ふたりの言葉が届く距離
帰宅した俺はシャワーを浴びた後で夕食の準備をする。
冷蔵庫に入っているインスタント食品を取り出しながら、この台所に立っていた白井の後ろ姿を思い出す。
レンジの熱では作り出せない温かさ。あれが家庭料理というやつなんだろう。
彼女なら良い奥さんに、良いお母さんになれる。そんな風に思えた。
だが、現実の彼女は離婚していて、妻ではなくなり、母親にもなれなかったんだ。
そんなことを漫然と考えていると、本人から電話が掛かってきた。
『最近は理奈と上手くやってるの?』
気晴らしのBGM代わりにつけていたTVを消して、理奈への求婚の顛末を話し、重い空気を白井の元へと届ける。
『……それで?』
苛立ちを抑えきれない彼女の言葉が突き刺さる。
「俺達は……もうダメかも知れない」
ずっと頭の中にあった言葉を初めて口にする。
『ふざけないで。なにもしないうちから泣きごと言ってんじゃないわよ』
「…………」
『そんなの、自分が傷つきたくないだけでしょ』
「……そうだな」
彼女の言う通りだ。
恋愛という絆に疑念を抱き続けていたのは、その消失をずっと恐れていたのは、俺の方だ。
恋愛にあさましく依存していたのは俺の方だったんだ。
『納得されても困るんだけどね』
電話の向こうで白井が苦笑する。
『藤宮っていう男の話を私がしたから気にしてるんでしょ?』
「…………」
『理奈は浮気なんてしないよ。そんなこと君が一番知っているじゃない』
「でも……あれ以来、理奈からの連絡はないんだ」
『だから、理奈は君からの電話を待っているんだって。とにかく私が一度話してみるわ。あのコの気持ちが分かれば連絡できるんでしょ?』
「いや、それは……そうだけど……」
自分の煮え切らない返答に嫌悪感がこみ上げてくる。
そんな俺に、白井は「じゃあ、後で」と短く告げて電話を切った。
作品名:ふたりの言葉が届く距離 作家名:大橋零人