天上万華鏡 ~現世編~
「この先に、千回詣を成し遂げた証である玉があります。これが最後の試練となるでしょう。あなたなら絶対乗り越えることができると信じています」
春江はベリーの言葉に笑顔で答えた上で口を開いた。
「ベリー様。私は幸せです。天使様に祝福されるなんて……」
「いえ、春江さん。私もあなたに感謝しているんですよ」
ベリーはにっこりと春江に微笑みかけると、春江はびっくりして問いかけた。
「え? 何故ですか?」
「さあ、先に進みなさい。まだ終わっていないんですよ」
ベリーははっとして我に返り、お茶を濁した。
春江を通して人間の可能性を見た。ベリーにとって大きな収穫だったのである。しかし、立場上、むやみに頭を下げることは許されないのである。
春江はベリーに伝えた通り、幸せを実感していた。自分でもここでもできるんだ。もしかして天使になるのも夢ではないかもしれない。ベリーからの賞賛で、更に自信を深めることになった。
そして目の前には大きなな門。最後の試練を目の前にして気持ちを新たにした。
春江はベリーの案内で門の中に入っていった。目の前には拝殿がある。この拝殿とは祭礼を行う場所である。通常参拝する際はこの社を目指して参道を歩いていく。そのため、春江も拝殿が目的地だと思いこんでいた。
ベリーは無言で春江を誘導した。その間、春江は周りを見ながら自分を攻撃するものがないのか警戒していた。
拝殿の周りは整備された庭みたいな空間で、落ち葉一つ落ちていない。とても静かで、風の音だけが春江の耳をくすぐった。
見たところ何の変哲もない単なる神社に見える。だが、これまでに春江は想像を絶する試練を受けてきた。今あるごく当たり前の風景が、逆に春江にとって違和感を感じてしまうものだったのである。
「心配無用です。ここに、あなたを傷つけるものはないんですよ。ただここで玉を受け取るだけです」
「そうなんですか? 今まで急にいろんなことが起きていたものですから……」
「疑い深くなったんですね。仕方ないことかもしれませんね」
そう言いながらベリーは、拝殿の奥にある社を指さした。ここはいわゆる本殿であり、通常立ち入りが禁止される場所である。
参拝客として普通に訪れても立ち入ることができない神聖な場所に行くように言われているのである。最後の試練に相応しい舞台である。
「あの中に入りなさい。全てはそこにある」
そう言うと、微笑みながら去ろうとした。すると慌てながら春江はベリーを引き留め、話し始めた。
「ベリー様! 私……絶対乗り越えます! 約束します!」
はっとしながら聞き始めたベリーだが、やがて微笑みながら話を聞く。まるで、我が子を愛おしむ母親のように。
「はい。期待していますよ。それでは健闘を祈ります」
そう言い残してベリーは去っていった。一人残された春江は、不安な気持ちに駆られながらも、本殿に歩いていった。
すると本殿らしき社とその中に安置されている鏡が見えてきた。この鏡はご神体だろうか。紫の布に包まれた台に乗せられ、大事にされている。そして、染み一つなく銀色に光り輝いており、周りの風景と比べると明らかに異彩を放っていた。
春江は、目的地はここだろうという確信をもって、一直線にその場所まで行こうとした。すぐに到達することができたが、あまりにもあっけなくたどり着いてしまったことに拍子抜けてしまった。しかし、気を抜くことはなかった。ベリーは確かに「最後の試練」と言った。何かしらの形で試されることだろう。このまま玉を楽に手に入れることはないだろうと思っていた。
そんなことを考えているうちに、鏡の前までたどり着いた。すると急に周りが暗くなった。春江は周りを見渡し、どうしてそのような変化が起きたのか確かめた。理由は簡単なものだった。晴れていたのが急に曇りだし、太陽の光が遮断されたのである。
春江は再び鏡に目を向けた。ベリーの言う通り、本殿にたどり着いたのに、玉がないばかりか、何も変化が起きない。そう思うのも束の間、雲の切れ間から光が差し込み、鏡に降り注いだ。一瞬、強烈な光が春江に反射した。そのため、春江はあまりの眩しさで、顔を背けてしまった。しかし、その間に何か飛び出して攻撃されては困ることから、素早く鏡に意識を向けた。
すると、反射した光で扉が形成されていることに気付いた。春江と鏡の間に光の扉が出現したのである。
暫くすると、その扉がゆっくり開いていった。扉の奥に進めということなのだろうか。春江は思案したが、ここで進まなければ何も始まらないという思いから、思い切って入ってみることにした。
中に入ると春江はびっくりした。今の季節は秋である。紅葉舞う季節である。なのに目の前は、見渡す限りの桜吹雪。音もなくひらひらと桜の花びらが舞っていた。
その中を春江はゆっくりと歩いていった。この先にあるのが最後の試練。そしてこれを乗り越えれば終わる。千回のうちの1回が……
これまでの過酷な試練を思い出しながら、それを乗り越えることができた自分を奮い起こしながら先に進む。
すると、聞き覚えのある音が聞こえてきた。
――――キュイーン
目の前の空間に六芒星が描かれ、それが回転し、降りていく。そう、天使が現れる合図である。春江は試練が始まるのだと確信した。そして、どんな天使が降りてくるのか興味をもって見つめた。
しかし、降りてきた存在は、春江の期待を大きく裏切るものだった。
「……神様?」
春江は思わず呟いた。そう、現れてきた存在は天使の格好をしていなかったのである。羽衣を纏い、宙を舞っている。いわゆる天女のような風貌をしていた。
「私の名はパティ・ブロックン、転生管理局自殺対策課課長です」
名刺代わりの黄色い火柱が立つ。そしてパティは続けて語る。
「そして別名……」
春江は固唾を飲みながら次の言葉を待った。
「コノハナサクヤヒメです」
天使の世界には階級があり、キャリアによって特定の称号が与えられる。自殺対策課参事のベリーは「龍神」の称号が。自殺対策課課長のパティには「コノハナサクヤヒメ」の称号が。そしてその職務を遂行する際は、その称号に応じた姿や力が与えられる。つまり、神や仏は天使の称号に過ぎないのである。しかし、この称号もある程度のキャリアにしか与えられない。
「汝が欲するものはここにある」
コノハナサクヤヒメは手のひらに玉を乗せると、春江に示した。
「この玉を汝の手中に入れよ。それが最後の試練である」
試練の内容は至極簡単なものだった。コノハナサクヤヒメが持つ玉を取りに行くだけのこと。しかし、それが容易ではないことを春江も薄々感じていた。
「さあ歩み出よ。城島春江」
そう言った瞬間、コノハナサクヤヒメの体から強烈な光が発せられ、春江を襲った。
「きゃー!」
あまりにも強烈な光であるため、眩しすぎて前を見ることができないばかりか、光が衝撃波となり、春江の体に突き刺さった。また、熱波となり、春江の体を焦がした。鳥居をくぐり抜ける度に襲ってきた圧力と灼熱とは比べものにならない。
作品名:天上万華鏡 ~現世編~ 作家名:仁科 カンヂ