ホロウ・ヒル (1)
「ぼさっとしてないで、早く運びな!」
竈の火番の怒鳴り声に我に返ったシェルは、湯が満たされた桶を持ち上げた。
広い風呂場にはたくさんのバスタブが並び、石で造られた天井にはもうもうと湯気がこもっていた。もう既に何人かの娼妓が湯に浸かったり、下働きに命じて自分の肌を擦らせていたりしていた。
「新しい湯をお持ちしました」
シェルがそう声をかけると、奥の方から運んでおくれと声がかかる。水浸しになっている石の床を、滑って転ばぬよう慎重に足を運ぶ。
転んで湯を台無しにすれば、口汚い娼妓達にどんなに罵られるかわかったものじゃない。
奥に置かれているバスタブまであと少しという所で、シェルはいきなり頭からずぶ濡れになってしまった。もちろん転んだ訳ではない、その証拠に右手には桶の紐がしっかりと握られていた。
なにが起こったのか理解出来ず茫然とたたずむシェルを、娼妓達は打ち合わせをしていたかのように一斉に笑い始めた。
「誕生日おめでとう。私らからの贈り物を受け取っておくれ!」
年長の娼妓がカラカラと笑いながら、そう言い放つ。
通過儀礼というやつなのであろう。娼妓の仲間入りをするシェルに、先輩から牽制と励ましの意味を込めて年少の少女をからかったのだ。
頭ではそう理解しても、感情はコントロール出来ない。情けなさと悔しさでシェルの若草色の瞳からたちまち涙があふれた。
「泣くじゃないよ、バカだねェ」
「泣くなら、旦那方に泣かせてもらいな!」
「ああ、そりゃぁいい」
下品な笑い声をあげながら、一人の娼妓が近づき、水に濡れて線が露わになったシェルの体をあちこち触り始めた。
「腰が細いのは良いけど、胸もお尻もぺったんこじゃないか」
身をよじって嫌がるシェルを面白がって、次々と娼妓達がシェルの体をさわり始める。
「本当にガリガリだねェ!」
「鶏ガラみたいじゃないか」
「14にしては顔つきも幼いし、ひょっとしたら『月のモノ』も来ていないじゃないかい?」
体を触れられる不快感より、バカにされた怒りの方が勝った。
べたべたと体を触ってくる手を、シェルは強引に振りほどく。
「やめて!」
怒りを露わに周囲を睨むシェルを見て、興ざめした娼妓たちは肩をすくめて一人ずつこの場から離れてゆく。
「お高く止まっているんじゃないよ。お前はもう14だろう。泣こうが叫こうが、私らと同じ女になるのさ。それがイヤなら、首でもくくるんだね」
最後に残った娼妓はシェルにそう言い放つと、彼女の頬を容赦なく叩いた。
叩かれた音は高く響き、それまで何かと騒がしかった風呂場が一瞬に静まった。殴られた頬も痛かったが、それより皆の好奇心むき出しの視線が痛かった。
「……!」
その場の空気に耐えきれなくなったシェルは、踵を返すと風呂場から逃げ出した。そんな彼女に追い打ちを掛けるように、娼婦達の笑い声が背後から聞こえた。
情けなくて涙が止まらない。泣けば泣くほどバカにされるのは判っていたが、今のシェルには泣くことしかできなかった。
「シェル!」
シェルを追いかけてきたフィーは、急いで持っていたタオルで彼女を刳るんだ。
「行きましょう」
友達の顔を見てほっとしたシェルは、子供のように泣きじゃくり始めた。フィーにすがりつくように抱きつき、肩を振るわせて泣いた。
泣き続ける友達の気が和らぐように、フィーはシェルの背中を赤ん坊をあやすように優しく叩いた。
「シェル、落ち着いて。早く着替えないと、カゼを引いてしまうわ」
すがりついたままの姿勢でシェルが頷くのを確認すると、フィーはシェルの手をひいて納屋へ急いだ。
フィーは物入れから、乾いた下着とドレスを取り出しシェルの側に置いた。シェルはようやく泣きやんだものの、気が抜けた状態になり濡れた服を脱ごうともせず、湿ったタオルを羽織ったまま震えていた。
「早く脱いで!」
強くそう言うと、ようやくシェルの手はのろのろと動き始めた。脱ぎにくくなったドレスを脱ぐのを手伝い、乾いた物を着せてやる。
友達の髪を拭き、水に濡れたドレスを外に干して帰ってくると、シェルは床にぺたりと座りあふれる涙を拭いもせず静かに泣いていた。
「……」
痛ましいその姿に、フィーは無言でシェルを自分の胸に抱きしめた。
フィーに抱かれたシェルは、ぐぐもった声で誰にも言えなかった本心を呟いた。
「娼妓なんてなりたくない…」
その言葉にフィーの目は大きく開き、返事の代わりに抱き込む腕に力を込めた。
作品名:ホロウ・ヒル (1) 作家名:asimoto