を殴る。
「くだらない理由で自殺して、成仏できない現実に悲観して思考を止めた馬鹿者」
と言いながら、その前にいる女を殴る。
「欲望を満たすために人を呪術で殺そうとして、逆に自分にその呪術が跳ね返り死んでしまった馬鹿者」
と言いながら、半分狐になったまま縛られている男を殴る。
「どいつもこいつも自分の弱さを棚に上げて、不平不満をまき散らし、しまいには人間であることすらも放棄する……クズ以外に彼らを評する言葉があるかね?」
この男に何を言っても無駄だ。そう悟った春江は、説得とは別の方法しかないと思うに至った。
「私にできることは何ですか?」
三田はにっこり微笑むと大きく頷いた。
「その通り。よく分かっている」
囚われの霊たちを救うべく、三田との交渉が始まった。
「そこでだ、今君がやっている千回詣だが、最後に鏡がある場所にいくだろ?」
「はい」
「その鏡を持ち帰ってほしい」
突飛な提案だった。春江はどうしてそんな要求をするのか理解できなかった。また、本殿にある鏡を持ち帰るなんて罰当たりなこと、できるはずもない。そう思った。
「そんな罰当たりな……」
「最後まで聞き給え」
「はい……」
考えが根本から違う相手からの要求である。納得する要求が来ないことは十分想定できた。三田の言う通り、最後まで話を聞かないと判断できない。
「あの神社に入ると体を燃やすだろ? それは溢れるエネルギーの証だよ。鳥居の内側に必ず人がいると思うが、それはエネルギーが漏れないように結界を張っているんだな」
体が燃えるように熱くなるのは穢れを祓うためではなかったのか? 仁木から聞いていた話とのズレをどう理解すればよいのか分からなくなった。
「え? 穢れを祓うために熱くなるんじゃ……」
「まんざら間違ってはいない。だって穢れた体に高エネルギーは耐えられないからねぇ」
なるほどと春江は納得した。その表情を読み取った三田は、話を続けた。
「天使たちは、そのエネルギーを独り占めしようとしているんだよ。それを分配すれば皆が安心して生活できるというのにな。ずるいと思わないか?」
ため息混じりにつぶやく三田。いかにも天使は自分勝手なのかと言わんばかりの発言に、春江は不快感をあらわにした。
「ん? 事実じゃないか。現に我々には一切分配されていないんだぞ。天使が行うことは全て正しいという幻想は捨て給え」
「…………」
天使に対する疑念。春江もかつて抱いていただけに、三田の言葉を否定できずにいた。
「第一、かつて君を見下し、あざけり笑う下卑な存在を庇い立てる必要はどこにあるんだ?」
確かに侮蔑の表情を浮かべられた。その時の心細さを忘れることはできない。しかし、天使を悪く思うことはどうしてもできなかった。何故なら春江にとって天使は神聖な存在であり、ベリーのような慈悲深い天使も多いことも知っているからである。だからといって、三田の言うことも理解できる。肯定と否定の狭間に立たされ苦悩を強いられた。
「ふふふ……いい反応だ。私の言葉に惑わされ苦悩する。その表情は美しくもある……」
静かに笑う三田。春江は、その表情を見ながら背筋が寒くなった。
「さて、話を続けよう。本殿にある鏡は、神社にあるエネルギーの源だ。地面を流れるエネルギーの川……つまり地脈を引き寄せることができる。それができれば、こいつらは用済み。解放しよう」
これで交渉の全容が明らかになった。鏡を持ち帰れば、この場にいる霊を救うことができる。しかし、春江にとってその鏡を持ち帰るなんて考えられなかった。ふれてはいけない神聖なものを汚す行為ではないかと思ったからである。
「そんなことは……」
と、迷っている春江に追い打ちをかけるように畳みかける。
「天使が独り占めしているエネルギーを、少し拝借するだけの話だよ。独り占めしているから、私もこんなことをしなければならないわけだしな」
縛られている霊の頬を優しく撫でながら語る三田。春江は更に迷っていた。
「なぁに、君が天使どもを説得すれば済む話ではないのか?」
「説得?」
「ああ、今私が言ったように、独り占めしているものを分配するべきだってな。そうすれば私が言ったことが間違っていなかったことに君は気付くことになる。そして、君の言葉次第では、天使自らが鏡を差し出すことになるだろう。そうなったら尚のこと問題ないだろ?」
一見すると問題ないように見える。しかしどこか落とし穴があるように思えてならなかった。
「でも……鏡を取ったら誰かが困るんじゃないですか?」
「拝借したら、また返すんだよ。少しは頭を使い給え」
「…………」
「天使が独り占めしている今の方が、困った状態だと思わないか? 天使は自分たちのことしか考えていない。天使の名の下にやりたい放題だ。君とは根本的に違うんだよ」
春江は今すぐに判断すべきではないと思った。それだけ深刻な問題なのである。
気持ちは三田の要求に応じる判断に傾いていた。しかし、三田の異様な雰囲気に飲まれて正常な判断ができていないという危険性もある。だからといって仁木には相談できない内容である。仁木だったら必ず反対する。春江は仁木の性格を分かっているだけに、自分独りで判断しなくてはならないと思った。
「考えさせていただいても宜しいでしょうか?」
それを聞いた三田はニヤリとした。正義感の塊である春江だったら、間違いなく要求に応じないだろうと思っていた。その春江が判断に迷っているのだ。余程心が動かされたに違いない。また、囚われた霊を解放しなければならないという脅迫観念にも似た使命感を背負っているはず。これは要求に応じるだろうと確信した。
「それはいいが城島春江。判断が遅くなると、それだけ犠牲が増えるぞ。天使のわがままによる犠牲がな」
三田は、動かなくなった霊を放り投げながら微笑んだ。
「さあ帰り給え。私の納得する答えを待っている」
作品名:天上万華鏡 ~現世編~ 作家名:仁科 カンヂ