郊外物語
青森、フェリーに乗って北海道に渡り、室蘭、網走、札幌と逃げまわりました。室蘭は、港の周辺の町並みが真っ黒なところでした。街を見晴るかす丘の上の、にしん御殿だったというホテルに泊まりました。北海道の名付け親である松浦武四郎の勧めで、初代がにしん、さけ、ます漁業をはじめたという網元の屋敷あとです。三代目にあたる、美しい銀髪のおばあさんが経営していました。彼女、私が気づかないと思って、達郎の横腹をこぶしでつついていました。深夜、部屋のドアをたたく音やノブをガチャつかせる音や何人かの男たちの声が聞こえてきたので、奥の間に寝ていた私達は、ベランダから逃げました。知床を乗り越えるとき、谷底にヒグマの背中を見ました。網走は、風が強くて寒いところでした。塀の中の人たちの関係者が多そうだと思っていましたが、案の定、飲み屋街で後をつけられました。また、達郎がいくら注意しても懲りずに飲み屋街に行くんだもん! 札幌では、私、腕をつかまれて、こちらへ、と言われました。もうすでに私もすさんでいましたので、きたねえあぶらっ手でさわんなよ、などと大声を出して、数歩先にいた達郎に睨まれたものでした。羅臼でも、網走でも、稚内でも、小樽でも、ロシアに渡れないかと細工を試みました。達郎はパスポートをもっていなかった。密出国のための交渉相手は日本のヤクザですから、飛んで火にいる夏の虫になりそうでしたので慎みました。青森へ戻り、酢ヶ湯、鹿の湯、玉川温泉などを、湯治客の振りをして泊まり歩きましたが、どうも、浮いてしまって、じろじろ見られるばかり。あのあたりの温泉、硫酸に浸かってるようにしみて体毛が抜け落ちるかと思いました。青森と秋田の県境あたりで、おばあさんが筵の上にりんごを並べて売っていました。赤ん坊の頭のような大きなりんごを十個買って、二日がかりで食べました。白神山地のブナ林に分け入り、無人の炭焼き小屋か番小屋を探したりもしました。そんなところに隠れても、不思議なことに二日ぐらいで、どごぞのもんだぁ、と見つかってしまいます。秋田、山形と降りてきて、新潟の村上にやや長く、と言っても一週間ほどいました。目立ち始めたので、佐渡に渡りました。バウムクウヘンを薄く切ったような京風の家が立ち並ぶ土地でした。しかし、青森、秋田でもそうだったけれど、言葉が通じないので、新潟市内にこもりました。足がつかないかとひやひやし



