郊外物語
ああっ、あいつのことを話してたんだよね。来たわよ、あいつ。木戸の蝶つがいが仔猫の鳴き声のような音を立てたとき、私、体が一瞬跳ね上がったかと思いました。達郎は白い麻のズボンをはき、白のTシャツを着て、飛石伝いに近寄ってきました。履いているゴムぞうりが足の裏をたたく音が聞こえます。何種類もの虫が鳴き、ウシガエルが鳴き、ふくろうが鳴いていて、うるさいぐらいの夜です。達郎は月光を浴びて、私から十メートルほど離れたところに立ちどまったまま動きません。身体の輪郭が、水を浴びたようにてらてらと光って闇に浮き出ています。こちらに来なさい、と二度言って、やっと縁側の前まで来ました。家の電灯は消しておきましたので、その表情はよくはうかがえませんでした。荒い息遣いが聞こえました。おあがりなさい、と言っても黙っています。あがってそこにお坐りなさいな、と対になっている籐椅子を指で射しました。すると、達郎は、縁側の前に両膝をついて座り込んでしまいました。彼の言うことには、自分の素性はお聞き及びのことと思うが、実際はあなたの想像を絶するほどの悪党だ。人殺し以外はあらゆる悪をやってきたどころではない。殺した可能性も一回や二回ではない。逃げてきた後、今のは殺したかな、と思ったことが何度もあるのだ。あなたのようなお嬢さんが、単なる好奇心で、相手にするような代物ではない。自分があなたと寝たら、あなたとのスキャンダルをネタにして、あなたの父君を脅して、この家や土地を乗っ取ろうとたくらむだろう。父君やたくさんの親せき達を悲しませ、あなたを絶望させてもいいのか。口幅ったいことを申し上げるようだが、あなたには、男を見る眼、人間を見る眼がまだ出来ていない。あなたは、勉強は出来るかもしれないが、なんて馬鹿なんだろうか。達郎は言い終えると立ち上がってまた飛石伝いに帰って行きました。
私は、その後姿が木戸の向こうの暗闇に消えていくのを見ながら、呆れたことには、前にもまして、達郎をかっこいいと思ってしまいました。お父さまも呆れるでしょう?
私は翌日もまた達郎に近づいて、今晩も待っている、話をするだけだ、とささやきました。私は素肌に浴衣だけつけて待っていました。何度も頼んでやっと達郎を廊下に上げました。暴走族時代の話をしてくれとねだり、大げさにはしゃぎました。実際、面白い内容だったのです。